<blockquote>1、昔、ある宿営地に美しい娘がいて、トナカイの群れを飼っていた。ある真っ暗な晩、トナカイの群れを追って歩いていると、ふいに一頭のトナカイが叫んだ。「早く隠れるんだ。月があなたを天に引っ張っていこうとしてる!」トナカイは娘を大きな雪の吹きだまりの中に隠した。月がやってきて娘の姿を探したが見つからなかった。<br>2、しばらくすると、トナカイは「また月がやってくる」と言って、今度は娘を火に変身させた。月は娘を捕まえようとしたが、熱くて捕まえられなかった。<br>3、娘はもとの姿に戻って月を捕まえて縛り上げた。月は泣いて「もう2度と地上に来ない。夜になったら人間のために道を照らすっから。」と言った。娘は月がかわいそうになったので放してやった(ガナサン、ロシア)<ref>世界の太陽と月と星の民話、日本民話の会・外国民話研究会編訳、三弥井書店、2013、p133-135</ref>。</blockquote>
これはガナサン人というロシア先住民の伝承なのだが、月とはどうやら地上に娘をさらいに'''降りてくる'''もののようだ。この部分は、どことなくギリシア神話のハーデースがプロセルピナをさらう場面を彷彿とされるが、娘がさらわれる場所は地下の底ではなく、月の世界なのだ。とても興味深いのだけれども、このトナカイ女神には三柱の女神の姿が含まれているように思う(もののようだ。この部分は、どことなくギリシア神話のハーデースがプロセルピナをさらう場面を彷彿とさせるが、娘がさらわれる場所は地下の底ではなく、月の世界なのだ。とても興味深いのだけれども、このトナカイ女神には三柱の女神の姿が含まれているように思う([[総論・女神]]を参照のこと)。* 1、トナカイが隠して助けた娘([[燃やされた女神]])* 2、火に変身した娘([[吊された女神]]・逃走女神)* 3、自ら月を捕まえて、その邪悪さを鎮めた娘([[養母としての女神]])である。西欧には広く、「'''月は狂気をもたらすもの'''」という考え方が存在していたし、シベリアから北東アジアにかけても'''月は何らかの邪気や陰気を含む存在'''だと考えられていたのではないだろうか。それを野放しにしておくと、人々に害をもたらすのだ。季節の節目などに、地上で厄払いに火を燃やすのは、それが月に限らなくても、何らかの邪気の力を弱めて追い払い、鎮めるために行う祭祀なのだろう。朝鮮の「タルチッテウギ」は、 '''年の変わり目に月が降りてくるので、その穢れを払い、天に戻す''' という祭祀なのではないだろうか。厄を払って、ついでに願いもかないますように、という意味ではないだろうか。中国では「年がかわる時、魔物が出没する」との言い伝えがあり、この魔物を「夕」といった。「'''夕'''」の本来の意味は、日が沈み、月が昇るとき、である。すなわち、この魔物が「月」なのである。この魔物は人間の生肉の味、特に子供を好む、とのことである。若い娘の肉も好物であろう。 === 日本の場合・間違いだらけ? ===ガナサン人の伝承と比較して検討した場合、[[歳徳神]]は2と3のトナカイ娘に相当するように思う。「厄を払う火の女神」である。岐の神の二神は1のトナカイ娘とトナカイの組み合わせであろう。彼らを燃やして殺してしまったら、'''まさに厄神の喜ぶところ'''、といえる。「どんど焼き」とは、'''火で厄を払う[[歳徳神]]が、厄神を焼いて鎮めてくれる'''、としなければ正しい厄払いの祭祀にならないのではないだろうか。彼女を燃やして殺してしまったら、それもまた'''厄神の喜ぶところ'''である。 === 炎黄と三女神的には ===「娘に捕らえられた月」では、[[炎帝]]が「'''月'''」、[[黄帝]]が「トナカイ」と解せると思う。
== 関連項目 ==