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[[File:Seal of Inanna, 2350-2150 BCE.jpeg|thumb|500px|両手に鎚矛を持ち、背中に翼の生えた天の女主人・イナンナ。<br />イナンナがライオンの背に足をかけ、その前にニンシュブルが立って敬意を表している様子を描いた古代アッカド語の円筒印章(紀元前2334年頃~2154年頃)<ref>Wolkstein, Kramer, 1983, pages92, 193</ref>]]
[[ファイル:Ishtar vase Louvre AO17000-detail.jpeg|thumb|right|250px|花瓶に描かれたイナンナ]]
[[File:Inanna receiving offerings on the Uruk Vase, circa 3200-3000 BCE.jpeg|thumb|350px|供物を受け取るイナンナ(ウルクの壷)(前3200供物を受け取るイナンナ(ウルクの大杯)(前3200-前3000年頃)]]
'''イナンナ'''(シュメール語:𒀭𒈹、翻字] <sup>D</sup>INANNA、音声転写: Inanna)は、シュメール神話における[[金星]]、愛や美、戦い、豊穣の女神。別名[[イシュタル]]。ウルク文化期(紀元前4000年-紀元前3100年)からウルクの守護神として崇拝されていたことが知られている([[エアンナ]]に祀られていた)。シンボルは[[藁|藁束]]と[[八芒星]](もしくは十六芒星)。聖樹は[[アカシア]]、聖花は[[ギンバイカ]]、聖獣は[[ライオン]]。
イナンナ/イシュタルの最も有名な神話は、姉のエレシュキガルが支配する古代メソポタミアの冥界への降臨とそこからの帰還を描いた物語である。エレシュキガルの玉座に着いた彼女は、冥界の7人の審判によって有罪とされ、死に追いやられる。3日後、ニンシュブルはすべての神々にイナンナを連れ戻すように懇願する。エンキだけは、イナンナを救うために、性のない2人の人間を送り込んだ<ref group="私注">アッティスのように去勢したもの、あるいは異性の扮装をした者を連想させる。</ref>。彼らはイナンナを冥界から追い出すが、冥界の守護者であるガラは彼女の夫ドゥムジをイナンナの代わりとして冥界に引きずり下ろす。やがてドゥムジは1年の半分を天に帰ることを許され、姉妹のゲシュティアンナは残りの半分を冥界にとどまり、季節が循環することになる。
 
== 呼称 ==
その名は「nin-anna」(天の女主人)を意味するとされている<ref name="#1">アンソニー・グリーン監修『メソポタミアの神々と空想動物』p.24、山川出版社、2012/07</ref>。
 
ウルクにあったイナンナのための神殿/寺院の名は「E-ana」(エアンナ、「天([[アヌ (メソポタミア神話)|アヌ]])の家」の意味)であった。
 
イナンナのシュメール語の別名は「nin-edin」(エデンの女主人)、「Inanna-edin」(エデンのイナンナ)であった。彼女の夫である[[タンムーズ|ドゥムジ]]のシュメール語の別名は「{mulu-edin」(エデンの主)であった。
 
アッカド帝国(Akkadian Empire|en)期には「[[イシュタル]]」(新アッシリア語: DINGIR INANNA)と呼ばれた。[[イシュタル]]はフェニキアの女神[[アスタルト|アスタルテ]]やシリアの女神[[アナト]]と関連し、古代ギリシアでは[[アプロディーテー]]と呼ばれ、ローマのヴィーナス([[ウェヌス]])女神と同一視されている<ref name="#1"/>。
== 語源 ==
=== 時代遅れの説 ===
過去に一部の研究者は、イシュタルをアムルゥに関連する西セム語のアティラート(アシェラ)のバビロニアにおける反映である小女神アシュラトゥと結び付けようとしたが<ref>Wiggins, 2007, p156</ref>、スティーブ・A・ウィギンズが実証したように、この説は根拠のないものであった<ref>Wiggins, 2007, p156</ref>。なぜなら、この2人が混同されていた、あるいは単に混同されていたという唯一の証拠は、イシュタルとアシュラトゥが同じ諡号を共有していたという事実であり[190]、しかし同じ諡号はマルドゥク、ニントゥル、ネガル、スエンにも適用されており<ref>Wiggins, 2007, p156</ref>、神名リストなどの資料にはさらなる証拠は見当たらなかったからだ<ref>Wiggins, 2007, p156-163</ref>。また、ウガリット語のイシュタルの同義語であるアスタルト(Ashtart)が、アモリ人によりアティラートと混同、混同された形跡はない<ref>Wiggins, 2007, p169</ref>。
 
== 神話のなかのイナンナ ==
=== 系譜 ===
イナンナは系譜上はアンの娘だが、月神ナンナ([[シン (メソポタミア神話)|シン]])の娘とされることもあり、この場合太陽神ウトゥ([[シャマシュ]])とは双子の兄妹で、冥界の女王[[エレシュキガル]]の妹でもある<ref>アンソニー・グリーン監修『メソポタミアの神々と空想動物』p.25、山川出版社、2012/07</ref>。夫にドゥムジ (メソポタミア神話)(Dumuzid the Shepherd)をいただく。子供は息子シャラ(Shara, Šara, シュメール語: 𒀭𒁈, <sup>d</sup>šara<sub>2</sub>, <sup>d</sup>šara)。別の息子ルラル(Lulal)はウトゥの女祭事(神官)ニンスンの息子ともされている。
 
=== エンキの紋章を奪う ===
メソポタミア神話において、イナンナは知識の神[[エンキ]]の誘惑をふりきり、酔っ払ったエンキから、文明生活の恵み「'''[[メー]]'''」(水神であるエンキの持っている神の権力を象徴する紋章)をすべて奪い、エンキの差し向けたガラの悪魔の追跡から逃がれ、ウルクに無事たどりついた<ref group="私注">これは中国神話で述べるところの「[[不老不死の薬]]」のことと考える。</ref>。エンキはだまされたことを悟り、最終的に、ウルクとの永遠の講和を受け入れた。この神話は、太初において、政治的権威がエンキの都市エリドゥ(紀元前4900]頃に建設された都市)からイナンナの都市ウルクに移行するという事件(同時に、最高神の地位がエンキからイナンナに移ったこと)を示唆していると考えられる。
 
=== イナンナ女神の歌 ===
シュメール時代の粘土板である『イナンナ女神の歌』よりイナンナは、[[ニンガル]]から生まれた魅力と美貌を持ち、[[龍]]のように速く飛び<ref>[http://etcsl.orinst.ox.ac.uk/cgi-bin/etcsl.cgi?text=t.4.07.5&charenc=j# 「イナンナ女神の歌」1-4]</ref>、南風に乗り[[アプスー]]から聖なる力を得た<ref>[http://etcsl.orinst.ox.ac.uk/cgi-bin/etcsl.cgi?text=t.4.07.5&charenc=j# 「イナンナ女神の歌」5-8]</ref>。母親ニンガルの胎内から誕生した際、すでにシタ(cita)とミトゥム(mitum)という2つの鎚矛を手にして生まれた<ref>[http://etcsl.orinst.ox.ac.uk/cgi-bin/etcsl.cgi?text=t.4.07.5&charenc=j# 「イナンナ女神の歌」9-12]</ref>。
 
=== イナンナとフルップ(ハルブ)の樹 ===
<sup>''(出典の明記、2018年2月)''</sup>
ある日、イナンナはぶらぶらとユーフラテス河畔を歩いていると、強い南風にあおられて今にもユーフラテス川に倒れそうな「フルップ(ハルブ)の樹<ref>[Hulupp]-アッカド語で「'''生命の木'''」のこと。</ref>」を見つけた。あたりを見渡しても他の樹木は見あたらず、イナンナはこの樹が世界の領域を表す[[世界樹]]([[生命の木]])であることに気がついた。
そこでイナンナはある計画を思いついた。
この樹から典型的な権力の象徴をつくり、この不思議な樹の力を利用して世界を支配しようと考えたのだ。
イナンナはそれを[[ウルク]]に持ち帰り、聖なる園([[エデンの園|エデン]])に植えて大事に育てようとする。
まだ世界はちょうど創造されたばかりで、その世界樹はまだ成るべき大きさには程遠かった。イナンナは、この時すでにフルップの樹が完全に成長した日にはどのような力を彼女が持つことができるかを知っていた。
「もし時が来たらならば、この世界樹を使って輝く王冠と輝くベッド(王座)を作るのだ」
その後10年の間にその樹はぐんぐんと成長していった。
しかし、その時[[ズー|(アン)ズー]]がやって来て、天まで届こうかというその樹のてっぺんに巣を作り、雛を育て始めた。
さらに樹の根にはヘビが巣を作っていて、樹の幹には[[リリス]]が住処を構えていた。リリスの姿は大気と冥界の神であることを示していたので、イナンナは気が気でなかった。
 
