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1,671 バイト追加 、 2024年11月7日 (木)
この頃はまだ「太陽女神」の思想が残っていたので、「女性が天(円)、男性が地(方)」という考え方が強くて残ってしまった。食人は祭祀から離れ、特別な日のごちそうとされるようになった。
9.しかし、後に姜氏族は「火と太陽の神を祀る一族」であることにちなんで、「=== 9 ===9.子孫の時代になると姜一族は増え、王室はますます栄えたが、社会制度や道徳観念が整ってくると王室の歴史に色々と問題が生じるようになった。先祖である姫補佐官と饕餮補佐官の仲が悪いことは体裁が悪い。姫補佐官と息子の姜王子の仲が悪いのも体裁が悪い。父親殺しなんてもっての他である。母親殺しもまずいけど、姜王子が早い段階で太陽女神信仰と母の存在を公式の記録から消してしまっていたから、こちらは子孫の政治的課題にはならなかった。ともかく、父系の家族はみな仲良しだったことにせねばならないのだ。 そこで、姫補佐官を「'''黄帝'''」、饕餮補佐官を「'''炎帝'''」という神がかつて存在したと言うようになった。「炎帝」とは姫青年に殺された」として二人とも神格化して並び立てることにした。彼らは喧嘩もしたけど、仲も良かったのだ、ということにした。饕餮補佐官は怠け者でたいした業績がなかったので、「天地を支える存在」であることに加えて、「土神」としての性質を'''饕餮補佐官を「理想の帝」とみなしモデルにしたもの黄帝から炎帝に移すことにした'''である。そうして、まず。そうすると、 「黄帝が天(円)、炎帝が地(方)」 になって、二人は子孫の皇帝と皇室を見守ってくれていることになる。  姫補佐官と姜王子の関係は一つにまとめることができなかった。姫補佐官が悪い、という人達と、姜王子が悪い、という人達がいて反発しあうからだ。そこで3つのパターンを作った。この頃には姜王子は「火を祀る一族」にちなんで「火神」とみなされるようになっていた。'''土神の性質が姫補佐官神から取り上げられ、炎帝に移された天の太陽神でもあり、地の火神でもある'''。農耕は炎帝が発明したものとされるようになり、のだ。 # 姫補佐官と姜王子が戦って、姫補佐官が勝ったパターン。これを、黄帝と'''農耕に関する祭祀は炎帝のものとされるようになった蚩尤'''。こうして農耕や養蚕に関する祭祀は、人々のための神であった土神(姫補佐官)から姜氏族の炎帝のものとなり、祭祀に伴うお布施は姜氏族が独占できるようになった。こうなるとの戦い、とした。父と子の関係はなかったことにした。# 姫補佐官と姜王子は戦うけれども、和解して姜王子が認められるパターン。これを黄帝(雷)と炎帝(父親)との戦い後、伏羲だけが許されて生き残る、とした。伏羲は炎帝の子とされた。# 姫補佐官と姜王子が戦って、姜王子が勝ったパターン。祝融と共工の戦い、あるいは祝融と鯀の戦いである。黄帝は悪神とされた。でも、インドと日本の神話にだけ、火神が親を焼き殺す話が残ってしまったのだった。 こうすると'''土神、植物神、蚕神としての姫補佐官は消してしまわなければならない'''ので、国内からはほとんど消した。あくまでも「犬族の姫補佐官神は土神である」と言い張る人々は粛正の対称とされた。「王室の先祖である姫補佐官に失礼だ」ということになり、後に彼らは政治という祭祀(占い)の場で姫補佐官の霊にお伺いを立てるための人身御供としてどんどん殺されることとなった。ので、国内からはほとんど消した。あくまでも「犬族の姫補佐官神は土神である」と言い張る人々は粛正の対称とされた。後に彼らは政治という祭祀(占い)の場で姫補佐官の霊にお伺いを立てるための人身御供として、殷でどんどん殺されることとなった。
10.もう一つの方便は「首狩」である。こちらは「成人儀礼のために余所の部族の首を狩ってこい。」というものだった。これも「'''男子の成人式に必要なことだし、殺すだけで食べないのだから、禁止事項には当たらない。'''」とされた。成人式は誰かを殺して先祖の'''炎帝'''と一体化する重要な行事とされた。首を狩られる者は、炎帝と一体化するために必要な人身御供だったのだ。でもこの儀式は王国が大きくなっていろんな部族が国民に加わるようになると、国民が互いに殺し合う原因となって、だんだん邪魔になってきた。炎帝は植物の王、世界樹と同じものとされた。この役目も土神だった姫補佐官神から奪ったものだ。

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