== 主な祭事 ==
=== お田植祭 ===
お田植祭は当神社祭神の性格を表す竹井集落の[[五穀]]の豊穣を予祝する神事でお田植祭は当神社祭神の性格を表す竹井集落の五穀の豊穣を予祝する神事で<ref name="図説7-2-1" />、近世には5月5日(端午の節句)に行われたが、改暦によって6月5日となり、現在は6月5日に近い日曜日に行われている。
先ず神饌とともに粽を供えて祝詞を奏上し、その後拝殿に据えられた太鼓を取り囲む形で藍染めの木綿の絣を着した早乙女が輪になり、太鼓の拍子と歌に合わせて「お田植え踊り」を踊る。
当日早朝、宍人から正副2名の使が当神社へ差遣され、酒や枝豆を献供する祭典(宍人献饌の儀)が行われた後、改めて午前10時から祭典が斎行され、午後2時に神輿が船阪の御旅所へ進発して神幸祭が始まる。神輿は途中で仁江の'''稚児行列'''に迎えられて蛭子神社へと向かい、拝殿に安置されて宮主や仁江の宮衆(前節参照)による祭祀を受けた後に再び御旅所へ向かう。すると今度は船阪の稚児行列が途中でこれを迎える形で合流し、夕刻御旅所へ到着、神輿が御旅所に設けられた仮殿へ安置されて、仁江と船阪から新穀を収めた'''俵の奉納'''を受ける。なお稚児については、仁江は女形、船阪は男形とされ、それぞれ女性あるいは男性の装束を着する定めとなっている。
昭和7年([[1932年]])頃までは[[園部町横田|横田]]の若宮神社から同様の神輿渡御があり、船阪の者はこれを迎えて御旅所まで随行、御旅所では摩氣、若宮両神社の神輿が並べられて同宿したという。昭和7年(1932年)頃までは横田の若宮神社から同様の神輿渡御があり、船阪の者はこれを迎えて御旅所まで随行、御旅所では摩氣、若宮両神社の神輿が並べられて同宿したという。
; 2日目
翌未明(午前2時頃)、竹井・仁江・船阪・宍人・大西・半田の宮衆を始めとする氏子が御旅所へ参集し、「練(ね)り」や[[角力]]の奉納が行われる。この時には宍人と大西から選ばれた沙汰人(さたにん)と呼ばれる者が宮司の指示を受けて神事を執り行う翌未明(午前2時頃)、竹井・仁江・船阪・宍人・大西・半田の宮衆を始めとする氏子が御旅所へ参集し、「練(ね)り」や角力の奉納が行われる。この時には宍人と大西から選ばれた沙汰人(さたにん)と呼ばれる者が宮司の指示を受けて神事を執り行う<ref>宍人の沙汰人は隔年、大西は毎年交替。</ref>。初めに沙汰人が「[[お神酒]]を奉れ」と命じて神事が始まり、船阪から選ばれた典供者が。初めに沙汰人が「お神酒を奉れ」と命じて神事が始まり、船阪から選ばれた典供者が[[榊]]を口に咥えて神前に神酒の満たされた[[瓶子]]2本を持参する。続いてそれを[[銚子]]に注いで神前に侍る宮司へ渡す。それを受けた宮司は別の瓶子に注ぎ直して献じ、銚子は典供者へ返す。次に沙汰人が「お神酒を下げよ」と命じると宮司は瓶子から[[盃]]へ神酒を注いでそれを神前に残し、残りの神酒を瓶子ごと典供者へ戻す。引き続き沙汰人は宮司へ「お神酒に参られ」と伝えて共に「船阪庁」という御旅所内の参集殿へ下がり、神酒と[[柿]]を切って作った肴で[[直会]]を行う。その後宮司と沙汰人が再び神前へ戻り、沙汰人が「お典供に立て」と命じると、典供者が大[[笥]]の神饌を2膳、小笥の神饌を11膳供え(大笥は当神社祭神用、小笥は摂社祭神用(摂社の祭神は各集落の氏神11社の祭神でもある)という)、練りへと移る。若宮神社の神輿が同宿していた当時は、典供者は二手に分かれて両神輿それぞれへ供える神饌を運び、若宮神社方は巫女がこれを受けて神輿へ献饌したという。なお、現在は略されているが以前は練りの前に沙汰人の「ではおろし」という合図で撤饌が行われていた。を口に咥えて神前に神酒の満たされた瓶子2本を持参する。続いてそれを銚子に注いで神前に侍る宮司へ渡す。それを受けた宮司は別の瓶子に注ぎ直して献じ、銚子は典供者へ返す。次に沙汰人が「お神酒を下げよ」と命じると宮司は瓶子から盃へ神酒を注いでそれを神前に残し、残りの神酒を瓶子ごと典供者へ戻す。引き続き沙汰人は宮司へ「お神酒に参られ」と伝えて共に「船阪庁」という御旅所内の参集殿へ下がり、神酒と柿を切って作った肴で直会を行う。その後宮司と沙汰人が再び神前へ戻り、沙汰人が「お典供に立て」と命じると、典供者が大笥の神饌を2膳、小笥の神饌を11膳供え(大笥は当神社祭神用、小笥は摂社祭神用(摂社の祭神は各集落の氏神11社の祭神でもある)という)、練りへと移る。若宮神社の神輿が同宿していた当時は、典供者は二手に分かれて両神輿それぞれへ供える神饌を運び、若宮神社方は巫女がこれを受けて神輿へ献饌したという。なお、現在は略されているが以前は練りの前に沙汰人の「ではおろし」という合図で撤饌が行われていた。
練りはその様子から「泥鰌取り」とも呼ばれるが、沙汰人と竹井・半田の角力取りによって演じられる。演者は1人宛刀を手に採り腰に魚籠を吊して御旅所に設えられた[[土俵]]を1回りし、その間刀で地を突いて「おったー」等と言いながら[[泥鰌]]を掴んで魚籠に入れる仕草をする。その後宮主の呼び出しで角力が行われるが、先に実際の取り組みが、次いで「半角力」と呼ばれるものが行われる。取り組みは「出角力」と「待角力」に分かれ、待角力方の角力取りが先に土俵へ上がって後に上がる出角力方からの技を一方的に受け、出角力方が勝ち役を、待角力方が負け役を演じる形で7番が行われる(但し、勝敗はつかない事となっている)。半角力は1人で角力を取る所作をするもの(一人角力)で、最後は投げ飛ばされたように転がる。これは稲霊である目に見えない摩氣の神を対手とする事を表し、その神に投げ飛ばされる事で神慮を慰め、五穀の豊饒を祈るものという。半角力が済むと、竹井と今度は船阪による練りがあり、神事を終える。