しばらくの後、いよいよこの樹から支配者の印をつくる時が来た時、リリスにむかって聖なる樹から立ち去るようにお願いした。
しかしながら、イナンナはその時まだ神に対抗できるだけの力を持っておらず、リリスも言うことを聞こうとはしなかった。彼女の天真爛漫な顔はみるみるうちに失望へと変わっていった。そして、このリリスを押しのけられるだけの力を持った神は誰かと考えた。そして彼女の兄弟である太陽神[[シャマシュ|ウトゥ]]に頼んでみることになった。
暁方にウトゥは日々の仕事として通っている道を進んでいる時だった。イナンナは彼に声をかけ、これまでのいきさつを話し、助けを懇願した。ウトゥはイナンナの悩みを解決しようと、銅製の斧をかついでイナンナの聖なる園にやって来た。
 
ヘビは樹を立ち去ろうとしないばかりかウトゥに襲いかかろうとしたので、彼はそれを退治した。ズーは子供らと高く舞い上がると天の頂きにまで昇り、そこに巣を作ることにした。リリスは自らの住居を破壊し、誰も住んでいない荒野に去っていった。
ウトゥはその後、樹の根っこを引き抜きやすくし、銅製の斧で輝く王冠と輝くベッドをイナンナのために作ってやった。彼女は「他の神々と一緒にいる場所ができた」ととても喜び、感謝の印として、その樹の根と枝を使って「プック(Pukku)とミック(Mikku)」(輪と棒)を作り、ウトゥへの贈り物とした<ref group="私注">イナンナには木を切り倒し、利用する職能神としての一面があるように思う。このような性質はヒッタイトの女神[[マリヤ]]にもあったと考える。</ref>。
 
なお、この神話には、ウトゥの代わりに[[ギルガメシュ]]が同じ役割として登場する[[ギルガメシュ叙事詩|ヴァリエーション(変種)]]がある。
 
=== イナンナの冥界下り ===
天界の女王イナンナは、理由は明らかではないものの(一説にはイナンナは冥界を支配しようと企んでいた)、地上の七つの都市の神殿を手放し、姉のエレシュキガルの治める冥界に下りる決心をした。冥界へむかう前にイナンナは七つの[[メー]]をまとい、それを象徴する飾りなどで身を着飾って、忠実な従者である[[ニンシュブル]]に自分に万が一のことがあったときのために、力のある神[[エンリル]]、[[シン (メソポタミア神話)|ナンナ]]、[[エンキ]]に助力を頼むように申しつけた<ref>矢島、51 - 52頁。</ref><ref>岡田・小林、163頁。</ref>。
 
冥界の門を到着すると、イナンナは門番である[[ネティ]]に冥界の門を開くように命じ<ref>来訪の理由を問われ、エレシュキガルの夫[[グガランナ|グアガルアンナ]]の葬儀に出席することを口実にしたともされる(岡田・小林、163頁)。</ref>、ネティはエレシュキガルの元に承諾を得に行った。エレシュキガルはイナンナの来訪に怒ったが、イナンナが冥界の七つの門の一つを通過するたびに身につけた飾りの一つをはぎ取ることを条件に通過を許した。イナンナは門を通るごとに身につけたものを取り上げられ、最後の門をくぐるときに全裸になった。彼女はエレシュキガルの宮殿に連れて行かれて、七柱のアヌンナの神々に冥界へ下りた罪を裁かれた。イナンナは死刑判決を受け、エレシュキガルが「死の眼差し」を向けると倒れて死んでしまった。彼女の死体は宮殿の壁に鉤で吊るされた<ref>矢島。52 - 56頁</ref><ref>岡田・小林、164。</ref>。
 
三日三晩が過ぎ<ref>異聞では七年七ヶ月七日とも七年ともいわれる(岡田・小林、167頁)。</ref>、ニンシュブルは最初にエンリル、次にナンナに経緯を伝えて助けを求めたが、彼らは助力を拒んだ。しかしエンキは自分の爪の垢からクルガルラ(泣き女)とガラトゥル(哀歌を歌う神官)という者を造り、それぞれに「命の食べ物」と「'''命の水'''」を持って、先ずエレシュキガルの下へ赴き、病んでいる彼女を癒すよう、そしてその礼として彼女が与えようとする川の水と大麦は受け取らずにイナンナの死体を貰い受け、死体に「命の食べ物」と「命の水」を振りかけるように命じた。クルガルラとガラトゥルがエンキに命じられた通りにするとイナンナは起き上がった。しかし冥界の神々はイナンナが地上に戻るには身代わりに誰かを冥界に送らなければならないという条件をつけ、ガルラという精霊たちが彼女に付いて行った<ref>矢島、56 - 58頁</ref><ref>岡田・小林、164 - 165頁、但し、こちらではエレシュキガルの病を癒すこと、その礼としてイナンナの死体を求めることについての記載は無い。</ref>。
 
まず、イナンナはニンシュブルに会った。ガルラたちは彼女を連れて行こうとしたが、イナンナは彼女が自分のために手を尽くしたことと喪に服してくれたことを理由に押しとどめた。次にシャラ神、さらにラタラク神に会うが、彼らも喪に服し、イナンナが生還したことを地に伏して喜んだため、彼らが自身に仕える者であることを理由に連れて行くことを許さなかった。しかし夫の神ドゥムジが喪にも服さず着飾っていたため、イナンナは怒り、彼を自分の身代わりに連れて行くように命じた。ドゥムジはイナンナの兄[[ウトゥ]]に救いを求め、憐れんだウトゥは彼の姿を蛇に変えた。ドゥムジは姉の[[ゲシュティンアンナ]]の下へ逃げ込んだが、最後には羊小屋にいるところを見つかり、地下の世界へと連れ去られた。その後、彼と姉が半年ずつ交代で冥界に下ることになった<ref>矢島、58 - 62頁。</ref><ref>岡田・小林、165 -166頁。</ref>。
 
== 王権を授与する神としてのイナンナ ==
イナンナ神は外敵を排撃する神としてイメージされており、統一国家形成期には王権を授与する神としてとらえられている。なお、それに先だつ領域国家の時代、および後続する統一国家確立期においては王権を授与する神は[[エンリル]](シュメール語: 𒀭𒂗𒇸)であり、そこには交代がみられる<ref>前田(2003)p.21</ref>。
 
