『古事記』崇神天皇段では、日子坐王は天皇の命によって旦波国(丹波国)に遣わされ、玖賀耳之御笠(くがみみのみかさ)を討ったという<ref>彦坐王命(古代氏族), 2010年</ref>。
'''日子坐命'''は、五十瓊敷入彦命('''伊奈波神社'''祭神)の祖父である。美濃国を領地として、子の'''八瓜入日子'''(神大根王)と共に治山治水開発に努めたとも伝えられる。この地で亡くなり、この地に埋葬されたという。'''八瓜入日子'''は三野前国造(本巣国造)の祖とされているが、各務郡は三野後国造の領域である。
隣接する「日子坐命墓」は清水山の山麓に有り、かつて「'''岩西様'''」と呼ばれた自然石である。1875年(明治8年)、[宮内省の調査により日子坐命墓に治定され、宮内省陵墓寮の所管に移されたため、神社が現在地に移転している。
== 参考文献 ==