後者の宗教に絡んだ集団自殺行為では、供物として神に捧げられるというよりも、死ぬ事で理想化された死後世界に到達する(人民寺院の集団自殺事例など)という事例かもしれない。一人で自殺することが嫌な教祖的立場の者が、敢えて共に自殺する仲間を作って、神の名を借りて信者を死に追いやったのであれば、これは'''教祖を満足させ、慰撫するための'''人身御供だったとも言えなくはないだろうか。
時代が下ると、'''人身御供'''とは神を敬い慰撫する行為ではなく、神や権力の名を借りた特定の集団や個人を'''満足させ、慰撫するためのもの'''へと変化していくようである。
== 東アジア ==