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628 バイト追加 、 2024年11月17日 (日) 17:24
'''姜嫄'''(きょうげん)は、[[周]]の祖である'''周の祖'''である[[后稷]](弃)の母<ref>{{kotobank|2=}}</ref>。(弃)の母。
== 概略 ==
『[[史記]]』周本紀では「姜原」とし、有邰氏の娘とされ、[[嚳|帝嚳]]の元妃であるとされる。『[[列女伝]]』母儀伝では、姜嫄は邰侯の娘とされ、[[堯]]のときの人物とされる。『史記』周本紀では「姜原」とし、有邰氏の娘とされ、帝嚳の元妃であるとされる。『列女伝』母儀伝では、姜嫄は邰侯の娘とされ、堯のときの人物とされる。
『史記』周本紀によると、姜原は野に出て、巨人の足跡を見た。面白がってこれを踏んだところ、身体の動きが妊婦のようになった。時期が来て子を産んだが、姜原はこの子を不祥とみなした。子を隘巷に捨てたが、馬や牛の通り過ぎる者もみな避けて踏もうとしなかった。林中に移して置こうとしたが、山林で多くの人と出くわしたので、場所を変えた。渠中の氷の上に捨てたが、飛ぶ鳥がその翼でこの子を覆い暖めた。姜原は神秘を認めて、この子を拾い育てた。初めに弃(棄)てようとしたことから、「弃」と名づけたという。『史記』周本紀によると、姜原は野に出て、巨人の足跡を見た。面白がってこれを踏んだところ、身体の動きが妊婦のようになった。時期が来て子を産んだが、姜原はこの子を不祥とみなした。'''子を隘巷に捨てた'''が、馬や牛の通り過ぎる者もみな避けて踏もうとしなかった。林中に移して置こうとしたが、山林で多くの人と出くわしたので、場所を変えた。渠中の氷の上に捨てたが、飛ぶ鳥がその翼でこの子を覆い暖めた。姜原は神秘を認めて、この子を拾い育てた。初めに弃(棄)てようとしたことから、「弃」と名づけたという。
『列女伝』母儀伝によると、姜嫄は遊行して、巨人の足跡を発見し、面白がってこれを踏んだ。帰って妊娠が発覚した。卜筮して天を祀り、子が産まれないように願ったが、結局生まれてしまった。姜嫄はこの子を不祥とみなし、子を隘巷に捨てたが、牛や羊もみな避けて踏もうとしなかった。そこでこの子を平林に移したが、林で木を切る樵夫たちがこの子に敷物をし覆いをかぶせた。そこでこの子を寒氷の上に捨てたが、飛ぶ鳥がこの子をその翼で抱き暖めた。姜原は異常を認めて、この子を拾って帰り、「弃」と名づけたという。
姜嫄の「姜」は「[[羌]]」と同じで、西方の[[遊牧民]]を意味し、[[古公亶父]]は、[[戎]]・[[北狄|狄]]に攻められて[[岐山県|岐山]]の下に移り、はじめて[[戎]]・[[北狄|狄風]]の生活形態である[[遊牧民|遊牧]]を改めて、[[都市]]を建設した姜嫄の「姜」は「羌」と同じで、西方の遊牧民を意味する。<s>(古公亶父は、戎・狄に攻められて岐山の下に移り、はじめて戎・狄風の生活形態である遊牧を改めて、都市建設した。北方狩猟民出身の殷を倒して取って代わった周が、西方遊牧民出身であることは明白である)<ref name="岡田英弘"/s>。北方狩猟民出身の[[殷]]を倒して取って代わった周が、西方遊牧民出身であることは明白である<ref name="岡田英弘">{{Cite book|和書|author=岡田英弘|authorlink=, 岡田英弘|date=, 2005-09-16|title=, だれが中国をつくったか|series=[[, PHP新書]]|publisher=[[, PHP研究所]]|, isbn=:978-4569646190|page=29|url=|quote=}}, p2</ref>。
『詩経』の大雅生民や魯頌閟宮にも、また姜嫄の伝説が謡われている。 == 私的解説 ==「子供を捨てる」型の女神である。'''姜'''というのは炎帝と同じ姓なので、長江流域出身の女神と管理人は考える。息子の[[詩経后稷]]』の大雅生民や魯頌閟宮にも、また姜嫄の伝説が謡われている。の性質も炎帝に似る。 母親が、「巨人の足跡」に感応して妊娠した点は、后稷の父親が'''巨人'''であることを示す。おそらく、ミャオ族神話の'''アペ・コペン'''に類する神と想像する。 母親が后稷を捨てる点は、おそらく母親が出産時に「死んでいた」ことの神話的表現と考える。后稷に火神としての性質があったので、「母親は焼け死んでしまった」との暗喩ではないだろうか。
== 関連項目 ==
* [[燃やされた女神]]:管理人は子供を捨てる母神もここに含めている。* [[天甕津日女命]]:日本神話で姜嫄に相当する女神。賀茂氏の祖。:日本神話で姜嫄に相当する「子供を捨てる」女神。賀茂氏の祖。* [[豊玉毘売]]* [[后稷]]
== 脚注 ==

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