=== 桜王神社・阿良須神社境内社 ===
祭神:桜大刀自命。白鳳十一年秋七月七日夕、高市皇子が柳原宮に神楽を奏せしめられた時、庭上の老桜の梢に天女が舞い降り、恰も春三月のごとき花が艶然として咲いた。皇子は天下の瑞祥と喜びその古い桜のことを天女に因み姫桜と仰せられた。<br>桜大刀自命とは、さの姫桜の御神体を云うのである、という桜大刀自命とは、この姫桜の御神体を云うのである、という<ref>[https://tangonotimei.com/doc/tango/arasujj.html 阿良須神社(あらすじんじゃ)・舞鶴市小倉](最終閲覧日:24-12-22)</ref>。
=== 神明神社・阿良須神社境内社 ===
==== お松の神事 ====
陰暦の十一月十五日仁行われる。お松の神事は豊凶を占う火祭り神事である。この日、麻毅で作ったすり鉢形の大松明三本を二メートルほどの竿先につけて立て、これを早生、中生、晩生に見立てて神火をつける。その燃え方で翌年の豊凶を知る。(舞鶴市史『舞鶴地方史研究』)<ref>[http://1401-1500.wakkan.jp/1487.html 阿良須神社]、古/いにしえの面影(最終閲覧日:24-12-22)</ref></blockquote>
=== 山口神社・舞鶴市堂奥 ===
祭神は天道日女命、大山祇命。
<blockquote>当社は元は一村であった「堂奥村」「多聞院村」両村の氏神であったとされる。「多聞院村」には天蔵神社(祭神は天道日女命の子神・天香語山命)が鎮座する。<br>当地は天道日女命が老後に暮らしたとされる。「勘注系図」には「天道姫命 亦たの名 '''屋乎止女命'''(ヤヲトメノミコト)、亦たの名 '''高光日女'''たこひめ命(タコヒメノミコト)、亦たの名 '''祖母命'''也」とある。<br>「丹後國風土記」残闕の「高橋郷 本字高梯」に以下のようにある。『「高橋郷」と名付けられた所以は、天香語山命が「倉部山」山頂に神庫(ほくら)を造り種々の神宝を収蔵し、長梯を掛けていたので「高梯」と云う。峰(倉部山)の頂に天蔵と称する神祠があり天香語山命を祭る。またその山口●●国に祠があって祖母祠と称する。この国に天道日女命と称する者があって、歳老いて此の地に来居まして、'''麻を績ぎ蚕を養ひ'''、人民に衣を製する道を教えたので山口坐御衣知祖母(やまぐちにますみそしりそぼ)祠と云ふ也』<ref>[https://ameblo.jp/keith4862/entry-12608762968.html 山口神社 (舞鶴市堂奥)(改定)]、かむながらのみち ~天地悠久~(最終閲覧日:24-12-22)</ref></blockquote>
=== 日尾池姫神社・舞鶴市与保呂 ===
祭神は、天日尾神、国日尾神、天月尾神、'''国月尾神'''。式内社・笶原神社の論社か。「丹哥府志」に「笶原神社は'''今池姫大明神'''と称す」と、あるとのこと。(舞鶴市紺屋にある笶原神社の祭神は天照大神、豊受大神、月夜見神である。)'''蛇頭松姫大神'''の祠がある<ref>[http://www.norichan.jp/jinja/renai2/hioike_douta_omori.htm 日尾池姫神社 堂田神社 彌加宜神社(大森神社)]、のりちゃんず(最終閲覧日:24-12-22)</ref>。
「丹後国風土記」残闕には、
<blockquote>豊宇気大神の教えに依り伊去奈子嶽に天降った天村雲命が、豊宇気大神を祀ろうとしたが、泥水で神饌を炊くことができなかった。ここは豊宇気大神の坐します国であるから、清地を定めて大神を斎い奉らなければならないと言って母の'''天道姫命'''(天道日女命)が子の天香語山命に'''矢を授けた'''。そして矢を放ち留まったところが清き地である大神の神託があった。その矢は矢原山に到ったので、神籬を立てて豊宇気大神を遷し墾田を定めた(大意)<ref>[https://ameblo.jp/keith4862/entry-12608819012.html 日尾池姫神社]、かむながらのみち ~天地悠久~(最終閲覧日:24-12-22)</ref><ref>[https://ameblo.jp/keith4862/entry-12446037500.html 笶原神社 (改訂)]、かむながらのみち ~天地悠久~(最終閲覧日:24-12-22)</ref></blockquote>
