アフリカでのコウノトリについては、アイザック・ディネーセン(1885-1962)の書物に興味深い記述がある。彼女は1914年から17年にわたってケニア(当時の英領東アフリカ)・ナイロビ郊外の丘陵で広大なコーヒー農園を経営し、そこでの体験を『アフリカの日々』(1936年出版)にまとめた。イナゴの群れが襲来すると穀物も野菜も食い尽くされるが、そのイナゴの進軍を追ってコウノトリや鶴たちの大群も移動してやってきて、「イナゴの群れの上を輪をかいて飛び、イナゴが着陸すると、一緒に降りてきてイナゴを喰いあさる」と記述している<ref>イサク・ディネセン『アフリカの日々』(横山貞子訳)/エイモス・チュツオーラ『やし酒飲み』(土屋哲訳)河出書房新社 2008年〔池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 I-08〕 (ISBN 978-4-309-70948-2)351-352頁。</ref>。
ドイツの文筆家でグラフィック芸術家のフーベルト・ヴィッヒェルマン(1954生まれ)は、2003年出版の児童文学作品において、コウノトリ一家のドイツからアフリカへの渡りの長旅を、[[教養小説]]のスタイルで興味深く描いているドイツの文筆家でグラフィック芸術家のフーベルト・ヴィッヒェルマン(1954生まれ)は、2003年出版の児童文学作品において、コウノトリ一家のドイツからアフリカへの渡りの長旅を、教養小説のスタイルで興味深く描いている<ref> Hubert Wichelmann: ''Die Abenteuer der Störche O΄Casey. Lagurs Reise''. Aachen: Vitalis 2003. ISBN 3-935110-20-0. </ref>。
== 伝承その他 ==
高い塔や屋根に営巣し雌雄で抱卵、子育てをする習性から[[ヨーロッパ]]では[[赤ん坊]]や幸福を運ぶ鳥として親しまれている。このことから欧米には「シュバシコウが赤ん坊をくちばしに下げて運んでくる」または「シュバシコウが住み着く家には幸福が訪れる」という言い伝えが広く伝えられている。日本でもこのため「高い塔や屋根に営巣し雌雄で抱卵、子育てをする習性からヨーロッパでは赤ん坊や幸福を運ぶ鳥として親しまれている。このことから欧米には「シュバシコウが赤ん坊をくちばしに下げて運んでくる」または「シュバシコウが住み着く家には幸福が訪れる」という言い伝えが広く伝えられている。日本でもこのため「[[コウノトリ]]が赤ん坊をもたらす」と言われることがある。
===聖書・神学的解釈・象徴===
聖書本文検索 - 日本聖書協会ホームページ (bible.or.jp) によれば、「こうのとり」は[[旧約聖書]] にのみ現れ、その数は6件である。[[レビ記]](11によれば、「こうのとり」は旧約聖書にのみ現れ、その数は6件である。レビ記(11,19) [[申命記]] (1419)・申命記(14,18)では、[[イスラエル]]の人々が食べてはならない鳥の一つとして挙げられている。[[ヨブ記]] (3918)では、イスラエルの人々が食べてはならない鳥の一つとして挙げられている。ヨブ記(39,13)では、「威勢よく翼を羽ばたかせる」駝鳥が「こうのとりの羽と羽毛を」持っていない、と言われている。[[エレミヤ書]] (0813)では、「威勢よく翼を羽ばたかせる」駝鳥が「こうのとりの羽と羽毛を」持っていない、と言われている。エレミヤ書(08,07)では「空のこうのとりも自分の季節を知っていると」と。[[ゼカリヤ書]] (0507)では「空のこうのとりも自分の季節を知っていると」と。ゼカリヤ書(05,09)には「こうのとりのような翼を」持つ女という箇所がある。[[詩篇]]104章、17節の該当箇所については、3つの訳を記すと、[[聖書協会]09)には「こうのとりのような翼を」持つ女という箇所がある。詩篇104章、17節の該当箇所については、3つの訳を記すと、聖書協会]1974年訳では、「こうのとりはもみの木をそのすまいとする」、聖書協会共同訳では、「こうのとりは糸杉を住みかとする」、新共同訳では、「こうのとりの住みかは糸杉の梢」と微妙な違いがある。974年訳では、「こうのとりはもみの木をそのすまいとする」、聖書協会共同訳では、「こうのとりは糸杉を住みかとする」、新共同訳では、「こうのとりの住みかは糸杉の梢」と微妙な違いがある。
古代の「自然認識者」『'''フィシオログス'''』はコウノトリをキリストの象徴として、またその行動を人間のなすべき態度の模範と捉え次のように語っている。コウノトリはからだの真ん中より上は白、下は暗い色であり、キリストも同じく万人の神として上であるものの時もあれば、一人の人間として下であるものの時もあった。「天のものをなおざりにせず、地のものを見ごろしにしなかった」--- コウノトリは雄と雌が同時に出かけることがない。雄が餌を探す間、雌は雛の世話をする。それを交代して巣を空けることがない。人は朝も夜も欠かさず祈りを行い、悪魔に負けてはならない。--- コウノトリが雛を育て上げて皆が跳べるようになり、時が来ると一斉に飛び立ち移動する。時が来ると元の地に戻り巣作りをし、雛を育てる。イエスキリストが昇天し、時至って再来し、「倒れたものを起こされる」のと同じだ<ref>オットー・ゼール『フィシオログス』(梶田昭訳、博品社1994)158-160頁。</ref>。