=== ウルクの大杯 ===
高さ1m強、石灰岩で造られた大杯。ドイツ隊によって発見され、イラク博物館に展示されていた<ref>前川和也『図説メソポタミア文明』p.6</ref>。最上段には都市の支配者が最高神イナンナに献納品を携え訪れている図像が描かれ、最下段には[[チグリス]]と[[ユーフラテス]]が、その上に主要作物、羊のペア、さらに逆方向を向く裸の男たちが描かれている<ref>前川和也『図説メソポタミア文明』p.8</ref>。図像はイナンナと[[ドゥムジ]]の「聖婚」を示し、当時の人々が豊穣を願う性的合一の儀式を国家祭儀にまで高めていた様子を教えている<ref>前川和也『図説メソポタミア文明』p.9</ref>。
== シュメール語文献 ==
== 後の影響 ==
=== 古代において ===
イナンナ/イシュタル信仰はマナセ王の時代にユダ王国に伝わったと考えられ<ref>Pryke, 2017, page193</ref>、イナンナ自身の名前は聖書に直接出てこないものの<ref>Pryke, 2017, pages193, 195</ref>、旧約聖書には彼女の信仰に関する多くの暗示が含まれている<ref>Pryke, 2017, pages193–195</ref>。エレミヤ書7:18とエレミヤ書44:15-19には「天の女王」が登場するが、これはおそらくイナンナ/イシュタルと西セム語の女神アスタルテが習合したものであろう<ref>Pryke, 2017, page193</ref><ref>Breitenberger, 2007, page10</ref><ref>Smith, 2002, page182</ref><ref>Ackerman, 2006, pages116–117</ref>   The cult of Inanna/Ishtar may have been introduced to the [[Kingdom of Judah]] during the reign of [[Manasseh of Judah|King Manasseh]] and, although Inanna herself is not directly mentioned in the [[Bible]] by name, the [[Old Testament]] contains numerous allusions to her cult. {{bibleverse|Jeremiah|7:18|9}} and {{bibleverse|Jeremiah|44:15-19|9}} mention "the Queen of Heaven"。エレミヤ書によると、天の女王は、彼女のためにケーキを焼く女性たちによって崇拝されていた<ref>Ackerman, who is probably a syncretism of Inanna/Ishtar and the West Semitic goddess [[Astarte]]. Jeremiah states that the Queen of Heaven was worshipped by women who baked cakes for her.{{sfn|Ackerman|2006|pages=115–116}} The [[Song of Songs]] bears strong similarities to the Sumerian love poems involving Inanna and Dumuzid,{{sfn|Pryke|2017|page=194}} particularly in its usage of natural symbolism to represent the lovers' physicality.{{sfn|Pryke|2017|page=194}} {{bibleverse|Song of Songs|6:10|9}} {{bibleverse|Ezekiel|8:14|9}} mentions Inanna's husband Dumuzid under his later East Semitic name [[Tammuz (mythology)|Tammuz]],{{sfn|Black|Green|1992|page=73}}{{sfn|Pryke|2017|page=195}}{{sfn|Warner|2016|page=211}} and describes a group of women mourning Tammuz's death while sitting near the north gate of the [[Temple in Jerusalem]].{{sfn|Pryke|2017|page=195}}{{sfn|Warner|2016|page=211}} [[Marina Warner]] (a literary critic rather than Assyriologist) claims that [[Early Christianity|early Christians]] in the Middle East assimilated elements of Ishtar into the cult of the [[Mary, mother of Jesus|Virgin Mary]].{{sfn|Warner|2016|pages=210–212}} She argues that the Syrian writers [[Jacob of Serugh]] and [[Romanos the Melodist]] both wrote laments in which the Virgin Mary describes her compassion for [[Jesus|her son]] at the foot of the cross in deeply personal terms closely resembling Ishtar's laments over the death of Tammuz.{{sfn|Warner|2016|page=212}} However, broad comparisons between Tammuz and other dying gods are rooted in the work of [[James George Frazer]] and are regarded as a relic of less rigorous early 20th century Assyriology by more recent publications.{{sfn|Alster|2013|p=433-434}} The cult of Inannapages115–116</Ishtar also heavily influenced the cult of the [[Phoenicia]]n goddess [[Astarte]].{{sfn|Marcovich|1996|pages=43–59}} The Phoenicians introduced Astarte to the Greek islands of [[Cyprus]] and [[Kythira|Cythera]],{{sfn|Breitenberger|2007|page=10}}{{sfn|Cyrino|2010|pages=49–52}} where she either gave rise to or heavily influenced the Greek goddess [[Aphrodite]].{{sfn|Breitenberger|2007|pages=8–12}}{{sfn|Cyrino|2010|pages=49–52}}{{sfn|Puhvel|1987|page=27}}{{sfn|Marcovich|1996|pages=43–59}} Aphrodite took on Inanna/Ishtar's associations with sexuality and procreation.{{sfn|Breitenberger|2007|page=8}}{{sfn|Penglase|1994|page=162}} Furthermore, she was known as [[Aphrodite Urania|Ourania]] (Οὐρανία), which means "heavenly",{{sfn|Breitenberger|2007|pages=10–11}}{{sfn|Penglase|1994|page=162}} a title corresponding to Inanna's role as the Queen of Heaven.{{sfn|Breitenberger|2007|pages=10–11}}{{sfn|Penglase|1994|page=162}}ref>。
[[File『歌の歌』はシュメールのイナンナとドゥムジの恋愛詩と強い類似性を持っており<ref>Pryke, 2017, page194</ref>、特に恋人たちの身体性を表すために自然の象徴が用いられている<ref>Pryke, 2017, page194</ref>。歌の歌6:Aphrodite und Adonis - Altar 2.jpg|thumb|Altar from the Greek city of [[Taranto|Taras]] in [[Magna Graecia]]10 エゼキエル書8:14には、イナンナの夫ドゥムジが後の東セム語名であるタンムズで言及されており<ref>Black, Green, 1992, page73</ref><ref>Pryke, 2017, page195</ref><ref>Warner, 2016, page211</ref>、エルサレムの神殿北門近くに座ってタンムズの死を嘆く女たちの一団が描かれている<ref>Pryke, 2017, page195</ref><ref>Warner, 2016, page211</ref>。マリナ・ワーナー(アッシリア学者ではなく文芸評論家)は、中東の初期キリスト教徒がイシュタルの要素を聖母マリアの信仰に同化させたと主張している<ref>Warner, 2016, pages210–212</ref>。彼女は、シリアの作家であるセルグのヤコブとメロディストのロマノスが書いた哀歌の中で、聖母マリアが十字架の下にいる息子への憐れみを、イシュタルのタンムズの死に対する哀歌によく似た、深く個人的な言葉で表現していると論じている<ref>Warner, 2016, dating to {{circa}} 400 – c. 375 BCEpage212</ref>。しかし、タンムズと他の瀕死の神々との幅広い比較は、ジェームズ・ジョージ・フレイザーの仕事に根ざしており、最近の出版物では、より厳密でない20世紀初頭のアッシリ学の遺物と見なされている<ref>Alster, depicting [[Aphrodite]] and [[Adonis]]2013, whose myth is derived from the Mesopotamian myth of Inanna and Dumuzid{{sfn|West|1997|page=57}}{{sfn|Burkert|1985|page=177}}]]p433-434</ref>。
