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3 バイト除去 、 2025年1月21日 (火)
持統天皇の時代に勅祭が行われた中で目立つのは、広瀬大忌神(水神)、竜田風神(風神)である。同時に勅使が遣わされたといっても、全てが風神であったとは限らないと考える。風間神社は古くからの「風の神」を祀る神社とされるが、諏訪大社の建御名方命が風神として祀られたのかはやや疑問に思う。ただし、奈良県にある廣瀬大社では、[[饒速日命]]を[[伊勢津彦|櫛玉命]]と風神のように定義しているので、建御名方命が[[饒速日命]]あるいはその子の宇摩志麻遅命に類する神であれば、かつては風神とされていた可能性もあるように思う。
祭神に揺れがあって、地元の方にも迷う部分があると考える。祭神を[[速飄別命|飄別神]]とした場合には、出雲に'''[[速飄別命|波夜都武自和氣命]]'''(はやつむじわけのみこと)という神がいる。しかし、ごくマイナーな神であるため、風間神社の[[速飄別命|飄別神]]は、[[志那都比古神|級長津彦命]]と思われる。[[饒速日命]]を[[伊勢津彦|櫛玉命]]とした場合、『先代旧事本紀』に高御産巣日神は[[饒速日命]]に関して、に関して[[速飄神]]を使役しており、[[饒速日命]]([[伊勢津彦]])と関連性が深いのは[[速飄神]]と考えられるので、逆に「関連性が薄い」のは[[速飄別命|飄別神]]の方で、これに[[伊勢津彦]]とは異なる風神である[[志那都比古神]]を充てる方が妥当と考えるからである。

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