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977 バイト追加 、 2024年12月29日 (日) 01:29
=== 由緒 ===
口伝によると承平7年(937)菅高左衛門尉岡臣の創建と伝える。菅高氏は菅郷内井ヶ城主であったが、霊夢に感じて城の南方8丁の幽邃の地に社殿を造営して龍神を祀ったと言われる。後年神佛習合、 口伝によると承平7年(937)菅高左衛門尉岡臣の創建と伝える。菅高氏は菅郷内井ヶ城主であったが、霊夢に感じて城の南方8丁の幽邃の地に社殿を造営して'''龍神'''を祀ったと言われる。後年神佛習合、 神官僧侶共に奉仕し龍王権現また瀧山龍王権現と称した。寛永年中(1624~44)より神官のみ奉仕。藩主池田氏の臣福田丹波守が黒坂城主であった当時から祈願所と定められ、社殿の造営等同家によって営ま れた。明治元年に村内末社の御崎、八幡宮、山ノ神、道祖神を合併して 瀧山社と改称し、同6年に瀧山神社と改称した。明治7年、19年両度 の災害を被り社殿の改築が行なわれた。(同33年完成)中菅村の氏神 である<ref>[https://tottori-jinjacho.jp/pages/802/ 瀧山神社]、鳥取県神社庁(最終閲覧日:24-12-28)</ref>。
== 私的考察 ==
黒坂、黒滝という地名より、一番当初期には、滝に住まう龍神とは黒坂、黒滝という地名より、'''一番当初期'''には、滝に住まう龍神とは[[多伎都比古命]]かそれに類する神で、「干ばつを起こす蛇神」と考えられていた、と推察する。[[石見天豊足柄姫命]]の伝承に登場する神である。2歳以下の幼児を人身御供に求めた神だったのだろう。そこから、「幼児が接近禁止」のタブーが生じていると考える<ref>何故、「黒」がつく神を干ばつ及び人身御供の神とするのか、といえば、中国神話で女神を食べてしまう天の犬の名が'''[[黒耳]]'''だからである。また一般的にイラン系の神話は「光と闇の戦い」のように言われるが、伝統的に「光」の側は「水神」で「白」、「闇」の側は「火神」で「黒」で現されることが多いからでもある。</ref>。 ただし、現在の滝山神社の祭神の中には[[多伎都比古命]](干ばつを起こす男性形の蛇神)に相当する神が目立たないように思う。敢えて上げれば、誉田別命、大山祇命には「疫神」としての性質がないわけではないのだが、広くあちこちで祀られている神であって、特に「人身御供を求める神」として敢えて強調するような個性はない。滝の龍神が男神なのか女神なのかも判然としない。子供の命を奪った[[天狗]]と神々との関連もはっきりしない。ただ、最初に祀られていたのが、[[多伎都比古命]](干ばつを起こす男性形の蛇神)に相当する神であって、これを'''「人身御供を求める神」で祟りも起こすけれども、人の役にもたってくれる神'''と定義すれば、その性質は天狗に連続して受け継がれるように思う。
== 参考文献 ==

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