Early artistic and literary portrayals of Aphrodite are extremely similar to Inannaイナンナ/イシュタルの信仰は、フェニキアの女神アスタルテの信仰にも大きな影響を与えた<ref>Marcovich, 1996, pages43–59</Ishtar.{{sfn|ref>。フェニキア人はアスタルテをギリシャのキプロス島とキティラ島に伝え<ref>Breitenberger|, 2007|page=8}}{{sfn|Penglase|1994|page=162}} Aphrodite was also a warrior goddess;{{sfn|Breitenberger|2007|page=8}}{{sfn|, page10</ref><ref>Cyrino|, 2010|pages=49–52}}{{sfn|Penglase|1994|page=163}} the second-century AD Greek geographer [[Pausanias (geographer)|Pausanias]] records that, in Spartapages49–5</ref>、そこでギリシャの女神アプロディーテを生み出したか、大きな影響を及ぼした<ref>Breitenberger, Aphrodite was worshipped as ''[[Aphrodite Areia]]''2007, which means "warlike".{{sfn|pages8–12</ref><ref>Cyrino|, 2010|pages=51–52}}{{sfn|Budin|2010|pages=85–86, 96pages49–52</ref><ref>Puhvel, 1987, 100page27</ref><ref>Marcovich, 102–1031996, 112pages43–59</ref>。アプロディーテはイナンナ/イシュタルの性愛と子孫繁栄のイメージを受け継いだ<ref>Breitenberger, 1232007, 125}} He also mentions that Aphrodite's most ancient cult statues in [[Sparta]] and on Cythera showed her bearing arms.{{sfnm|1a1=Cyrino|1y=2010|1pp=51–52|2a1=Budin|2y=2010|2pp=85–86page8</ref><ref>Penglase, 961994, 100page162</ref>。さらに、アプロディーテはは「天上の」という意味のウラーニア(Οὐρανία)と呼ばれ<ref>Breitenberger, 102–1032007, 112pages10–11</ref><ref>Penglase, 1231994, 125|3a1=Graz|3y=1984|3p=250|4a1=page162</ref>、イナンナの天国の女王としての役割に相当する称号であった<ref>Breitenberger|4y=, 2007|4p=8}} Modern scholars note that Aphrodite's warrior-goddess aspects appear in the oldest strata of her worship{{sfn|Iossif|Lorber|2007|page=77}} and see it as an indication of her Near Eastern origins.{{sfn|Iossif|Lorber|2007|page=77}}{{sfn|, pages10–11</ref><ref>Penglase|1994|page=163}} Aphrodite also absorbed Ishtar's association with doves,{{sfn|Lewis|Llewellyn-Jones|2018|page=335}}{{sfn|Penglase|1994|page=163}} which were sacrificed to her alone.{{sfn|Penglase|1994|page=163}} The Greek word for "dove" was ''peristerá'',{{sfn|Lewis|Llewellyn-Jones|2018|page=335}}{{sfn|Botterweck|Ringgren|1990|page=35}} which may be derived from the Semitic phrase ''peraḥ Ištar'', meaning "bird of Ishtar".{{sfn|Botterweck|Ringgren|1990|page=35}} The myth of Aphrodite and [[Adonis]] is derived from the story of Inanna and Dumuzid.{{sfn|West|1997|page=57}}{{sfn|Burkert|1985|page=177}}page162</ref>。
Classical scholar Charles 初期の芸術や文学で描かれたアプロディーテは、イナンナ/イシュタルと極めてよく似ている<ref>Breitenberger, 2007, page8</ref><ref>Penglase, 1994, page162</ref>。アプロディーテは戦士の女神でもあった<ref>Breitenberger, 2007, page8</ref><ref>Cyrino, 2010, pages49–52</ref><ref>Penglase has written that [[Athena]], the Greek goddess of wisdom and war1994, page163</ref>。紀元2世紀のギリシャの地理学者パウサニアスは、スパルタにおいて、アプロディーテは「戦士」を意味するアプロディーテ・アレイアとして崇拝されていたと記録している<ref>Cyrino, 2010, pages51–52</ref><ref>Budin, 2010, pages85–86, resembles Inanna's role as a "terrifying warrior goddess"96, 100, 102–103, 112, 123, 125</ref>。パウサニアスは、また、スパルタとキュテラ島の最も古いアプロディーテの彫像は、彼女が武器を持つ姿を示していたとも述べている.{{sfn|<ref>Cyrino, 2010, p51–52, Budin, 2010, p85–86, 96, 100, 102–103, 112, 123, 125, Graz, 1984, p250, Breitenberger, 2007, p8</ref>。最近の学者たちは、アプロディーテの戦士女神の側面が彼女の崇拝の最も古い層に現れていることに注目し<ref>Iossif, Lorber, 2007, page77</ref>、それを彼女の近東での起源を示すものとして見ている<ref>Iossif, Lorber, 2007, page77</ref><ref>Penglase, 1994, page163</ref>。アプロディーテはまた、イシュタルの鳩との結びつきを吸収し<ref>Lewis, Llewel, yn-Jones, 2018, page335</ref><ref>Penglase|, 1994|page=235}} Others have noted that the birth of Athena from the head of her father [[Zeus]] could be derived from Inanna's descent into and return from the Underworld.{{sfn|, page163</ref>、鳩は彼女だけに生け贄として捧げられた<ref>Penglase|, 1994, page163</ref>。ギリシャ語で「鳩」を意味するのはperisteráであり<ref>Lewis, Llewel, yn-Jones, 2018, page335</ref><ref>Botterweck, Ringgren, 1990, page35</ref>、これはセム語のperaḥ Ištar(「イシュタルの鳥」の意)に由来すると思われる<ref>Botterweck, Ringgren, 1990, |pages=233–325}} Howeverpage35</ref>。アプロディーテとアドーニスの神話は、イナンナとドゥムジの物語に由来している<ref>West, as noted by [[Gary Beckman]]1997, a rather direct parallel to Athena's birth is found in the [[Hurrian religion|Hurrian]] [[Kumarbi]] cyclepage57</ref><ref>Burkert, where [[Teshub]] is born from the surgically split skull of Kumarbi1985,{{sfn|Beckman|2011|p=29}} rather than in any Inanna myths.page177</ref>。
In [[Mandaean cosmology]]古典学者のチャールズ・ペングレイスは、ギリシア神話の知恵と戦争の女神アテーナーが、イナンナの「恐ろしい戦士の女神」としての役割に似ていると書いている<ref>Penglase, one of the names for Venus is ''ʿStira''1994, which is derived from the name Ishtar.page235</ref>。また、アテーナーが父ゼウスの首から生まれたのは、イナンナが冥界に降り立ち、そこから戻ってきたことに由来すると指摘する人もいる<ref name="Bhayro 2020">{{cite book|last=Bhayro|first=Siam|title=Hellenistic Astronomy|chapter=Cosmology in Mandaean Texts|publisher=Brill|date=2020-02-10|chapter-url=https:Penglase, 1994, pages233–325<//brill.com/view/book/edcoll/9789004400566/BP000051.xml|access-date=2021-09-03|pages=572–579|doi=10.1163/9789004400566_046|isbn=9789004400566|s2cid=213438712}}ref>。しかし、ゲイリー・ベックマンが指摘するように、アテーナーの誕生とかなり直接的な類似点が、イナンナ神話ではなく、クマルビの頭蓋骨を外科的に分割してテシュブを誕生させるフルリ・クマルビ・サイクル<ref>Beckman, 2011, p29</ref>に見出される。
Anthropologist [[Kevin Tuite]] argues that the [[Georgian mythology|Georgian goddess]] [[Dali (goddess)|Dali]] was also influenced by Inanna,{{sfn|Tuite|2004|pages=16–18}} noting that both Dali and Inanna were associated with the morning star,{{sfn|Tuite|2004|page=16}} both were characteristically depicted nude,{{sfn|Tuite|2004|pagesマンデーの宇宙論では、金星の名前のひとつは「スティラ(ʿStira)」で、これはイシュタルの名前に由来しているとのことである<ref name=16–17}} (but note that Assyriologists assume the "naked goddessBhayro 2020" motif in Mesopotamian art in most cases cannot be Ishtar>Bhayro Siam,{{sfn|Wiggermann|1998|p=49}} and the goddess most consistently depicted as naked was [[Shala]]Hellenistic Astronomy, a weather goddess unrelated to Ishtar{{sfn|Wiggermann|1998|p=51}}) both were associated with gold jewelryCosmology in Mandaean Texts,{{sfn|Tuite|2004|pages=16–17}} both sexually preyed on mortal menBrill,{{sfn|Tuite|2004|page=17}} both were associated with human and animal fertility2020-02-10,{{sfn|Tuite|2004|pages=17–18}} (note however that Assyriologist Dina Katz pointed out the references to fertility are more likely to be connected to Dumuzi than Inannahttps://brill.com/view/book/edcoll/9789004400566/Ishtar in at least some cases{{sfn|Katz|2015|p=70BP000051.xml, 2021-09-71}}) and both had ambiguous natures as sexually attractive03, but dangerouspages572–579, womendoi:10.{{sfn|Tuite|2004|page=18}}1163/9789004400566_046, isbn:9789004400566, s2cid:213438712</ref>。
