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9,361 バイト追加 、 2022年12月20日 (火) 18:23
なお紅山文化時代の古人骨のY染色体ハプログループ分析によると、ウラル系諸族やヤクート人に高頻度で観察されるハプログループNが67%の高頻度で観察され<ref> Yinqiu Cui, Hongjie Li, Chao Ning, Ye Zhang, Lu Chen, Xin Zhao, Erika Hagelberg and Hui Zhou (2013)[http://bmcevolbiol.biomedcentral.com/articles/10.1186/1471-2148-13-216 "Y Chromosome analysis of prehistoric human populations in the West Liao River Valley, Northeast China. "] BMC 13:216</ref>、遼河文明の担い手がウラル語族の言語を話していた可能性も考えられる。
 
== 私的考察 ==
「[[玉兎]]」といえば現代の中国では「月の神」というか月に住む神獣とされているが、紅山文化では「太陽女神」とされていたように思う(図2-5)。また、紅山文化からは玉の象?(図6)、目のついた雲型(図6)、玉亀、玉蛙、玉蝉、玉梟なども出土しており、「太陽神」に複数のトーテムが重ね合わせられていたか、それぞれに異なる神の役割を負っていた、いわゆる「多神教」の状態であったことが分かる。また、太陽女神は「兎様」ではあるけれども、耳の乏しいもの(図2)、人間的な耳を有しているもの(図4)などがあり、純粋な兎というよりは擬人化した兎であり、もしかしたら本来の兎にはない神獣的な役割も備わっていたかもしれないと思う。特に兎の特徴である長い耳は「鳥の翼」のようにも考えられていたのではないか、と個人的に想像する。
 
少なくとも、中原では炎帝が「有熊国の住人」とされるように、太陽神のトーテムの一つに「熊」があったように思う。朝鮮の檀君神話では檀君の母は熊女であり、洞窟に籠もって修行して人間になったと言われている。日本神話の天照大御神は、直接彼女が熊であった、とはされていないが、日本には熊野といった熊に関する古来よりの信仰の聖地があり、熊野の神々と言われる伊邪那美命、須佐之男命、金山彦命等は天照大御神の眷属であって、彼らのトーテムがまとめて熊であることが暗に示唆されている。よって、古来より「太陽女神」の主要なトーテムには「熊」があったと思われる。熊は肉食獣であり、略奪遊牧系の民族であれば、獰猛な猛獣をトーテムとして勇猛さを誇ることは理にもかなっている。中東やエジプトでライオンが女神と関連づけて信仰されていたのも、同様に民族の「勇猛さ」を示したものと考える。
 
しかし、紅山文化では、文化は母系であるにも関わらず、太陽女神は草食獣で捕食される動物である兎に変更され、それに伴ってその地位が低下しているように思う。紅山文化では玉亀、玉蛙が発見されており、その点は良渚文化と共通している。朝鮮神話では亀が月神とされており、また朱蒙の父親の一人に「金蛙王」と蛙をトーテムとした人物がいる。中国神話では亀は五山、すなわち世界を支える地面の基盤とされているため、これらの水生生物は紅山文化・良渚文化で共通して、「大地の神」か、あるいは「死んだ神」が変化して月神あるいは星神(特に「金」がつくものは金星)になったもの、とみなされていた可能性があるように思う。「大地の神」であっても、死後天に昇って星神となった、とされることはあるように思うからである。よって、紅山文化の翡翠の玉製品は、必ずしも太陽神に対する信仰のみに特化されていたものではなく、神々を示すものとされていたし、その思想は良渚文化にも受け継がれたように思う。また、神々の役割分担が細分化され、いわゆる「多神教化」が進んでおり、太陽女神の地位の低下もそれに伴った可能性があるように思う。
 
