太陽女神から転落して地母神(冥界神)
にされてしまった。伏羲・女媧伝承では「母女神」は存在そのものが消されて消滅しており、それは「'''伏羲・女媧の第1子'''」という形で表されることになった。子供をバラバラにしてばらまくメーデイアという女神も登場した。母系が強い時代には、殺された姜女王は」という形で表されることになった。母系が強い時代には、殺された姜女王は
「'''女媧の第1子'''」
という形に変換されたのだと思う。女媧の第1子が'''母親の手でバラバラにされて、種としてまかれた'''ということにして、その記念に「第1子を殺して神に捧げよう。」という祭を行うことになった。西方で「幼児供犠」という祭祀に変化したと思われ、非常に評判が悪かった。伏羲という神は、父系が優位になってきてから付け加えられたのだと思われる。ということにして、その記念に「第1子を殺して神に捧げよう。」という祭を行うことになった。西方で「幼児供犠」という祭祀に変化したと思われ、非常に評判が悪かった。子供をバラバラにしてばらまくメーデイアという女神も登場した。伏羲という神は、父系が優位になってきてから付け加えられたのだと思われる。
ベンガルのコンド族の農耕祭祀では人身御供は第1子に限定されず、古い形式の太陽女神の祭祀を強く残していたと考えるが、彼らの地母神女神はタリ・ペンヌーといった<ref>J・G・フレイザー著 吉川信訳『金枝篇 上』ちくま学芸文庫、2003年、521-525頁</ref>。カルタゴで「幼児供犠」の生け贄を受けた第一の神はタニトという女神だった。おそらくベンガルの女神とカルタゴの女神は同起源だと考える管理人である。(彼らの中間地点にはバビロニアの女神ティアマトがいる。)彼らは本来は、子供を殺したのではなく、'''母親を殺した女神'''だったのだろう。