Traditional Mesopotamian religion began to gradually decline between the third and fifth centuries AD as [[Assyrian people|ethnic Assyrians]] converted to Christianity. Nonetheless人類学者ケヴィン・トゥイテは、グルジアの女神ダリ(Dali)もイナンナの影響を受けていると主張し<ref>Tuite, the cult of Ishtar and Tammuz managed to survive in parts of Upper Mesopotamia.{{sfn|Warner|2016|page=211}} In the tenth century AD2004, an Arab traveler wrote that "All the [[Sabaeans]] of our timepages16–18</ref>、ダリとイナンナがともにモーニングスターと関連していたこと<ref>Tuite, those of Babylonia as well as those of [[Harran]]2004, lament and weep to this day over Tammuz at a festival which theypage16</ref>、どちらも特徴的に裸で描かれていたこと<ref>Tuite, more particularly the women2004, hold in the month of the same name."{{sfn|Warner|2016|page=211}}pages16–17</ref>、(ただしアッシリア学者は、メソポタミア美術の「裸婦」モチーフはほとんどの場合イシュタルではないと考えており<ref>Wiggermann, 1998, p49</ref>、最も安定して裸婦として描かれていたのはイシュタルとは関係のない天候の女神であるシャラだと指摘している<ref>Wiggermann, 1998, p51</ref>)、どちらも金の宝石に関連し<ref>Tuite, 2004, pages16–17</ref>、どちらも人間の男性を性的に捕食し<ref>Tuite, 2004, page17</ref>、どちらも人間や動物の豊穣と関連し<ref>Tuite, 2004, pages17–18</ref>(ただしアッシリア学者のディーナ・カッツは、豊穣への言及は少なくともいくつかのケースでイナンナ/イシュタルよりもドゥムジに関連している傾向が強いと指摘している<ref>Katz, 2015, p70-71</ref>、そしてどちらも性的な魅力があるが危険でもあるという両義性を持った女性であることに留意される<ref>Tuite, 2004, page18</ref>。
Worship of Venus deities possibly connected to Inanna/Ishtar was known in [[Pre-Islamic Arabia]] right up until the Islamic period. [[Isaac of Antioch]] (d. 406 AD) says that the Arabs worshipped 'the Star' (''kawkabta'')メソポタミアの伝統的な宗教は、紀元3世紀から5世紀にかけて、アッシリアの民族がキリスト教に改宗したことにより、徐々に衰退し始めた。しかし、イシュタルとタンムズの信仰は、上メソポタミアの一部で存続することができた<ref>Warner, also known as [[Al-Uzza]]2016, which many identify with Venus.{{sfn|Healey|2001|p=114-119}} Isaac also mentions an Arabian deity named [[Baltis]]page211</ref>。紀元10世紀、アラブの旅行者は、「現代のすべてのサバイ人、バビロニアの人々もハランの人々も、同じ名前の月に、特に女性たちが行う祭りで、今日までタンムズのことを嘆き、泣いている」と記した<ref>Warner, which according to Jan Retsö most likely was another designation for Ishtar.{{sfn|Retsö|2014|p=604-605}} In pre-Islamic Arabian inscriptions themselves2016, it appears that the deity known as [[Allat]] was also a Venusian deity.{{sfn|Al-Jallad|2021|p=569-571}} [[Attar (god)|Attar]], a male god whose name is a cognate of Ishtar's, is a plausible candidate for the role of Arabian Venus deity too on the account of both his name and his epithet "eastern and western."{{sfn|Ayali-Darshan|2014|p=100-101}}page211</ref>。
===Modern relevance===[[File:ISHTARイスラム以前のアラビアでは、イナンナやイシュタルに関連する金星の神々を崇拝することが、イスラム時代に至るまで知られていた。アンティオキアのイサク(紀元406年)は、アラブ人がAl-EPOS p067 ISHTAR'S MIDNIGHT COURTSHIP.jpg|thumb|upright|Illustration of ''Ishtar's Midnight Courtship'' from Leonidas Le Cenci Hamilton's 1884 bookUzzaとしても知られ、多くの人が金星と見なしている「星」(kawkabta)を崇拝していたと述べている<ref>Healey, 2001, p114-119</ref>。イサクは、バルティスというアラビアの神についても言及しているが、ヤン・レツォによれば、これはイシュタルの別の呼び名であった可能性が高い<ref>Retsö, 2014, p604-605</ref>。イスラム教以前のアラビア語の碑文自体にも、アラートと呼ばれる神は金星の神であったようだ<ref>Al-Jallad, 2021, p569-571</ref>。イシュタルと同名の男神アタルは、その名前と「東洋と西洋」という諡号から、アラビアの金星神としても有力な候補者である<ref>Ayali-length poem ''Ishtar and Izdubar''Darshan, loosely based on [[George Smith (Assyriologist)|George Smith]]'s recent translation of the ''Epic of Gilgamesh''{{sfn|Ziolkowski|2012|page=21}}]]2014, p100-101</ref>。
In his 1853 pamphlet ''[[The Two Babylons]]'', as part of his argument that [[Catholic Church|Roman Catholicism]] is actually Babylonian paganism in disguise, [[Alexander === 現代的な関連性 ===スコットランド自由教会のプロテスタント牧師であったアレキサンダー・ヒスロップは、1853年に出版した小冊子『二つのバビロン』で、ローマ・カトリックは実はバビロニアの異教を装っているという主張の一環として、現代英語のイースターはイシュタルに由来するはずだと、二つの単語の音韻が似ていることから誤って主張したのである<ref>Hislop]], a [[Protestantism|Protestant]] minister in the [[Free Church of Scotland (1843–1900)|Free Church of Scotland]]1903, incorrectly argued that the modern English word page103</ref><ref group="私注">この点についての管理人の考えは'''[[Easterエオステレ]]'' must be derived from ''Ishtar'' due to the phonetic similarity of the two words.{{sfn|Hislop|1903|page=103}} Modern scholars have unanimously rejected Hislop's arguments as erroneous and based on a flawed understanding of Babylonian religion.{{sfn|参照のこと。そもそも、イナンナとイシュタルが言語的に同起源とは思えないのに、無理矢理習合させてしまったアッカドのサルゴンにも問題があると考える。</ref>。現代の学者たちは、ヒスロップの主張は誤りであり、バビロニアの宗教に対する誤った理解に基づいていると、一様に否定している<ref>Grabbe|, 1997|page=28}}{{sfn|, page28</ref><ref>Brown|, 1976|page=268}}{{sfn|, page268</ref><ref>D'Costa|, 2013}} Nonetheless</ref>。それにもかかわらず、ヒスロップの本は福音主義プロテスタントの一部のグループの間でいまだに人気があり<ref>Grabbe, Hislop's book is still popular among some groups of [[Evangelicalism|evangelical Protestants]]{{sfn|Grabbe|1997|page=28}} and the ideas promoted in it have become widely circulated, especially through the [[Internet]], due to a number of popular [[Internet meme]]s.{{sfn|page28</ref>、その中で宣伝された考えは、特にインターネットを通じて、多くの人気のあるインターネット・ミームによって広く流布している<ref>D'Costa|, 2013}}</ref>。
