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甘基王(ガンジ王)は、槃瓠のトーテムがなぜカエルになったかという縁起譚? というか、[[黄帝]]([[羿]])と[[祝融]]の事績が入り交じって大混乱しているけれども、「'''[[黄帝]]([[羿]])と[[祝融]]が父子だった'''」ということはきちんと書かれている話と考える。前半はロスタムとソフラーブ的だし、ガンジが生まれ変わる点はディオニューソス的だし、ガンジの故事は父親の[[槃瓠]]([[黄帝]]・[[羿]])のものだし、色々な神話の起源としても重要だと考えるが、「'''神話をどう作り替えていくか'''」という作業の起源としても重要かもしれないと思う。興味深い話である。ともかく、「'''皮を被る神'''」は要注意と考える。この話の場合、タン・ファダンと皇帝は同じものといえる。
ガンジが龍衣を着て、天の神・火雷神になり、槃瓠父が逆に「息子のカエル」とされてしまったのが、壮族の「雷神とカエル」といえようか。こちらのカエルは皮を被っていない、本物のカエルといえるのではないだろうか。ガンジが龍衣を着て、天の神・火雷神になり、槃瓠父が逆に「息子のカエル」とされてしまったのが、壮族の「雷神とカエル」といえようか。こちらのカエルは皮を被っていない、本物のカエルといえるのではないだろうか。カエル息子の父親の[[羿]]のトーテムも'''蛙'''であり、敵を倒して王女と結婚する英雄も本当は犬でもあり'''蛙'''でもある、とすれば、'''槃瓠'''のトーテムも'''蛙'''になって、かつ槃瓠は[[羿]]であり、水雷神の[[黄帝]]である、ということになりはしないだろうか。タン・ファダンが息子を殺すのは、[[黄帝]]と[[蚩尤]]([[祝融]])の争いを表しているものといえる。
== 参考文献 ==

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