個人的には「'''板舉'''」を「'''いたあ'''」と呼んだ人々がいたのではないか、と考える。後で述べるように、'''伊多波刀(いたはと)神社'''という神社があり、そこに御倉板舉神と対になる'''[[伊豆能売]]'''が祀られているからだ。「'''いたあ'''」が「'''いたは'''」となり、「いたは の じんじゃ」という意味で伊多波刀神社となったのではないだろうか。「いたあ」とか、
「いたは」というのは「'''おたあさん'''」という言葉の通じ、「母」を意味すると考える。
またあるいは、「戸」が北斗の「'''斗'''」という意味であるのなら、「'''王権の象徴である首飾り'''」とは「'''北斗七星'''」のことでもあったのではないか、と考える。
山梨県富士川・釜無川流域には「'''宇波戸神社'''」という神社がいくつかある。こちらは諏訪の建御名方富命を祭神とすることが多い神社のように感じるが、神社の名前の「'''うは'''」の意味は「母」とか「婆」ではないのだろうか。