=== 人間を助ける ===
* [[秋田県]]の[[横手盆地]]が湖であったので[[鳥の海の干拓|干拓事業]]を行った際、ダイダラボッチが現れて水をかき、泥を掬ったため工事がはかどった(鳥の海の干拓伝説)秋田県の横手盆地が湖であったので干拓事業を行った際、ダイダラボッチが現れて水をかき、泥を掬ったため工事がはかどった(鳥の海の干拓伝説)<ref name="A">[http://namahage.is.akita-u.ac.jp/monogatari/show_detail.php?serial_no=1869 秋田の昔話・伝説・世間話 口承文芸検索システム 鳥の海の干拓]</ref>。このダイダラボッチは[[秋田市]]の[[太平山三吉神社]]の化身と考えられている{{r|A}}。[[太平山 (秋田県)|太平山]]及び山麓の[[太平 (秋田市)|太平]]地区の名は現在「たいへい」と読まれるが、[[明治]]期までは「おいだら」と読まれており、由来を巨人「オイダラボッチ」であるとする説(秋田の今と昔)がある。。このダイダラボッチは秋田市の太平山三吉神社の化身と考えられている。太平山及び山麓の太平地区の名は現在「たいへい」と読まれるが、明治期までは「おいだら」と読まれており、由来を巨人「オイダラボッチ」であるとする説(秋田の今と昔)がある。* 昔、[[東信地方|東信濃]]は[[湖]]の底だったが、デイラボッチは「[[岩鼻 (長野県)|岩鼻]]」という山を砕き水を排出し、[[平地]]を作った。それから後、その土地を、大佐久(南北佐久)と小佐久(小県)と言うようになった昔、東信濃は湖の底だったが、デイラボッチは「岩鼻」という山を砕き水を排出し、平地を作った。それから後、その土地を、大佐久(南北佐久)と小佐久(小県)と言うようになった<ref>『佐久口碑伝説集南佐久編限定復刻版』発行者長野県佐久市教育委員会、全332頁中 105頁、昭和53年9月20日発行。</ref><ref group="*">大鼠が岩鼻を食い破ったことで湖水が排水されたとする伝説もある(『日本伝説叢書 信濃の巻』[{{, NDLDC|, 953569/106}} 157] - [{{NDLDC|, 953569/107}} 159ページ])。, 159ページ)。</ref>。
* [[茨城県]][[水戸市]]大足(おおだら)は、土地の西南にあった山のおかげで村は一日の半分は日陰になり、日が早く暮れてしまい困っていた。そこでダイダラボッチ(この地方ではダイダラボウと呼称)は村人のために山をどけてあげた。しかし、山をどけた跡の土地がえぐれてしまい、雨が溜まるようになったので、川をつくり沼底をさらって水が流れるようにした。どけた山は水戸市・[[笠間市]]・[[東茨城郡]][[城里町]]に跨がる朝房山、作った川と沼は桜川、[[千波湖]]である<ref>{{cite journal|和書|title=「ダイダラ坊」考|author=今瀬文也|journal=茨城の民俗|issue=31|date=1992-12|pages=36-46|publisher=茨城民俗学会}}</ref>。