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:三年がたち、島子に里心がつくと、女性は悲しむが、彼女との再会を望むなら決して開けてはならない玉匣(たまくしげ)(箱)を授けて送りだす。郷里を訪ねると家族の消息は得られず、水江の浦の島子<!--蘆屋の訓じ方「水江の浦の島子」-->という人が300年前に失踪したと伝わる、と教えられる。約束を忘れて箱を開けると、何か美しい姿が雲をともない天上に飛び去って行った。そこで島子は女性と再会できなくなったことを悟るのである<ref name="fudoki-yomikudashi">蘆屋, 1936, p183-187: 丹後国風土記逸文の読み下し</ref>。
 
== 神奈川県横浜市神奈川区に伝わる話 ==
神奈川県にある通称「浦島寺」と結びつく伝説は次のようなものである:
 
:昔、相模国三浦に浦島太夫とよばれる人がおり、彼は仕事のため丹後国に赴任していた。その息子である太郎は、亀が浜辺で子供達にいじめられているところに出会う。(全国版と同じなので中略)竜宮の乙姫から授かった玉手箱と観音像を持って太郎が丹後に帰ると、そこに両親のゆかりの跡はなく、太郎は<!--ある漁師から(道すがりの老人から)-->両親の墓は武蔵国白幡(現・横浜市神奈川区の東部)にあると聞かされる。
 
:老人となった太郎は、白幡の峰<!--子安の浜 (確認できない)-->に行き、両親の墓を探したが、なかなか見つけられない。それを見かねた乙姫は、松枝<ref>乙姫が枝に光を照らしたとされる龍燈の松は、<!--大正時代に枯死 no ref-->鉄道開通時に伐られたとされる</ref>に明かりを照らして場所を示した。やっとのことで墓を見つけた太郎はその地に庵を結び、観音像を安置した。太郎の死後、その庵は観福寺(浦島院観福寿寺)となった<ref>萩坂昇, よこはまの民話, むさしの児童文化の会, 1976, 神奈川の民話, p97-103</ref><ref>小島瓔礼, 武相昔話集: 神奈川|, 岩崎美術社, 1981, p71</ref>。
== 参考文献 ==

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