又我が子、建御名方<small>(諏方社)</small>神、千引の石を手末に捧げ来りて申さく、「誰、この我が国に来たりて忍び忍びにかく云ふは。而して力競べせんと思ふ。」<br />
先づその御手を取りて、即ち氷を成り立て、又剣を取り成しつ<ref>梵舜本では「剱ヲ取成」とあり、『古事記』と『旧事本紀』の文章(「即取成立氷、亦取成剱刃」)と一致する。権祝本では「釼ヲ取耒(来)」とある</ref><ref name="Kanai"/><ref>https://webarchives.tnm.jp/dlib/detail/1362, 諏方縁起絵巻, 東京国立博物館デジタルライブラリー, 2019-10-16</ref>。科野の国・洲羽の海に至る時、建御名方の神申さく、「我、この国を除きては他処に行かじ」と云々。これ則ち〔当社〕垂迹の本縁なり。<ref>間枝遼太郎「[https://k-rain.repo.nii.ac.jp/record/599/files/kokugakuinzasshi_121_10_003.pdf 『先代旧事本紀』の受容と神話の変奏―神社関連記事の利用をめぐって―]」『國學院雑誌』第121巻第10号、2020年10月、52-54頁。</ref><ref name="Kanai">金井典美「「諏訪大明神絵詞」梵舜本と権祝本の異同対照」『諏訪信仰史』名著出版、1982年、218-277頁。</ref><ref name="Yamashita">山下正治 「[https://hdl.handle.net/11266/2379 訓読・諏訪大明神絵詞(一)(<共同研究>関東周辺の歴史と文学の研究)]」『立正大学人文科学研究所年報 別冊』16号、2006年、9-18頁。</ref><ref name="Hanaya">塙保己一編「[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936498/45 続群書類従巻七十三 諏訪大明神絵詞]」『続群書類従 第3輯ノ下 神祇部』続群書類従完成会、1925年、494-539頁。</ref>
</blockquote>
諏訪大社の祭神として『画詞』には載せるには不適当と考えたもので編纂者の[[諏訪円忠]]が削除したと考えられていたが<ref>諏訪市史編纂委員会 編『諏訪市史 上巻 (原始・古代・中世)』1995年、695-696頁。</ref>、円忠は『旧事本紀』そのものでなくタケミナカタの不名誉な記述が省略された抄出文を利用した可能性を間枝遼太郎(2020年)が指摘した。[[大須観音#文化財|真福寺]]本『古事記上巻抄』という文書に「'''諏方社事'''」と題する『旧事本紀』の抜粋文が含まれており<ref>{{Cite web|和書|url=https://dl.ndl.go.jp/pid/3438605|title=古事記上巻抄|year=1924|website=国立国会図書館デジタルコレクション|access-date=2024-09-01}}</ref>、ここで省略されている箇所が『画詞』とほぼ一致しているため、円忠が編纂の際に用いたテキストであると間枝が特定している<ref>間枝遼太郎「『先代旧事本紀』の受容と神話の変奏―神社関連記事の利用をめぐって―」『國學院雑誌』第121巻第10号、2020年10月、47-52頁。</ref>。抄出文は円忠が『画詞』の編纂にあたって諏訪大社の縁起について調査を行った際にやりとりしていた[[吉田神社|吉田]]流[[卜部氏]]の卜部兼豊あるいは[[平野神社|平野]]流の卜部兼前が作成・提供したものと考えられる<ref>間枝遼太郎「『先代旧事本紀』の受容と神話の変奏―神社関連記事の利用をめぐって―」『國學院雑誌』第121巻第10号、2020年10月、49-50頁。</ref>。