という神話で紋切り型にくくったものではないか、と考える。物部守屋は飛鳥時代の実在の人物だし、長野県に来たことがあるとも思えないので、それよりも古い神代とされた時代に[[建御名方神]]が長野県にやって来たとして、そこに物部守屋がいるはずはないのだが、ともかく平気でそういう設定にして神話を作っているところが「'''やっつけ仕事'''」的に感じる。
ただし、全体的に見れば、物部氏や出雲系の氏族に対する悪意から作られた神話でもある、という感がする。神話成立の背景には、金刺氏の意向が透けて見える気がする。善光寺や[[風間神社]](長野市)で「聖徳太子信仰」が明白であり、これは仏教を日本に持ち込んだ金刺氏が、それに反対して物部氏に対して快く思っていなかったことの現れであるように思う。それが「洩矢神退治」の伝承に色濃く反映されているように思う。(長野市)で「聖徳太子信仰」が明白であり、これは仏教を日本に持ち込んだ金刺氏が、それに反対した物部氏を快く思っていなかったことの現れであるように思う。それが「洩矢神退治」の伝承に色濃く反映されているのではないだろうか。 しかし、一方で洩矢神の子孫とされる守矢氏は上社の神長官を務めている。上社の側では洩矢神の伝承の成立にはあまり関わっていなかった証拠でもあるのではないだろうか。ただ、物部氏系の氏族が先行して諏訪に入植していたので、上社の方はその立場を尊重して祭祀を任せていたのではないかと考える。島根県、奈良県などでも、物部氏系の氏族が先行して入植していた場所に後から鴨系・葛木氏系の氏族が入り込んできた場所は各地に見られるように思う。
== 参考文献 ==
* [[千鹿頭神]]
* [[多満留姫]]
* [[洩矢神社]]
* [[武居大伴主神]]
* [[矢塚男命]]