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577 バイト追加 、 2024年11月16日 (土)
== 阿豆良神社 ==
愛知県一宮市にある阿豆良神社(尾張国丹羽郡式内社の阿豆良神社)。祭神は天甕津日女命(天甕津媛命)であり、阿豆良神社には以下の社伝がある。
*垂仁天皇の皇子品津別皇子は、7歳になっても言葉が話せなかったという。皇后の夢の中に天甕津媛命が現れ、「今まで私を誰も祀ってくれない。祠を立て神に祭るなら、皇子は言葉を話せるようになり、天寿を全うするだろう。」ということを伝えたという。垂仁天皇は部下の垂仁天皇の皇子品津別皇子は、7歳になっても言葉が話せなかったという。皇后の夢の中に'''多具の国の神'''・天甕津媛命が現れ、「今まで私を誰も祀ってくれない。祠を立て神に祭るなら、皇子は言葉を話せるようになり、天寿を全うするだろう。」ということを伝えたという。垂仁天皇は部下の'''建岡君'''に、天甕津媛命を探し出すように命じた。
*建岡君は美濃国花鹿山(花長上神社は花鹿山の麓にある)に登り、榊の枝で縵(あずら)を作って神に祈り、「此の縵の落ちた所が神を祭る所であろう。」と言うと、縵を遠く投げたという。この縵が落ちた地に創建されたのが阿豆良神社という<ref>丹後国には阿良須神社という神社がある。女神を祀る神社である。関連は?(管理人)</ref>。
尚、丹羽は万葉仮名では、「迩波(には)」と表記された。郡名は'''神八井耳命'''の後裔である'''爾波県君'''(にわのあがたのきみ)<ref>尾張氏の者か?</ref>がこの地を統治したことに由来するという説や、『丹(に)』の一字で「赤土・粘土」を意味するという説がある。奈良県明日香村の石神遺跡からは「尓破評佐匹部・ 俵」と書かれた木簡が見つかっており<ref>https://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/5AMDRL73000209 , 木簡庫 , 奈良文化財研究所 , 2020-11-07</ref>、'''尓破評'''が置かれていたことがわかる。その後701年の大宝律令の制定により評は郡となった。927年成立の延喜式には丹羽(には)郡との記載がみられる<ref>https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442231/177 , 延喜式 : 校訂. 下巻 国立国会図書館デジタルコレクション , 2020-11-2 , 巻二十二 民部式 上 29ページ</ref>。
尚、丹羽は万葉仮名では、「迩波(には)」と表記された。郡名は多具の国とは、出雲国の多久川流域とされ、また阿麻乃彌加都比売は『出雲国風土記』秋鹿郡伊農郷にみえる天甕津日女(もしくは楯縫郡神名樋山の項の天御梶日女)と同神とされる。天御梶日女は葦原色許男大神の子である阿遅鉏高日子根神の妻とされ、阿遅鉏高日子根神は『出雲国風土記』において、誉津別皇子と同じく'''神八井耳命大人になっても子供のように泣き止まなかった'''の後裔である'''爾波県君'''(にわのあがたのきみ)<ref>尾張氏の者か?</ref>がこの地を統治したことに由来するという説や、『丹(に)』の一字で「赤土・粘土」を意味するという説がある。奈良県明日香村の石神遺跡からは「尓破評佐匹部・ 俵」と書かれた木簡が見つかっており<ref>https://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/5AMDRL73000209 , 木簡庫 , 奈良文化財研究所 , 2020-11-07</ref>、'''尓破評'''が置かれていたことがわかる。その後701年の大宝律令の制定により評は郡となった。927年成立の延喜式には丹羽(には)郡との記載がみられる<ref>https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442231/177 , 延喜式 : 校訂. 下巻 国立国会図書館デジタルコレクション , 2020-11-2 , 巻二十二 民部式 上 29ページ</ref>。とする伝承が掲載されている。
=== 出雲大神の祟り・誉津別皇子について ===

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