また丹羽氏の玉姫命は自ら開拓を行う女神である。これはチワン族の女神[[姆六甲]]に似る。また、夫を亡くして妻女神が一人で奮闘する姿は、平和的な神功皇后といった感がある。
大縣神社と田縣神社では、対になった豊年祭を行っており、大縣神社は女神、田縣神社は男神とされている。大縣神社の祭神は、現在では大縣大神とされているが、本来は女神だったのではないだろうか。それが玉姫命に置き換わってしまった可能性があると考える。また、大縣神社・田縣神社が丹羽氏の祖神を祀る神社だったのなら、男女の交わりを重要視する祭祀から考えて、その組み合わせは「玉姫命と建稲種命」が正しいのではないだろうか。あるいは御歳神を中心として考えるのであれば「伊怒比売と御歳神」のように、一対の配偶神を祀る方が自然だと考える。このように行われている祭祀と併せて考えると、どうも大縣神社と田縣神社はどこかの時代に祭神の入れ替えや変更があったのではないか、と思われる。とすれば、丹羽氏とは、賀茂系の祖神神話、御歳神を祖神とする神話、多氏系の祖神神話と、複数の祖神神話を持っており、それらが混在している氏族と考えられる。すなわち、一定の祖神を持つことを好まず、大縣神社と田縣神社では、対になった豊年祭を行っており、大縣神社は女神、田縣神社は男神とされている。大縣神社の祭神は、現在では大縣大神とされているが、本来は女神だったのではないだろうか。それが玉姫命に置き換わってしまった可能性があると考える。また、大縣神社・田縣神社が丹羽氏の祖神を祀る神社だったのなら、男女の交わりを重要視する祭祀から考えて、その組み合わせは「玉姫命と建稲種命」が正しいのではないだろうか。あるいは御歳神を中心として考えるのであれば「伊怒比売と御歳神」のように、一対の配偶神を祀る方が自然だと考える。このように行われている祭祀と併せて考えると、どうも大縣神社と田縣神社はどこかの時代に祭神の入れ替えや変更があったのではないか、と思われる。 おそらく古くは、丹羽氏は尾張氏と同祖と名乗り、先祖を建多乎利命(たけたおりのみこと)として、葛木坐火雷神社のある奈良県葛城市笛吹あたりから犬山市にやって来たのではないか、と考える。 とすれば、丹羽氏とは、賀茂系の祖神神話、御歳神を祖神とする神話、多氏系の祖神神話と、複数の祖神神話を持っており、それらが混在している氏族と考えられる。すなわち、一定の祖神を持つことを好まず、'''コロコロと祖神を変える傾向がある一方、一定の政治的権力は維持してきた'''、やや特殊な氏族、という印象を受ける。
よって「丹羽氏」という氏族の系統をきちんと論じるのは困難なため、'''本項では管理人の推測も多用しながら'''、考察を試みる。