神明山古墳の後ろの牧ノ谷集落に、鬼神塚と刻した丸長の石が、集めておいてある場所がある。麻呂子親王に討伐された鬼の身体を、三十数体にバラバラにし、それぞれを塚(墓)にしたといわれており、その墓が一基見つかったが、他は皆壊れ、江戸時代に鬼神塚と刻した丸石七個が、新たにここに集められたものをまとめたそうだ。それが今の鬼神塚だそうです。12月の丑の日には、竹野神社に伝わる神事であり奇祭である鬼祭りが行われ、今でも鬼の供養が続けられている<ref>[https://www.uminokyoto.jp/feature/detail.php?spid=81 鬼の京都:鬼伝説とゆかりのスポット]、海の京都(最終閲覧日:24-12-19)</ref>。
=== 太鼓山の雨乞い ===
太鼓山の名は、その昔、雨乞いを願う村人たちが太鼓を打ち鳴らし、鴨池の周辺を回って踊りを奉納したことによると言われている<ref>[https://kitayamawa.exblog.jp/6026708/ 風車の回る太鼓山(683m)-京都府下の一等三角点めぐり(その3)]、山好き的日々@京都北山(最終閲覧日:24-12-19)</ref>。
== 文化財 ==