とあるとのこと。
==== 私的考察 ====
天日尾神:天照大御神・天道姫命、(国日尾神:天火明神)、天月尾神:月夜見神・天香語山命、国月尾神:豊受大神として良いかと思う。天火明神は物部氏の饒速日尊と解している。国日尾神と天月尾神は同じ神として差し支えないのだが、敢えて太陽女神を月夜見神の上位(姉ではなく母親)としているところが海部氏のこだわりであろうか。豊受大神の夫神が天香語山命と想定されているのであれば、籠神社の奥宮である真名井神社の境内に天香語山命の石碑があるのも納得がいく。(確か昔見た記憶がある。)ということは、浦島太郎も暗に天香語山命である、という意図があるのだろうか。そして池とは地面にあるものなので、'''今池姫'''とは'''豊受大神'''のことなのだと考える。
=== 蛇切岩神社・舞鶴市字与保呂 ===
祭神は、蛇切岩。
「舞鶴市史」より引用
前半:<blockquote>昔、多門院の黒部に、姉をおまつ、妹をおしもという姉妹がいた。おまつ、おしもの二人は、いつも与保呂の奥山へ草刈りに出かけていた。そこには美しく澄み切った'''池'''があった。おまつはそこで美しい若者と出会い、恋におちて逢い引きを繰り返すようになった。<br>おまつに縁談が上がったが、娘はそれを嫌った。ある日、山でおまつは妹に「私は今日限り家に帰らぬから、あんた一人で帰っておくれ」と言い出し、どうしても帰ろうとしなかった。そして、あっという間もなく身を踊らせて、池の中へ飛び込んでしまった。同時に、空がにわかに曇って雨がざあっと降り出した。今まで静かだった池の水が波立ち、そこに池いっぱいになった大蛇の姿が忽然と現れ、おしもの方を見たあと、池底深く姿を消してしまった。<brおしもは、急いで家に帰り、一部始終を父親に告げた。父親は、どうしても娘の姿を見ずにおられない」と、与保呂奥の池畔まで駆けつけ娘の名を呼びながら泣くと、池の水が騒ぎ立っておしもが見た通りの大蛇が現れた。大蛇は父親をうらめしく見てそのまま池の中へ消えた<ref>[https://ameblo.jp/keith4862/entry-12608822733.html 丹後の原像【22. 「蛇切岩」伝説 (舞鶴市与保呂) ~前編】]、かむながらのみち ~天地悠久~(最終閲覧日:24-12-22)</ref>。</blockquote>
後半:<blockquote>それから池の主の大蛇がなんの恨みがあったか、付近に仇するとの噂が伝わってきた。与保呂村の人々はいろいろと相談の結果、'''大蛇は殺してしまうほかはない'''、ということになった。しかし、その手段がなくて困っていたところ、一人の村人が「自分が見事に退治してみせる」といい、'''モグサで大きな牛の形を造り、その中に火を点じておいて池の中へ投げ込んだ'''。大蛇は好餌とばかりこのモグサの大牛を一口に呑み下した。モグサの火は次第に牛の体一面に広がり、大蛇が苦しみ出すと、空がにわかにかき曇り、'''豪雨が沛然と降り出した'''。大蛇が苦しんでもがき回り、のたうち回るにつれて池の水は次第に増し、洪水となって流れ出した。<br>大水の中に、大蛇の死体が見つかった。それが下手の岩の所に突き当たり、大蛇の体は三つに切断された。これは、おまつの化身だ、祟りだ、ということで、三つに切れた大蛇の頭部は奥の村の日尾神社('''日尾池姫神社''')に、胴のところは行永の橋付近の田んぼの中にあるどう田の宮(堂田神社)に、尻尾は大森神社([[弥加宜神社|彌加宜神社]])に祭った。大蛇の当たって切れた岩を蛇切岩と言った。<br>以来幾百星霜、与保呂村の境内に限って松の木が一本もない。それから日尾神社向こう側の山(宮山)の一部だけには、松の木がどうしても生えない。蛇切岩の割れ目の所に必ず姫蛇がいる。それがちょうど、天気予報のように、天候によって色を変える。晴れの日にはきわだって色が白く、雨の日には茶褐色を帯びるという<ref>[https://ameblo.jp/keith4862/entry-12608871911.html 丹後の原像【23.「蛇切岩」伝説 (舞鶴市与保呂) ~後編】]、かむながらのみち ~天地悠久~(最終閲覧日:24-12-22)</ref>。</blockquote>
