==概要==
様々な場面で登場していることや、「10束(束は長さの単位で、拳1つ分の幅)の長さの剣」という意味の名前であることから一つの剣の固有の名称ではなく、'''長剣の一般名詞'''と考えられ、それぞれ別の剣であるとされる。記紀ではアマテラスとスサノオの誓約の場面などで記述される。ここでは固有名詞の「十束剣」とだけ記述される(古事記では、スサノオが持っていた十拳剣を物実としてアマテラスが口に含みかみ砕き息から3柱の女神(宗像三女神)を産んでいる)。と考えられ、それぞれ別の剣であるとされる。記紀では[[天照大御神]]と[[須佐之男命]]の誓約の場面などで記述される。ここでは固有名詞の「十束剣」とだけ記述される(古事記では、[[須佐之男命]]が持っていた十拳剣を物実として[[天照大御神]]が口に含みかみ砕き息から3柱の女神(宗像三女神)を産んでいる)<ref group="私注">この場合の「剣」は男根を現し、性行の場面を暗示しているのではないだろうか。日本神話では他に「'''矛'''」が男根を暗示している場合がある。天沼矛など。</ref>。
== 天之尾羽張剣(伊都之尾羽張剣) ==
最初に登場するのは神産みにおいてイザナギがカグツチを斬る場面である。この剣には、「天之最初に登場するのは神産みにおいて'''尾羽[[伊邪那岐命]]'''張」(あめのおはばり)または「伊都之尾羽張」(いつのおはばり)という名前がついている(伊都之尾羽張という名前は、その後タケミカヅチの母神の名として登場する)。その後、黄泉の国から逃げる際に、十拳剣を後手(しりへで)に振って追っ手から逃れている。が[[火之迦具土神]]を斬る場面である。この剣には、「[[天之尾羽張]]」(あめのおはばり)または「伊都之尾羽張」(いつのおはばり)という名前がついている(伊都之尾羽張という名前は、その後タケミカヅチの母神の名として登場する)。その後、黄泉の国から逃げる際に、十拳剣を後手(しりへで)に振って追っ手から逃れている。<ref namegroup="羽根私注">尾羽とは普通「矢羽根」に使われるものではないだろうか。この武器が元は「'''矢'''」であったものが剣に変更されたのかもしれない、と考える。(管理人)</ref>
== 天羽々斬剣 ==
ヤマタノオロチ退治の時にスサノオが使った十拳剣(別名「天羽々斬(あめのはばきり)」。“羽々”とは“大蛇”の意味)で<ref name="羽根"/>[[八俣遠呂智]]退治の時に[[須佐之男命]]が使った十拳剣(別名「天羽々斬(あめのはばきり)」。“羽々”とは“大蛇”の意味で<ref>林道春 , 1942 , 本朝神社考 , 改造社 , pages:89p</ref>、ヤマタノオロチの尾の中にあった草薙剣、[[八俣遠呂智]]の尾の中にあった草薙剣<ref>「草薙」とは植物に関するもので、農耕神の持ち物を連想させないだろうか。農業に草を刈る作業は欠かせないものである。その場合は、剣と言うよりも「草刈鎌」の方が相応しいといえなくはないだろうか。(管理人)</ref>に当たって刃が欠けたとしている。この剣は石上布都魂神社に祭られ崇神天皇の代に石上神宮に遷された。石上神宮ではこの剣を布都斯魂剣(ふつしみたまのつるぎ)と呼び、本殿内陣に奉安され祭られている。
== 大量(神度剣) ==
葦原中国平定の説話において、アメノワカヒコの葬儀に訪れた葦原中国平定の説話において、[[天若日子]]の葬儀に訪れた[[阿遅鉏高日子根神]]が怒って十掬剣で喪屋を切り倒している。この剣は正式に「大量」(おおはかり)、亦の名に「神度剣」(かむどのつるぎ)という名前がついている。が怒って十掬剣で喪屋を切り倒している。この剣は正式に「大量」(おおはかり)<ref>「古事記」の記載。</ref>あるいは大葉刈(おほはがり)<ref>「日本書紀」の記載。</ref>、亦の名に「神度剣」(かむどのつるぎ)という名前がついている。
== 布都御魂剣(韴霊剣)(ふつみたまのつるぎ) ==
== その他の十拳剣 ==
[[山幸彦と海幸彦]]の説話では、[[ホオリ|山幸彦]]が[[ホデリ|海幸彦山幸彦と海幸彦の説話]]の釣り針を無くしてしまったため、自分の十拳剣を鋳潰して大量の針を作っている。では、山幸彦が海幸彦の釣り針を無くしてしまったため、自分の十拳剣を鋳潰して大量の針を作っている。