また、『女性の太陽神を祀るために、神像は高台に吊るされたと思われる<ref>[https://read01.com/o2O5oz.html 現存唯一紅山文化玉器女太陽神;高26寬7.5厚10厘米,重2246克、原文網址:https://read01.com/o2O5oz.html]、壹讀、15-04-21(最終閲覧日:22-12-19)</ref>。』とあることから、「木に吊された生贄([[人身御供]])」があったのではないか、と個人的には思う。彼らが太陽女神に捧げられたものであるのか、それ以外の神に捧げられたものかは判然としないが、「太陽女神の像を吊した」ということは、「'''太陽女神を模して他の神に生贄を捧げた'''」可能性の方が高いように思う。すなわち、太陽女神の兎化に伴って、太陽女神はその地位が低下すると共に、「生贄を捧げられる側」から「生贄となって捧げられる側」へと変化したことが示唆されると考える。太陽女神を模した人身御供であるならば、生贄は女性であった可能性が高く、母系社会ではあっても女性の社会的地位の低下が始まっていたことが窺える。墓の副葬品の中には破壊された女神像と思われるものもあり、「死者の再生」のために女神を模した女性(の延長線にある女神像)を生贄に捧げたことも示唆されるように思う。日本の縄文時代の遺跡にも墓に「意図的に破壊された女神像」が副葬品としてみられることがあり、紅山文化の影響がみられるように思う。
 
紅山文化からは「目の着いた雲型」の玉器も発見されている。雲は日月を隠すものであるし、時には慈雨ではなく大雨や大雪、嵐をもたらすものである。図7の勾雲形玉器は、このように時には「祟り」とも言うべき災害をもたらす天候神の発生を示すものではないか、と個人的には思う。これは日本で言うところのいわゆる風神・雷神に相当する。中東や西欧の古代の多神教ではこのような天候神が主神とされることが多い。特に北欧神話のオーディン、ガリア神話のエススは「木に吊した生贄」を求める神なので、紅山文化の「吊す」思想が伝播したものと思われ興味深い。また、男性形の天候神は軍神を兼ねることも多く、その地位をかつての「熊野太陽女神」から受け継いだことが示唆されるように思う。「'''太陽女神を模した女性達'''」は、このように「'''災害をもたらす男性の天候神'''」を慰撫したり、機嫌をとって祟りを起こさせないために捧げられたものではないだろうか。紅山文化の「勾雲形玉器」は、[[大汶口文化]]の'''日雲山像'''の「'''雲'''」へと変遷していくように思う。この擬人化された「目のついた雲」が怒らぬように、太陽(や月)を隠して人々の生活に禍を起こさぬように祈るのである。この漠然とした神も、メソポタミア神話のエンリルのように「少なくとも一度は死んだもの」と考えられていたかもしれない。「目」がついているところから、現在の神話でいえば[[盤古]]、[[炎帝神農|炎帝]]、[[蚩尤]]などが生前の候補として挙げられるように思う。祟り神のように「悪い神」の要素が強い場合には[[嫦娥]]のような女性の女神が[[相柳]]のように作り替えられた可能性もある。また、これを人々は「天」と呼んで、太陽さえもこの「天」の神に従うものと考えたのではないだろうか。日本神話の[[天照大御神]]や北欧神話の太陽女神ソールは、必ずしも神話世界の主人ではなく、更に上位に複数の神々が存在し、それらに仕える立場でもある。
 
また、兎が太陽女神のトーテムとして採用された理由としては、兎が声帯を持たず、声を出さないことから「余計なおしゃべりをしない」という意味で、「下位の神」のトーテムとして相応しい、されたことに一因があると思う。特に西欧のギリシア・ローマ神話にはいくつかバリエーションを変えて、女性のおしゃべりを戒める神話が目立つ。この場合、女神のトーテムとしてしゃべれない動物が採用される傾向にあるように思う。ローマ神話の女神[[ラールンダ]]のトーテムは魚と思われる。女性の活動に抑制的な思想が垣間見えることから、文化は母系であっても、おそらくシャーマンといった神霊を取りしきる職業では男性の台頭が始まっていたのではないか、と推察される。
 
紅山文化の朝鮮、日本への文化的影響について。朝鮮では亀が月の象徴とのことなので、紅山文化や良渚文化の影響が残されたものかと推察する。(管理人は朝鮮の考古学史には全く詳しくないのでこの程度のことしか書けないのだが。)日本については、翡翠の勾玉の形は玉龍に類似しているように思うので縄文系の勾玉文化に影響があったのではないか、と推察する。「目のついた雲」に象徴される「天神」の思想は、土器の紋様などからおそらく存在したと思われる。また、埋葬の副葬品に女神像を破壊したものを埋める習慣も紅山文化の影響ではないだろうか。
== 関連項目 ==
=== 遼河文明一覧 ===
* [[興隆窪文化]]
* [[新楽文化]]
* [[趙宝溝文化]]
* [[夏家店下層文化]]
* [[兎]]
** [[玉兎]]
== 外部リンク ==

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