Ishtar had a major appearance in ''Ishtar and Izdubar''イシュタルは、1884年にアメリカの弁護士兼実業家であるレオニダス・ル・チェンチ・ハミルトンが、最近翻訳された『ギルガメッシュ叙事詩』に緩く基づいて書いた長編詩『イシュタルとイズドゥバル』<ref>Ziolkowski,{{sfn|Ziolkowski|2012|pages=20–21}} a book-length poem written in 1884 by Leonidas Le Cenci Hamilton, an American lawyer and businessmanpages20–21</ref>に大きく登場した<ref>Ziolkowski, loosely based on the recently translated ''Epic of Gilgamesh''.{{sfn|Ziolkowski|2012|pages=20–21}} ''Ishtar and Izdubar'' expanded the original roughly 3,000 lines of the ''Epic of Gilgamesh'' to roughly 6pages20–21</ref>。イシュタルとイズドゥバルは、『ギルガメシュ叙事詩』の約3000行を、48のカントにまとめた約6000行の韻文対句に拡張した<ref>Ziolkowski,000 lines of rhyming couplets grouped into forty-eight [[canto]]s.{{sfn|Ziolkowski|2012|page=21}} Hamilton significantly altered most of the characters and introduced entirely new episodes not found in the original epic.{{sfn|, page21</ref>。ハミルトンは、ほとんどの登場人物を大幅に変更し、オリジナルの叙事詩にはない全く新しいエピソードを導入した<ref>Ziolkowski|, 2012|page=21}} Significantly influenced by [[Edward FitzGerald (poet)|Edward FitzGerald]]'s ''[[Rubaiyat of Omar Khayyam]]'' and [[Edwin Arnold]]'s ''[[The Light of Asia]]'',{{sfn|page21</ref>。エドワード・フィッツジェラルドの『オマール・ハイヤームのルバイヤート』やエドウィン・アーノルドの『アジアの光』から大きな影響を受け<ref>Ziolkowski|, 2012|page=21}} Hamilton's characters dress more like nineteenth-century Turks than ancient Babylonians.{{sfn|, page21</ref>、ハミルトンの登場人物は、古代バビロニアというよりは19世紀のトルコ人のような服装をしている<ref>Ziolkowski|, 2012|pages=22–23}} In the poem, Izdubar (the earlier misreading for the name "Gilgamesh") falls in love with Ishtarpages22–23</ref>。詩の中で、イズドゥバル(以前は「ギルガメシュ」と誤読されていた)はイシュタルと恋に落ちるが<ref>Ziolkowski,{{sfn|Ziolkowski|2012|page=22}} but, thenpage22</ref>、その後イシュタルは「熱く穏やかな息と、震える姿で」彼を誘惑しようとし、イズドゥバルは彼女の誘いを拒否することになる<ref>Ziolkowski, "with hot and balmy breath2012, and trembling form aglow"page22</ref>。この本のいくつかの「コラム」は、イシュタルの冥界への降下についての説明に費やされている<ref>Ziolkowski, she attempts to seduce him2012, leading Izdubar to reject her advances.{{sfn|pages22–23</ref>。本書の結末では、神となったイズドゥバルは、天国でイシュタルと和解する<ref>Ziolkowski|2012|page=22}} Several "columns" of the book are devoted to an account of Ishtar's descent into the Underworld.{{sfn|Ziolkowski|2012|pages=22–23}} At the conclusion of the book, Izdubar, now a god, is reconciled with Ishtar in Heaven.{{sfn|Ziolkowski|2012|page=23}} In 1887, the composer [[Vincent d'Indy]] wrote ''Symphony Ishtarpage23</ref>。1887年、作曲家ヴァンサン・ダンディは、大英博物館にあるアッシリアの遺跡からインスピレーションを得て、「交響曲イシュタル、変奏曲シンフォニック」作品42を作曲した<ref>Pryke, variations symphonique2017, Op. 42'', a symphony inspired by the Assyrian monuments in the [[British Museum]].{{sfn|Pryke|2017|page=196}}page196</ref>。
[[File:Myths and legends of Babylonia and Assyria (1916) (14801964123)イナンナは男性優位のシュメールのパンテオンに登場するが<ref>Pryke, 2017, pages196–197</ref>、並んで登場する男性の神々よりも強力ではないにしても、同じくらい強力であるため、現代のフェミニスト理論において重要な人物となった<ref>Pryke, 2017, pages196–197</ref>。シモーヌ・ド・ボーヴォワールは、著書『第二の性』(1949年)の中で、イナンナをはじめとする古代の強力な女性神々が、近代文化では男性の神々に取って代わられ、疎外されてきたと論じている<ref>Pryke, 2017, page196</ref>。ティクヴァ・フライマー・ケンスキーは、イナンナはシュメールの宗教において「社会的に受け入れがたい」原型である「家畜と結婚していない女性」を体現する「端的な人物」であったと論じている<ref>Pryke, 2017, page196</ref>。フェミニスト作家のヨハンナ・スタッキーは、イナンナがシュメールの宗教において中心的な存在であり、多様な権力を有していたことを指摘し、この考え方に反論している<ref>Pryke, 2017, page196</ref>。アッシリア研究者のジュリア・M.jpg|thumb|left|upright|A modern illustration depicting Inanna古代における女性の地位の研究を専門とするアッシャー=グリーヴは、フリマー=ケンスキーのメソポタミア宗教研究全体を批判し、豊穣に焦点を当てた研究の問題点、依拠した資料の少なさ、パンテオンにおける女神の地位が社会の一般女性のそれを反映しているという見方(いわゆる「ミラー理論」)、さらに古代メソポタミアの宗教における女神の役割の変化の複雑さを正確に反映していないことを強調している<ref>Asher-Ishtar's descent into the [[Kur|Underworld]] taken from [[Lewis Spence]]'s ''Myths and Legends of [[Babylonia]] and [[Assyria]]'' (1916)]]Greve, Westenholz, 2013, p25-26</ref>。イローナ・ゾルネイは、フリマー・ケンスキーの方法論は誤りであるとする<ref>Zsolnay, 2009, p105</ref>。
Inanna has become an important figure in modern [[feminist theory]] because she appears in the [[patriarchy|male-dominated]] [[Sumerian pantheon]],{{sfn|Pryke|2017|pages=196–197}} but is equally as powerful, if not more powerful than=== ネオペイガニズムとシュメール復元論において ====イナンナの名前は、現代のネオペイガニズムやウィッカでも女神を指す言葉として使われている<ref>Rountree, the male deities she appears alongside.{{sfn|Pryke|2017|pages=196–197}} [[Simone de Beauvoir]], in her book ''[[The Second Sex]]'' (1949)page167</ref>。彼女の名前は、最も広く使われているウィッカの典礼の一つである「Burning Times Chant」<ref>Weston, argues that InannaBennett, along with other powerful female deities from antiquity, have been marginalized by modern culture in favor of male deities.{{sfn|Pryke|2017|page=196}} [[Tikva Frymer-Kensky]] has argued that Inanna was a "marginal figure" in Sumerian religion who embodies the "socially unacceptable" [[archetype]] of the "undomesticated2013, unattached woman".{{sfn|Pryke|2017|page=196}} Feminist author Johanna Stuckey has argued against this ideapage165</ref>の中に出てくる<ref>Weston, pointing out Inanna's centrality in Sumerian religion and her broad diversity of powersBennett, neither of which seem to fit the idea that she was in any way regarded as "marginal".{{sfn|Pryke|2017|page=196}} Assyriologist Julia M. Asher-Greve, who specializes in the study of position of women in antiquity2013, criticizes Frymer-Kensky's studies of Mesopotamian religion as a wholepage165</ref>。イナンナの冥界への降臨は、ガードナー派ウィッカの最も人気のあるテキストの一つである「女神降臨」<ref>Buckland, highlighting the problems with her focus on fertility2001, the small selection of sources her works relied onpages74–75</ref>のインスピレーションとなった<ref>Buckland, her view that position of goddesses in the pantheon reflected that of ordinary women in society (so-called "mirror theory")2001, as well as the fact her works do not accurately reflect the complexity of changes of roles of goddesses in religions of ancient Mesopotamia.{{sfn|Asher-Greve|Westenholz|2013|p=25-26}} Ilona Zsolnay regards Frymer-Kensky's methodology as faulty.{{sfn|Zsolnay|2009|p=105}}pages74–75</ref>。