==== 私的考察 ====
まとめれば
天日尾神:天照大御神・天道姫命・おしも([[下光比売命]])、(国日尾神:天火明神)、天月尾神:月夜見神・天香語山命・若者・火牛、国月尾神:豊受大神・おまつ(高日売)
となろうか。丹後の伝承の特徴は、誰か高位の女神(主に太陽女神)が下位の女神を人身御供や斎宮に選ぶ、という点にあると思う。おまつは姉だけれども、殺される女神([[保食神]]系の女神、[[吊された女神]])として選ばれ、おしもがそれを選んだ、と暗に意味を含むと解すべきか。ただし、そのような表現は避け、おまつが勝手に若者と恋中になったように書かれている。おしもとは[[下光比売命]]のことであり、[[養母としての女神]]であって、出雲の太陽女神と考える。
伊香保姫の説話([[意岐萩神]]の項を参照のこと)にも感じたが、物部氏、海部氏共に、「生き残った女神([[下光比売命]]的な女神)」に対する忠誠心が非常に強いと感じる。
「志楽郷」については、天地悠久氏の[https://ameblo.jp/keith4862/entry-12406547624.html 考察]と同様、海部氏にとって丹後での「故地」とも言うべき重要な地だったのだろう、と考える。
=== 堂田神社・舞鶴市八反田南町 ===
祭神は不明。「与保呂川」が大きく湾曲する地点にある<ref>[https://ameblo.jp/keith4862/entry-12739614733.html 堂田神社 (どうたの宮)]、かむながらのみち ~天地悠久~(最終閲覧日:24-12-22)</ref>。南町の隣に「亀岩町」という町名が見える。かつては川の中に「亀岩」という岩があったと思われる。
=== 磯砂山 ===
=== 乙女神社 ===
祭神は豊宇賀能賣神。京丹後市峰山町鱒留にある神社。磯砂山の麓である。祭神は豊宇賀能賣神。
<blockquote>比治山に八人の天女が舞い降り、水浴びをしていた。'''三右衛門'''(さんねも)という猟師が一人の天女の衣を家に持ち帰った。羽衣を返して欲しいと天女が懇願するも「家宝にする」と言って返さない。天女はとうとう諦め、さんねもの妻となり三人の娘をもうけた。<br>天女は美しいばかりでなく、蚕飼いや機織り、米作りや酒造りを教え、村は豊かになり人々は幸せに暮らした。ところが天女は天が恋しくてたまらず、ある日隠してあった羽衣を見つけ三人の娘を残して天に帰った。悲しむさんねもに「七日七日に会いましょう」と天女は言い残したが、様子を窺っていた天邪鬼が「七月七日に会いましょう」とさんねもに教えた。それでも嘆き悲しむさんねもに、天女は夕顔の種を渡した。種を蒔くと、つるは天にまで伸び、さんねもはつるを登った。そこは天上の世界、天女はせっかく来てもらったのだから、「天の川に橋をかけて下さい」とさんねもに請う。「ただしその間、私のことを思い出さないで下さい。そうでないと一緒に暮らすことはできません」と。さんねもは一生懸命に橋をつくり、もう少しで完成というとき嬉しさのあまり、天女の姿を頭に思い浮かべてしまった。すると天の川は氾濫し、さんねもは'''下界に押し流されてしまった'''。</blockquote>
** [[三穂津姫]]:豊受大神と同じく天女として現される場合がある。
* [[月の輪田]]
* [[蛇頭松姫大神]]:与保呂川に関する女神で、豊受大神と近似した神と考える。
* [[大宜都比売]]
* [[下光比売命]]:高光日女の別名ではないだろうか。
== 「ウケ」に関する神 ==