また、『女性の太陽神を祀るために、神像は高台に吊るされたと思われる<ref>[https://read01.com/o2O5oz.html 現存唯一紅山文化玉器女太陽神;高26寬7.5厚10厘米,重2246克、原文網址:https://read01.com/o2O5oz.html]、壹讀、15-04-21(最終閲覧日:22-12-19)</ref>。』とあることから、「木に吊された生贄([[人身御供]])」があったのではないか、と個人的には思う。彼らが太陽女神に捧げられたものであるのか、それ以外の神に捧げられたものかは判然としないが、「太陽女神の像を吊した」ということは、「'''太陽女神を模して他の神に生贄を捧げた'''」可能性の方が高いように思う。すなわち、太陽女神の兎化に伴って、太陽女神はその地位が低下すると共に、「生贄を捧げられる側」から「生贄となって捧げられる側」へと変化したことが示唆されると考える。太陽女神を模した人身御供であるならば、生贄は女性であった可能性が高く、母系社会ではあっても女性の社会的地位の低下が始まっていたことが窺える。墓の副葬品の中には破壊された女神像と思われるものもあり、「死者の再生」のために女神を模した女性(の延長線にある女神像)を生贄に捧げたことも示唆されるように思う。日本の縄文時代の遺跡にも墓に「意図的に破壊された女神像」が副葬品としてみられることがあり、紅山文化の影響がみられるように思う。
紅山文化からは「目の着いた雲型」の玉器も発見されている。雲は日月を隠すものであるし、時には慈雨ではなく大雨や大雪、嵐をもたらすものである。図7の勾雲形玉器は、このように時には「祟り」とも言うべき災害をもたらす天候神の発生を示すものではないか、と個人的には思う。これは日本で言うところのいわゆる風神・雷神に相当する。中東や西欧の古代の多神教ではこのような天候神が主神とされることが多い。特に北欧神話のオーディン、ガリア神話のエススは「木に吊した生贄」を求める神なので、紅山文化の「吊す」思想が伝播したものと思われ興味深い。また、男性形の天候神は軍神を兼ねることも多く、その地位をかつての「熊野太陽女神」から受け継いだことが示唆されるように思う。「'''太陽女神を模した女性達'''」は、このように「'''災害をもたらす男性の天候神'''」を慰撫したり、機嫌をとって祟りを起こさせないために捧げられたものではないだろうか。紅山文化の「勾雲形玉器」は、[[大汶口文化]]の'''日雲山像'''の「'''雲'''」へと変遷していくように思う。」へと変遷していくように思う。この擬人化された「目のついた雲」が怒らぬように、太陽(や月)を隠して人々の生活に禍を起こさぬように祈るのである。この漠然とした神も、メソポタミア神話のエンリルのように「少なくとも一度は死んだもの」と考えられていたかもしれない。また、これを人々は「天」と呼んで、太陽さえもこの「天」の神に従うものと考えたのではないだろうか。日本神話の天照大御神や北欧神話の太陽女神ソールは、必ずしも神話世界の主人ではなく、更に上位に複数の神々が存在し、それらに仕える立場でもある。 また、兎が太陽女神のトーテムとして採用された理由としては、兎が声帯を持たず、声を出さないことから「余計なおしゃべりをしない」という意味で、「下位の神」のトーテムとされたことに一因があると思う。特に西欧のギリシア・ローマ神話にはいくつかバリエーションを変えて、女性のおしゃべりを戒める神話が目立つ。
== 関連項目 ==