仲哀天皇の熊襲征伐の途次、岡県主の熊鰐、伊都県主の五十迹手がそれぞれ白銅鏡、八尺瓊と共に十握剣を差し出して降伏している。 == 草薙の剣 =='''天叢雲剣'''(あめのむらくものつるぎ、あまのむらくものつるぎ、あめのむらぐものつるぎ、あまのむらぐものつるぎ)は<ref name="福永1巻天叢雲剣">日本刀大百科事典1巻53-54頁、'''あめのむらくものつるぎ'''【天叢雲剣】</ref>、[[仲哀天皇三種の神器]]の一つ<ref>神皇正統記選コマ33(原本16-17頁)「一三 八岐大蛇」</ref><ref>岩波、日本書紀1巻95頁(注一四)</ref><ref>岩波、日本書紀(1)375-378頁「(巻第二)補注一九 三種神宝(一三二頁注一)」</ref>。'''草薙剣'''(くさなぎのつるぎ)<ref name="福永2巻草薙剣">[[#福永百科2巻|福永、日本刀大百科事典2巻]]140-141頁、'''くさなぎのつるぎ'''【草薙剣】</ref>、'''草那藝之大刀'''(くさなぎのたち)とも言われる<ref>今文古事記、コマ25(原本29頁)〔△都牟刈之太刀 鋭利なる大刀をほめたる稱〕</ref><ref name="西郷1巻379草なぎ">西郷1975、古事記注釈一巻、379-380頁「○《草<ins>なぎ</ins>の大刀》」</ref>。熱田神宮にある本体と、皇居にある形代の2つがある。 <ref>皇国敬神会, 1922, 12, 全国有名神社御写真帖, 官幣大社熱田神宮, 皇国敬神会, NDLDC:966854/10 国立国会図書館デジタルコレクション, 全国有名神社写真</ref><ref>岩波、日本書紀(2)、108頁(本文)、109頁(注六)</ref>。 [[須佐之男命]]は、八岐大蛇由来の神剣を[[高天原]]の[[熊襲天照大御神]]に献上した<ref name="奪神器13">奪われた三種神器、13-14頁「三種神器の由来」</ref><ref>少年少女日本建国物語、コマ38-39(原本53-54頁)</ref>。続いて[[天孫降臨]]に際し他の神器と共に[[ニニギ|ニニギノミコト]]に託され、地上に降りた<ref>講談社学術文庫、古事記(上)、176-177頁「三 天孫の降臨」</ref><ref>西郷1975、古事記注釈二巻、241-242頁「四 神器」</ref>。崇神天皇の時代に草薙剣の形代が造られ、形代は宮中(天皇の側)に残り<ref>皇国の肇め(人皇巻)、コマ42(原本64-65頁)「一、笠縫宮」</ref>、本来の神剣は笠縫宮を経由して、伊勢神宮に移されたという<ref name="奪神器13" /><ref>皇国の肇め(人皇巻)、コマ50-51(原本81-82頁)「三、皇大神宮の御造營」</ref>。景行天皇の時代、伊勢神宮の[[倭姫命|ヤマトヒメノミコト]]は、東征に向かう[[ヤマトタケル]]に神剣(天叢雲剣/草薙剣)を託す<ref>皇国の肇め(人皇巻)、コマ58(原本96頁)</ref><ref>西郷1988、古事記注釈三巻、304-305頁「四 草なぎの剣のこと」</ref>。ヤマトタケルの死後、草薙剣は神宮に戻ることなく[[宮簀媛|ミヤズヒメ]](ヤマトタケル妻)と[[尾張氏]]が尾張国で祀り続けた<ref>講談社学術文庫、古事記(中)、145-148頁「五 倭建命の東国征討」</ref><ref>篠田、熱田神宮、24-25頁「熱田神宮の起こり」</ref>。これが名古屋・熱田神宮の起源である。熱田の御神体として'''本体の草薙剣'''が祀られている<ref>出雲大社、学生社、53頁「天叢雲剣」</ref><ref>皇国肇め(人皇巻)、コマ68(原本117頁)</ref>。 == 参考文献 ==* Wiipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E6%9D%9F%E5%89%A3 十束剣](最終閲覧日:22-10-10) == 関連項目 ==* [[天之尾羽張]]征伐の途次、岡県主の熊鰐、伊都県主の五十迹手がそれぞれ白銅鏡、八尺瓊と共に十握剣を差し出して降伏している。 == 私的注釈 ==<references group="私注"/>
== 参照 ==
{{DEFAULTSORT:とつかのつるき}}
[[Category:日本神話]]
[[Category:武器十束剣|*]]
[[Category:剣]]