差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
160 バイト除去 、 2025年2月5日 (水)
編集の要約なし
:* 関係地
:** 大麻比古神社(徳島県鳴門市) - 式内社(名神大)。祭神:大麻比古神。[[天日鷲命]]の子神。
:** 忌部神社 - 名神大社。論社に忌部神社(徳島県吉野川市):祭神:天日鷲翔矢尊、後継社に[[忌部神社]](徳島県徳島市):祭神:天日鷲命。名神大社。論社に忌部神社(徳島県吉野川市):祭神:天日鷲翔矢尊、後継社に忌部神社(徳島県徳島市):祭神:天日鷲命。
; 讃岐忌部
:* 地域:讃岐国
:* 職掌:盾の貢納
:* 関係地
:** [[粟井神社]]([[香川県]][[観音寺市]]) 粟井神社(香川県観音寺市) - 式内社(名神大)。式内社(名神大)。主祭神:'''天太玉命'''。:** [[讃岐神社]]([[奈良県]][[北葛城郡]][[広陵町]]) 讃岐神社(奈良県北葛城郡広陵町) - 式内社。'''大国魂命'''・'''若宇加能売命'''(広瀬大社の祭神)・大物主命
また『古語拾遺』には筑紫・伊勢に[[天目一箇神|天目一箇命]](あめのまひとつのみこと:忌部五部神)を祖とする忌部があったと記し、この神に刀・斧・鉄鐸・鏡などを作らせたという記述がある。
このことから、鍛冶として刀・斧を貢納した忌部がいたものと推測されている{{Sfn|<ref>忌部氏(国史)}}</ref>。<!--他の忌部と比べ実証性が低いので、同列の箇条書きとはしない。-->そのほか、備前・越前にも忌部が分布したと見られている{{Sfn|<ref>忌部氏(世界大百科)}}</ref>
これら忌部のうち、紀伊忌部は直接中央の忌部氏に隷属していたが、他の忌部は国造の管轄下にあり、国造を介して中央への上納を行なっていた{{Sfn|<ref>忌部氏(国史)}}</ref>
=== その他 ===
四国の阿波、房総の安房に限らず、伊部(いんべ)・井辺(いんべ)など[[三重県]]や[[奈良県]]には忌部氏に関係すると見られる地名が残る。 {{節スタブ}}四国の阿波、房総の安房に限らず、伊部(いんべ)・井辺(いんべ)など三重県や奈良県には忌部氏に関係すると見られる地名が残る。
== 主な忌部(部民)の後裔 ==
 * [[織田氏]]([[平氏#桓武平氏|桓武平氏]]を称するが、その祖である[[平親真]]は忌部氏という説がある)織田氏(桓武平氏を称するが、その祖である平親真は忌部氏という説がある)
* 玉作氏(出雲忌部)
* [[麻植氏|麻殖氏]](社家、阿波忌部)
* [[麻生氏]](阿波忌部)麻生氏(阿波忌部)
* 早雲氏(阿波忌部)
* [[三木家]](阿波忌部直系本家・現在でも[[即位の礼|天皇陛下即位]]の際、[[大嘗祭]]に麁服を調進している)三木家(阿波忌部直系本家・現在でも天皇陛下即位の際、大嘗祭に麁服を調進している)<ref>{{Cite web |url=https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000350493&page=ref_view |title=, 【国会図書館リファレンス協同サービス】徳島県木屋平の三木家の歴史について |access-date=, 2024-12-3 |publisher=, 国立国会図書館 |author=, 徳島県立図書館 |language=ja}}</ref>
== 阿波忌部の東遷説話 ==
=== 記録 ===
[[File:Awa-jinja, haiden.JPG|thumb|220px|{{center|[[安房神社]]([[千葉県]][[館山市]])}}]]
『[[古語拾遺]]』([[大同 (日本)|大同]]2年([[807年]])成立)<ref group="原">『古語拾遺』({{Harvnb|安房坐神社(神道・神社史料集成)}}参照)。</ref>や『[[先代旧事本紀]]』<ref group="原">『先代旧事本紀』「[[天皇本紀]]」。</ref>の説話によれば、忌部氏遠祖の[[天富命]](天太玉命の孫)は各地の斎部を率いて種々の祭祀具を作っていたが、さらに良い土地を求めようと[[阿波国|阿波]]の斎部を率いて東に赴き、そこに麻([[アサ]])・穀([[カジノキ]])を植えたという{{Sfn|千葉県の歴史 通史編 古代2|2001年|pp=604-612}}{{Sfn|千葉県の歴史(山川)|2012年|pp=33-35}}。

案内メニュー