'''三穂津姫'''(ミホツヒメ)は、日本神話に登場する女神。三穂津姫尊、御穂津姫命とも書く。高皇産霊尊の娘で、大物主神あるいは大国主神の后。(ミホツヒメ)は、日本神話に登場する女神。三穂津姫尊、御穂津姫命とも書く。[[高御産巣日神|高皇産霊尊]]の娘で、大物主神あるいは大国主神の后。
== 概要 ==
古くは御蔭山を神体山として祀る信仰があったとされる。祭神の大国主神については、一般には出雲国の出雲大社(杵築大社)から勧請したとされている<ref>『京都府の地名』・『国史大辞典』等の百科事典の記載に拠る。『徒然草』 第236段においても出雲大神宮について「大社をうつして、めでたく造れり。」と記している。</ref>。ただし社伝では逆に、出雲大社の方が出雲大神宮より勧請を受けたとし、「元出雲」の通称がある。社伝では、『丹波国風土記』逸文として「元明天皇和銅年中、大国主神御一柱のみを島根の杵築の地に遷す」の記述があるとする<ref name="saijin">[http://www.izumo-d.org/history/gosaijin.htm 「御祭神」] , https://web.archive.org/web/20100316060124/http://www.izumo-d.org/history/gosaijin.htm, 2010年3月16日(出雲大神宮公式サイト)。</ref>(ただし、社伝で主張するのみでその逸文も不詳)。
鎮花祭が行われている。旧暦の3月は、花の散る時期で、昔から花が散る頃に疫病が起こると言われていた。花が飛散する時期に疫病が広まらない為に鎮花祭が、平安時代から宮中において盛んに行われたと言う。鎮花祭では、[[鎮花祭]]が行われている。旧暦の3月は、花の散る時期で、昔から花が散る頃に疫病が起こると言われていた。花が飛散する時期に疫病が広まらない為に鎮花祭が、平安時代から宮中において盛んに行われたと言う。鎮花祭では、'''出雲風流花踊り'''がある。
花踊りは雨乞いの踊りでもあり、笹踊りや浴衣踊りとも呼ばれていた。たびたび、この地は'''旱魃'''に苦しめられていた。雨乞いの為、人々は…最初は御神体である'''御蔭山で大火'''を。それでダメなら、次に極楽寺の雨乞い観音に水をかけ。それでもダメなら、浴衣姿で雨乞いの踊りを行ったとのこと<ref>[https://satoaruki.web.fc2.com/kyoto/04/hanasizume14.html 鎮花祭(出雲大神宮)](最終閲覧日:14-12-09)</ref>。
=== 御穂神社 ===
御穂神社(静岡県静岡市清水区三保)・羽車神社(御穂神社の離宮) - 主祭神、三保の松原の入り口にある。大己貴命(ここでは別名を三穂津彦命としている)とともに祀られており、「羽衣の松」と縁が深い(三穂津彦命、御穂津姫命という表記もあり)。主祭神、三保の松原の入り口にある。大己貴命(ここでは別名を'''三穂津彦命'''としている)とともに祀られており、「羽衣の松」と縁が深い(三穂津彦命、御穂津姫命という表記もあり)。
三保松原には、天女が羽衣をかけたという「羽衣の松」があり、羽衣の松から御穂神社社頭までは松並木が続くが、この並木道は羽衣の松を依代として降臨した神が御穂神社に至るための道とされ「神の道」と称される<ref>御穂神社(神々), 1987年</ref>。現在でも筒粥神事では海岸において神迎えの儀式が行われるが、その際に神の依りついたひもろぎは松並木を通って境内にもたらされる<ref>御穂神社(神々), 1987年</ref>。これらから、御穂神社の祭祀は海の彼方の「常世国」から神を迎える'''常世信仰'''にあると考えられている<ref>御穂神社(神々), 1987年</ref>(?)。
物部氏系の神社なので、広瀬大社の'''若宇加能売命'''と同じ女神かもしれないと思う。
=== 飛鳥神奈備三日女神 ===
[[加夜奈留美命]]、[[宇須多伎比売命|宇須多岐比女命]]、[[不足留比女命]]。飛鳥神社の主祭神である。飛鳥神社は、奈良県奈良市北京終町にある神社。一般に'''京終天神社'''、他に'''紅梅殿神社'''、'''平城坐飛鳥神社'''とも呼ばれる<ref>奈良市史 社寺編, p147</ref><ref>奈良県史 5 神社, p268</ref>。養老二年八月<ref>境内に残る木製の由緒案内板の記載によると、遷宮は和銅3年(711年)</ref>。大和國高市郡飛鳥村の飛鳥神社の御祭神を、平城の新都左京四條七坊飛鳥の丘に、南都元興寺の鎮守社として奉遷、鎮祭したことをもって創建された。
'''不足留比女命'''(ふたるひめのみこと)は、「布都比売」の変化したものではないだろうか。
== 私的考察 ==
「三穂」と表されるように、三女神を習合させた性質が強い女神なのではないだろうか。死して再生した後の大国主命の妻とされる。再生後の大国主命は、[[須佐之男命]]の権威を手に入れた、地上における[[須佐之男命]]の代理人としての性質が強い。要は「'''疫神'''」である。丹後[[豊受大神|乙女神社]]に伝わる伝承でも、主人公の「さんねも」は最後に水に流されて天から転落する。
妻とされる'''三穂津姫'''は「厄払いの女神」であってもおかしくなく、美保神社では「田の虫除けの神」の主体だったとしても不思議ではない。その場合は、広瀬大社の[[洪水神話・中国|若宇加能売命]]と似た性質の女神だったと思われる。その場合の大国主命は'''穂雷命'''に相当しているともいえる。
美保神社の本来の祭神が大国主命と沼河比売の子神だったとすれば、これは'''建御名方神と御穂須須美命を同一のものとする'''、という暗喩であると同時に、彼らの母女神と思われる'''沼河比売と三穂津姫も同一である'''、という暗喩ではないだろうか。
ただし、出雲大神宮、三輪山信仰関連では、[[鎮花祭]]の主体と思われ、この女神は夫神と共に「'''疫神'''」として扱われているように思う。
== 参考文献 ==
== 関連項目 ==
* [[狭穂姫命]]:記紀神話の女神。おそらく同一の女神であろう。[[燃やされた女神]]。** [[佐保姫]]:同じ女神と考える。* [[鎮花祭|狹井女神]]:狹井坐大神荒魂神社の本来の祭神女神と考えられる。弥富都比売神と非常に近似した女神ではないか。疫神としての性質を持つ。** [[鎮花祭]]:春に行う女神(疫神)を鎮める祭。* [[井氷鹿]]:性質の近い女神かもしれない。** [[蛇頭松姫大神]]:おそらく[[井氷鹿]]と同じ女神。* [[ミホススミ]] - 『出雲国風土記』嶋根郡美保郷条に登場する、同じく名にミホを冠する神。オオナモチとヌナガワヒメとの間に生まれた。:『出雲国風土記』嶋根郡美保郷条に登場する、同じく名にミホを冠する神。オオナモチとヌナガワヒメとの間に生まれた。* [[乙子狭姫]]:岩見の女神。おそらく近い関係の女神であろう。[[養母としての女神]]。* [[豊受大神]]:少なくとも丹後・丹波では同一の女神と考える。:少なくとも丹後・丹波では、天女として表されるなど、同一の女神と考える。* 沼河比売:越の女神。同一のものとしようとする意図があるのではないか。* [[洪水神話・中国]]:広瀬大社について
== 外部リンク ==
[[Category:日本神話]]
[[Category:吊された女神]]
[[Category:星神]]