====In Neopaganism and Sumerian reconstructionism====Inanna's name is also used to refer to the [[Goddess movement|Goddess]] in modern [[Neopaganism]] and [[Wicca]].{{sfn|Rountree|2017|page=167}} Her name occurs in the refrain of the "Burning Times Chant",{{sfn|Weston|Bennett|2013|page=165}} one of the most widely used Wiccan [[liturgy|liturgies]].{{sfn|Weston|Bennett|2013|page=165}} ''Inanna's Descent into the Underworld'' was the inspiration for the "Descent of the Goddess",{{sfn|Buckland|2001|pages=74–75}} one of the most popular texts of [[Gardnerian Wicca]].{{sfn|Buckland|2001|pages=74–75}} == In popular culture ==* Features as Gilgamesh's archenemy and a huntress in ''[[Smite 日時(video game)|SMITE]]'' (2014) under her Ishtar name.* Inanna appears as separate and playable Archer-class, Rider-class, and Avenger-class Servants in ''[[Fate/Grand Order]]'' (2015), under her Ishtar name. Her Avenger-class form is later revealed to be [[Astarte]] (stylized in-game as Ashtart), sharing a similar form as Ishtar. ==Dates (approximate目安)==
{| class="toccolours collapsible nowraplinks" style="background-color:#fff; width:100%;"
| colspan="3" style="text-align:center; width:100%; background-color:#aaffaa" |<span style="font-size:110%;">'''Historical sources歴史的資料'''</span>
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| style="background:#ccffcc; text-align:right; border-bottom: 1px solid #aaa" | '''Time年月日'''| style="background:#ccffcc; text-align:left; border-bottom: 1px solid #aaa" | '''Period時代'''| style="background:#ccffcc; text-align:left; border-bottom: 1px solid #aaa" | '''Source出典'''
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| style="white-space:nowrap; background:#ddffdd; text-align:right;" | {{circa|5300–4100}} BCE| style="background:#eeffee; text-align:left;" | [[Ubaid period]]ウバイド期
| style="text-align:left;" | &nbsp;
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| style="white-space:nowrap; background:#ddffdd; text-align:right;" | {{circa|4100–2900}} BCE| style="background:#eeffee; text-align:left;" | [[Uruk period]]ウルク期| style="text-align:left;" | [[Warka Vase|Uruk vase]]{{sfn|ウルクの大杯<ref>Suter|, 2014|page=551}}, page551</ref>
|-
| style="white-space:nowrap; background:#ddffdd; text-align:right;" | {{circa|2900–2334}} BCE| style="background:#eeffee; text-align:left;" | Early Dynastic period初期王朝時代
| style="text-align:left;" | &nbsp;
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| style="white-space:nowrap; background:#ddffdd; text-align:right;" | {{circa|2334–2218}} BCE| style="background:#eeffee; text-align:left;" | [[Akkadian Empire]]アッカド帝国| style="text-align:left;" | writings by [[Enheduanna]]エンヘドゥアンナによる記述:{{sfn|<ref>Leick|, 1998|page, pag=87}}{{sfn|</ref><ref>Collins|, 1994|page=111}}, page111</ref><br />''Nin-me-šara'', "The Exaltation of Inannaイナンナの栄華"<br />''In-nin ša-gur-ra'', "A Hymn to Inanna (Inana C)イナンナへの讃歌(イナンナC)"<br />''In-nin me-huš-a'', "Inanna and Ebihイナンナとエビフ山"<br />''The Temple Hymns神殿讃歌''<br />''Hymn to Nannaナンナへの賛歌'', "The Exaltation of Inannaイナンナの栄華"<br />
|-
| style="white-space:nowrap; background:#ddffdd; text-align:right;" | {{circa|2218–2047}} BCE| style="background:#eeffee; text-align:left;" | [[Gutian Period]]グティ王朝
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| style="white-space:nowrap; background:#ddffdd; text-align:right;" | {{circa|2047–1940}} BCE| style="background:#eeffee; text-align:left;" | [[Ur III|Ur III Period]]ウル第三王朝| style="text-align:left;" | ''[[Enmerkar and the Lord of Aratta]]エンメルカルとアラッタの王''<br />''[[Gilgamesh, Enkidu, and the Netherworld]]ギルガメシュ叙事詩''<br />''Inanna and Enkiイナンナとエンキ''{{sfn|<ref>Leick|, 1998|page=90}}, page90</ref><br />''Inanna's Descent into the Underworldイナンナの冥界下り''<br />
|}
== See also ==* [[Anat]]* [[Nana (Bactrian goddess)]]* [[Rati]]* [[Isis]]* [[Star of Ishtar]] == Notes =={{notelist|30em}} == References =={{Reflist|30em}} ===Bibliography==={{refbegin|30em}}*{{cite journal |last=Abdi |first=Kamyar |title=Elamo-Hittitica I: An Elamite Goddess in Hittite Court |journal=Dabir (Digital Archive of Brief Notes & Iran Review) |url=https://www.academia.edu/31797493 |issue=3 |year=2017 |publisher=Jordan Center for Persian Studies |publication-place== 参考文献他 ==* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%8A イナンナ](最終閲覧日:22-12-08)** 前田徹『メソポタミアの王・神・世界観-シュメール人の王権観-』山川出版社、2003年10月。ISBN 4-634-64900-4** 矢島文夫『メソポタミアの神話』筑摩書房、1982年、7月。** 岡田明子・小林登志子『シュメル神話の世界 -粘土板に刻まれた最古のロマン』〈中公新書 1977〉2008年12月。ISBN 978-4-12-101977-6* Wikipedia:Inanna(最終閲覧日:23-01-02)** Abdi Kamyar, Elamo-Hittitica I: An Elamite Goddess in Hittite Court, Dabir (Digital Archive of Brief Notes & Iran Review), https://www.academia.edu/31797493, issue3
=== エンキの紋章を奪う 参考文献2 ==* Jeremy Black, The Literature of Ancient Sumer, https://books.google.com/books?id=Pm_K2kjKp54C, 2004, Oxford University Press, isbn:978-0-19-926311-0* 2003, The Electronic Text Corpus of Sumerian Literature, Faculty of Oriental Studies, University of Oxford, http://etcsl.orinst.ox.ac.uk* Fulco William J., Inanna, Mircea Eliade, Eliade Mircea, The Encyclopedia of Religion, New York, Macmillan Group, 1987, volume7, pages145–146* Halloran John A., Sumerian Lexicon Version 3.0, 2009, http://www.sumerian.org/sumerlex.htmメソポタミア神話において、イナンナは知識の神[[エンキ]]の誘惑をふりきり、酔っ払ったエンキから、文明生活の恵み「'''[[メー]]'''」(水神であるエンキの持っている神の権力を象徴する紋章)をすべて奪い、エンキの差し向けたガラの悪魔の追跡から逃がれ、ウルクに無事たどりついた<ref group="私注">これは中国神話で述べるところの「[[不老不死の薬]]」のことと考える。<* Maier, John R., Gilgamesh and the Great Goddess of Uruk, Suny Brockport eBooks, 2018, https://digitalcommons.brockport.edu/sunybeb/4/ref>。エンキはだまされたことを悟り、最終的に、ウルクとの永遠の講和を受け入れた。この神話は、太初において、政治的権威がエンキの都市エリドゥ(紀元前4900]頃に建設された都市)からイナンナの都市ウルクに移行するという事件(同時に、最高神の地位がエンキからイナンナに移ったこと)を示唆していると考えられる。, isbn:978-0-9976294-3-9
