明治初年まで雨乞いのナデモ踊「本なもで」が興行されていた。
=== 南淵の雨乞い ===
皇極紀元年(642年)のこと、雨乞いのため、祝部(はふりべ)の教えに従い牛馬を殺して生贄とし神に祈ったが効果が無かったので、七月二十七日、蘇我蝦夷が百済大寺で仏式による雨乞いを行う。しかし、これは小雨に終わった。同年八月一日、皇極天皇が雨乞いを行っている。「天皇、南淵(みなぶち)の河上に幸(いでま)して、跪(ひざまづ)きて四方(よも)を拝む。天を仰ぎて祈(こ)ひたまふ。即ち雷なりて大雨ふる。遂に雨ふること五日。あまねく天下を潤す。」(日本書紀)とある。皇極天皇が雨乞いをした場所「南淵の河上」とは、当神社の可能性が高いとのこと。
== 参考文献 ==