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=== 韓国 ===
中国では、旧暦1月15日満月に祝うのは「元宵節」だが、韓国の小正月「テボルム」にはどんど焼きに似た「タルチッテウギ」(「月の家を燃やす」行事、달집태우기|달집태우기)があり<ref>https://www.konest.com/contents/korean_life_detail.html?id=587, 韓国のテボルム:タルチッテウギ, KONEST, 2023-02-09</ref>、都市部では火事の懸念から現在は一般に禁止されているが、ソウルでも市街地を離れると行われている<ref>https://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20230206012007, 정월대보름맞이 ‘달집 태우기’(2023), ko, ソウル新聞|서울신문, 2023-02-06, 2023-02-08</ref>。
 
 
この行事は『달집(タルチッ)とは 「月の家」、태우기(テウギ)は 「燃やすこと」。竹や松の枝、ワラなどを高く積み上げ、月が昇る東の方向に門を付けた 「タルチッ」 に火をつける。月が昇る時刻に合わせて行われる。旧暦1月15日の月は豊穣の象徴で、火があらゆる不正や邪悪を消してしまうという浄化の象徴でもある。<ref>[https://dilbelau2.hamazo.tv/e5970673.html “月の家” を燃やす]、Busan nikki 2 (2014~)(最終閲覧日:24-11-30)</ref>』とのことだ。
== その他の呼ばれ方 ==
== 私的解説 ==
どんど焼きにおいては、[[歳徳神]]と「塞の神」あるいは「岐の神」というのは「'''同じ神'''」という扱いであるようだ。」という扱いであるようだ。ただ、「道祖神」というと、管理人のイメージでは安曇野のもののように「'''男女一対'''」で表されるものだし、もっと一般的に広く「道の神」といえば猿田彦という男性形の神が当てはまると思うので、「[[歳徳神]]」が女神だとすると、これらを「'''同じ神'''」と呼ぶのは、いささか違和感を覚える。また、富山県の「塞の神まつり」のように、由来では「川から人形が流れてきた」とあり、これを疫神と恐れて燃やしたことが始まりのように言われているのに、何故か「'''男女一対の塞の神'''」を作って、これを燃やしてしまうことにも違和感を感じる。境界を守ってくれる神々がいなくなったら逆に疫神は村に入り放題になってしまうのではないだろうか。 これは本来「火の力」、すなわち「太陽の力」が弱った冬季に、疫病神が共同体に入らないよう、'''境界などを火で炊いて清める'''ことで共同体を守る、という祭祀だったのではないだろうか。そのために疫病神をそのまま焼いて「炊き上げる」のが本来の祭りの姿だったかもしれないと考える。例えば鹿児島の「鬼火たき」はまさにこのような例で、「'''正月の七日に大やぐらを焼いて、正月飾りについてきた悪霊を追い払う'''」祭りだとのことである<ref>[https://www.pref.kagoshima.jp/al01/event/nannsatu/r5-1-6-onibitakinansatu.html 鬼火たき]、鹿児島県HP(最終閲覧日:24-11-26)</ref>。 朝鮮の「タルチッテウギ(月の家を燃やす)」は火祭りだし、厄払いの祭りであることもどんど焼きと似ているのだが、「月の家を燃やす」とは、どういう意味なのだろうか、と管理人は悩んだ。行事は月が昇るのに合わせて行われる、とのことだが、月は天にあるものなのに、何故地上に家を作ってやらねばならないのか、そしてそれを燃やしてしまわなければならないのかが分からない。清めるために燃やしてしまうのであれば、わざわざ地上に月の家を作ってやる必要があるのだろうか、と思う。各地の神話を調べた結果、以下のような伝承を見つけた。 === 娘に捕らえられた月 ===<blockquote>1、昔、ある宿営地に美しい娘がいて、トナカイの群れを飼っていた。ある真っ暗な晩、トナカイの群れを追って歩いていると、ふいに一頭のトナカイが叫んだ。「早く隠れるんだ。月があなたを天に引っ張っていこうとしてる!」トナカイは娘を大きな雪の吹きだまりの中に隠した。月がやってきて娘の姿を探したが見つからなかった。<br>2、しばらくすると、トナカイは「また月がやってくる」と言って、今度は娘を火に変身させた。月は娘を捕まえようとしたが、熱くて捕まえられなかった。<br>3、娘はもとの姿に戻って月を捕まえて縛り上げた。月は泣いて「もう2度と地上に来ない。夜になったら人間のために道を照らすっから。」と言った。娘は月がかわいそうになったので放してやった(ガナサン、ロシア)<ref>世界の太陽と月と星の民話、日本民話の会・外国民話研究会編訳、三弥井書店、2013、p133-135</ref>。</blockquote> これはガナサン人というロシア先住民の伝承なのだが、月とはどうやら地上に娘をさらいに'''降りてくる'''もののようだ。この部分は、どことなくギリシア神話のハーデースがプロセルピナをさらう場面を彷彿とさせるが、娘がさらわれる場所は地下の底ではなく、月の世界なのだ。とても興味深いのだけれども、このトナカイ女神には三柱の女神の姿が含まれているように思う([[総論・女神]]を参照のこと)。* 1、トナカイが隠して助けた娘([[燃やされた女神]])* 2、火に変身した娘([[吊された女神]]・逃走女神)* 3、自ら月を捕まえて、その邪悪さを鎮めた娘([[養母としての女神]])である。西欧には広く、「'''月は狂気をもたらすもの'''」という考え方が存在していたし、シベリアから北東アジアにかけても'''月は何らかの邪気や陰気を含む存在'''だと考えられていたのではないだろうか。それを野放しにしておくと、人々に害をもたらすのだ。季節の節目などに、地上で厄払いに火を燃やすのは、それが月に限らなくても、何らかの邪気の力を弱めて追い払い、鎮めるために行う祭祀なのだろう。朝鮮の「タルチッテウギ」は、 '''年の変わり目に月が降りてくるので、その穢れを払い、天に戻す''' という祭祀なのではないだろうか。厄を払って、ついでに願いもかないますように、という意味ではないだろうか。中国では「年がかわる時、魔物が出没する」との言い伝えがあり、この魔物を「夕」といった。「'''夕'''」の本来の意味は、日が沈み、月が昇るとき、である。すなわち、この魔物が「月」なのである。この魔物は人間の生肉の味、特に子供を好む、とのことである。若い娘の肉も好物であろう。 === 日本の場合・間違いだらけ? ===ガナサン人の伝承と比較して検討した場合、[[歳徳神]]は2と3のトナカイ娘に相当するように思う。「厄を払う火の女神」である。岐の神の二神は1のトナカイ娘とトナカイの組み合わせであろう。彼らを燃やして殺してしまったら、'''まさに厄神の喜ぶところ'''、といえる。「どんど焼き」とは、'''火で厄を払う[[歳徳神]]が、厄神を焼いて鎮めてくれる'''、としなければ正しい厄払いの祭祀にならないのではないだろうか。彼女を燃やして殺してしまったら、それもまた'''厄神の喜ぶところ'''である。 === 炎黄と三女神的には ===「娘に捕らえられた月」では、[[炎帝]]が「'''月'''」、[[黄帝]]が「トナカイ」と解せると思う。
== 関連項目 ==

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