アイルランド南部ティペラリー県のアハーロウ峡谷(Glen of Aherlow)に<ref>井村, イエイツ, 1986, p94</ref>では"アッハロウという..谷あい"と表記するが、地図名に準ずる。、綽名をラズモア(ルスモール)という<ref>imura-lusmore</ref>、背中に瘤のある男が住んでいた。ラズモアは、草花のキツネノテブクロ(ジギタリス)のこと<ref>Croker, 1825, p35–36, 195</ref><ref>アイルランド英語: Lusmore; lus mór、直訳「大いなる野草」。</ref><ref name=odonaill-lus>Gabshegonal Ó Dónaill (1977) ''Focloir'', s. v. "[https://www.teanglann.ie/en/fgb/lus lus]": ~ mór, foxglove.</ref>。男はこの草をよく帽子に指していたのでその綽名がついた。
男は麦藁やイグサで編んだ工芸品を売って生計を立てていたが、その藁編みもの商売で町に出た帰りに、ノックグラフトン<ref>ノックグラフトンの「ノック」 "knock"は、アイルランド語「クノック」 "cnoc"に由来し、「丘、山」の意。</ref><ref name=joyce1869>Patrick Weston Joyce , The Origin and History of Irish Names of Places , Dublin , McGlashan&Gill , 1869 , https://books.google.com/books?id=UiAHAAAAQAAJ&pg=PA178 , page178</ref><ref name=odonaill-cnoc>Gabshegonal Ó Dónaill (1977) ''Focloir'', s. v. "[https://www.teanglann.ie/en/fgb/cnoc cnoc]": Hill.</ref>。}}の古墳(モート)の近くで休憩した(このモートは正しくは城跡だが<ref name=westropp>Thomas J. Westropp , The Mote of Knockgraffan, Tipperary (Its Legend), The Journal of the Royal Society of Antiquaries of Ireland, Fifth Series , volume18 , number3 , 30 September 1908 , https://books.google.com/books?id=iBxLAAAAYAAJ&q=%22The+Mote+of+Knockgraffan , page280 , jsto:=25513929</ref>、クローカーは「古墳」と解釈した<ref>Croker, 1825, p33</ref> )。夕方になると、この墳丘のなかから、「月曜日(ダルーアン)、火曜日(ダモルト)」という歌声が聞こえてきた<ref>曜日のルビは、原則として井村訳にしたがった。より正確なアイルランド語の発音は神村朋佳の論文に詳しいが、月・火・水曜日は「ヂェルーン*」・「ヂェモウルチ*」・「ディケーディン*」とカナ表記される」とカナ表記される。</ref><ref name=kamimura>神村朋佳 , アイルランドの昔話「ノックグラフトンの伝説(The Legend of Nockgrafton)」の曜日の歌について : 石井桃子訳、井村君江訳、Yeats版、Jacobs版、Croker版の比較検討 , Translating and Retelling Irish Fairy Tales : Through the Comparison of Two Japanese Translations with Three English Versions of 'The Legend of Nockgrafton' , 大阪樟蔭女子大学研究紀要 <!--Research Bulletin of Osaka Shoin Women's University--> , number37 , volume7 , 2017-01-31 , https://osaka-shoin.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=4097&item_no=1&page_id=3&block_id=24 , pages51–62 </ref>。ラズモアは、相手の声が途切れる拍子に、「それまた水曜日(ダダーデイン)」と合いの手の具合で歌い返した。すると歌っていた[[妖精]](フェアリー)たちは歓喜し、つむじ風がまきおこったかと思うとラズモアは墳丘の中に運ばれていた。ラズモアはもてなしを受け、背中の瘤を除去され、目を覚ましたときには新調した衣服を着せられていた。
そのうち老婆が訪ねてきた。隣の[[ウォーターフォード県]]、 {{仮リンク|デーシイ|en|Déisi}}の民の地から来たという{{Refn|group="注"|クローカーの原文は"Deici's country"であるが、"Déisi"人々の異綴りとして"Deici"があることが、例えば{{仮リンク|サミュエル・ルイス (出版者)|en|Samuel Lewis (publisher)|label=サミュエル・ルイス}}の地理参考書で確認できる<ref name=lewis/> 。井村の解釈は「ディシスの田舎」である。}}。この老婆は、自分の茶飲み友達(あるいは名付け親)の息子にせむしの男がいて、背瘤が治った話の詳細を聞きにきたのである{{Refn|group="注"|クローカーの原文は老婆の"gossip"で、これは多義あり、井村は「茶飲み友達」と解した。しかしグリム兄弟の訳( {{lang-de|Gevatterin}} )を参考とするなら、ここは「名付け母親」である<ref>{{harvnb|Grimm|1826|p=17}} </ref>。}}。