=== イナンナ女神の歌 =外部リンク ==シュメール時代の粘土板である『イナンナ女神の歌』よりイナンナは、[[ニンガル]]から生まれた魅力と美貌を持ち、[[龍]]のように速く飛び<ref>* [http://etcsloracc.orinstmuseum.oxupenn.ac.ukedu/amgg/listofdeities/cgi-bininanaitar/etcsl.cgi?text=t.4.07.5&charenc=j# 「イナンナ女神の歌」1-4]<Ancient Mesopotamian Gods and Goddesses: Inana/ref>、南風に乗り[[アプスーIštar (goddess)]]から聖なる力を得た<ref>* [httphttps://etcsl.orinst.oxwww.acwashington.uk/cgi-binedu/etcsl.cgi?text=t.4.07.5&charenc=j# 「イナンナ女神の歌」5-8]<news/ref>。母親ニンガルの胎内から誕生した際、すでにシタ(cita)とミトゥム(mitum)という2つの鎚矛を手にして生まれた<ref>[http:2015/05/etcsl.orinst.ox.ac.uk05/cgidocuments-that-bin/etcsl.cgi?text=t.4.07.5&charenc=j# 「イナンナ女神の歌」9changed-12]</ref>。 === イナンナとフルップ(ハルブ)の樹 ===<sup>''(出典の明記、2018年2月)''</sup>ある日、イナンナはぶらぶらとユーフラテス河畔を歩いていると、強い南風にあおられて今にもユーフラテス川に倒れそうな「フルップ(ハルブ)の樹<ref>[Hulupp]the-アッカド語で「'''生命の木'''」のこと。</ref>」を見つけた。あたりを見渡しても他の樹木は見あたらず、イナンナはこの樹が世界の領域を表す[[世界樹]]([[生命の木]])であることに気がついた。 そこでイナンナはある計画を思いついた。 この樹から典型的な権力の象徴をつくり、この不思議な樹の力を利用して世界を支配しようと考えたのだ。 イナンナはそれを[[ウルク]]に持ち帰り、聖なる園([[エデンの園|エデン]])に植えて大事に育てようとする。 まだ世界はちょうど創造されたばかりで、その世界樹はまだ成るべき大きさには程遠かった。イナンナは、この時すでにフルップの樹が完全に成長した日にはどのような力を彼女が持つことができるかを知っていた。 「もし時が来たらならば、この世界樹を使って輝く王冠と輝くベッド(王座)を作るのだ」 その後10年の間にその樹はぐんぐんと成長していった。 しかし、その時[[ズー|(アン)ズー]]がやって来て、天まで届こうかというその樹のてっぺんに巣を作り、雛を育て始めた。 さらに樹の根にはヘビが巣を作っていて、樹の幹には[[リリス]]が住処を構えていた。リリスの姿は大気と冥界の神であることを示していたので、イナンナは気が気でなかった。 しばらくの後、いよいよこの樹から支配者の印をつくる時が来た時、リリスにむかって聖なる樹から立ち去るようにお願いした。 しかしながら、イナンナはその時まだ神に対抗できるだけの力を持っておらず、リリスも言うことを聞こうとはしなかった。彼女の天真爛漫な顔はみるみるうちに失望へと変わっていった。そして、このリリスを押しのけられるだけの力を持った神は誰かと考えた。そして彼女の兄弟である太陽神[[シャマシュ|ウトゥ]]に頼んでみることになった。 暁方にウトゥは日々の仕事として通っている道を進んでいる時だった。イナンナは彼に声をかけ、これまでのいきさつを話し、助けを懇願した。ウトゥはイナンナの悩みを解決しようと、銅製の斧をかついでイナンナの聖なる園にやって来た。 ヘビは樹を立ち去ろうとしないばかりかウトゥに襲いかかろうとしたので、彼はそれを退治した。ズーは子供らと高く舞い上がると天の頂きにまで昇り、そこに巣を作ることにした。リリスは自らの住居を破壊し、誰も住んでいない荒野に去っていった。 ウトゥはその後、樹の根っこを引き抜きやすくし、銅製の斧で輝く王冠と輝くベッドをイナンナのために作ってやった。彼女は「他の神々と一緒にいる場所ができた」ととても喜び、感謝の印として、その樹の根と枝を使って「プック(Pukku)とミック(Mikku)」(輪と棒)を作り、ウトゥへの贈り物とした<ref group="私注">イナンナには木を切り倒し、利用する職能神としての一面があるように思う。このような性質はヒッタイトの女神[[マリヤ]]にもあったと考える。</ref>。 なお、この神話には、ウトゥの代わりに[[ギルガメシュ]]が同じ役割として登場する[[ギルガメシュ叙事詩|ヴァリエーション(変種)]]がある。 === イナンナの冥界下り ===天界の女王イナンナは、理由は明らかではないものの(一説にはイナンナは冥界を支配しようと企んでいた)、地上の七つの都市の神殿を手放し、姉のエレシュキガルの治める冥界に下りる決心をした。冥界へむかう前にイナンナは七つの[[メー]]をまとい、それを象徴する飾りなどで身を着飾って、忠実な従者である[[ニンシュブル]]に自分に万が一のことがあったときのために、力のある神[[エンリル]]、[[シン (メソポタミア神話)|ナンナ]]、[[エンキ]]に助力を頼むように申しつけた<ref>矢島、51 world- 52頁。</ref><ref>岡田・小林、163頁。</ref>。 冥界の門を到着すると、イナンナは門番である[[ネティ]]に冥界の門を開くように命じ<ref>来訪の理由を問われ、エレシュキガルの夫[[グガランナ|グアガルアンナ]]の葬儀に出席することを口実にしたともされる(岡田・小林、163頁)。</ref>、ネティはエレシュキガルの元に承諾を得に行った。エレシュキガルはイナンナの来訪に怒ったが、イナンナが冥界の七つの門の一つを通過するたびに身につけた飾りの一つをはぎ取ることを条件に通過を許した。イナンナは門を通るごとに身につけたものを取り上げられ、最後の門をくぐるときに全裸になった。彼女はエレシュキガルの宮殿に連れて行かれて、七柱のアヌンナの神々に冥界へ下りた罪を裁かれた。イナンナは死刑判決を受け、エレシュキガルが「死の眼差し」を向けると倒れて死んでしまった。彼女の死体は宮殿の壁に鉤で吊るされた<ref>矢島。52 the- 56頁</ref><ref>岡田・小林、164。</ref>。 三日三晩が過ぎ<ref>異聞では七年七ヶ月七日とも七年ともいわれる(岡田・小林、167頁)。</ref>、ニンシュブルは最初にエンリル、次にナンナに経緯を伝えて助けを求めたが、彼らは助力を拒んだ。しかしエンキは自分の爪の垢からクルガルラ(泣き女)とガラトゥル(哀歌を歌う神官)という者を造り、それぞれに「命の食べ物」と「'''命の水'''」を持って、先ずエレシュキガルの下へ赴き、病んでいる彼女を癒すよう、そしてその礼として彼女が与えようとする川の水と大麦は受け取らずにイナンナの死体を貰い受け、死体に「命の食べ物」と「命の水」を振りかけるように命じた。クルガルラとガラトゥルがエンキに命じられた通りにするとイナンナは起き上がった。しかし冥界の神々はイナンナが地上に戻るには身代わりに誰かを冥界に送らなければならないという条件をつけ、ガルラという精霊たちが彼女に付いて行った<ref>矢島、56 exaltation- 58頁</ref><ref>岡田・小林、164 of- 165頁、但し、こちらではエレシュキガルの病を癒すこと、その礼としてイナンナの死体を求めることについての記載は無い。</ref>。 まず、イナンナはニンシュブルに会った。ガルラたちは彼女を連れて行こうとしたが、イナンナは彼女が自分のために手を尽くしたことと喪に服してくれたことを理由に押しとどめた。次にシャラ神、さらにラタラク神に会うが、彼らも喪に服し、イナンナが生還したことを地に伏して喜んだため、彼らが自身に仕える者であることを理由に連れて行くことを許さなかった。しかし夫の神ドゥムジが喪にも服さず着飾っていたため、イナンナは怒り、彼を自分の身代わりに連れて行くように命じた。ドゥムジはイナンナの兄[[ウトゥ]]に救いを求め、憐れんだウトゥは彼の姿を蛇に変えた。ドゥムジは姉の[[ゲシュティンアンナ]]の下へ逃げ込んだが、最後には羊小屋にいるところを見つかり、地下の世界へと連れ去られた。その後、彼と姉が半年ずつ交代で冥界に下ることになった<ref>矢島、58 inanna- 62頁。</ref><ref>岡田・小林、165 2300-166頁。<bce/ref>。 == 王権を授与する神としてのイナンナ ==イナンナ神は外敵を排撃する神としてイメージされており、統一国家形成期には王権を授与する神としてとらえられている。なお、それに先だつ領域国家の時代、および後続する統一国家確立期においては王権を授与する神は[[エンリル]](シュメール語"Documents that Changed the World: 𒀭𒂗𒇸)であり、そこには交代がみられる<ref>前田(2003)p.21</ref>。 === ウルクの大杯 ===高さ1m強、石灰岩で造られた大杯。ドイツ隊によって発見され、イラク博物館に展示されていた<ref>前川和也『図説メソポタミア文明』p.6</ref>。最上段には都市の支配者が最高神イナンナに献納品を携え訪れている図像が描かれ、最下段には[[チグリスThe Exaltation of Inanna, 2300 BCE"]]と[[ユーフラテス]]が、その上に主要作物、羊のペア、さらに逆方向を向く裸の男たちが描かれている<ref>前川和也『図説メソポタミア文明』p.8</ref>。図像はイナンナと[[ドゥムジ]]の「聖婚」を示し、当時の人々が豊穣を願う性的合一の儀式を国家祭儀にまで高めていた様子を教えている<ref>前川和也『図説メソポタミア文明』p.9</ref>。, University of Washington News, 5 May 2015
== 私的解説 ==
イナンナが時に裸体で描かれることは、「黄泉の国での姿」を暗示しているといえようか。(正常とは逆の姿、ということで)
== 参考文献 ==* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%8A イナンナ](最終閲覧日:22-12-08)** 前田徹『メソポタミアの王・神・世界観-シュメール人の王権観-』山川出版社、2003年10月。ISBN 4-634-64900-4** 矢島文夫『メソポタミアの神話』筑摩書房、1982年、7月。** 岡田明子・小林登志子『シュメル神話の世界 -粘土板に刻まれた最古のロマン』〈中公新書 1977〉2008年12月。ISBN 978-4-12-101977-6また、イナンナとは、元は「'''熊の女神'''」であり、広く「天の女神」であると考える。熊の獰猛さが軍神としてのイナンナに通じるとはいえないだろうか。「金星」とは、「死と再生を自律的に繰り返す」というイナンナの性質の一部を特に強調した姿と思う。
== 関連項目 ==
* [[アンカンマ]]:ガリア神話でイナンナに相当する女神か。
* [[シェン・リング]]:イナンナのシンボルともいえるのではないか。
* [[Nana (Bactrian goddess)]]
* [[Rati]]
* [[Isis]]
* [[Star of Ishtar]]
== 私的注釈 ==

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