天美佐利命

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天美佐利命(あめのみさりのみこと)は、『粟鹿大明神元記』において、粟鹿神社の祭神とされる神である。大国主命の子神とされる。

概要[編集]

『粟鹿大明神元記』に記された神話は以下の通りである。

昔、山海や人々の生活も混沌とし、神も天皇になっていない頃、天美佐利命は国を振り固めた。その後、天下が陰り、豪雨が長く続き、洪水が発生し、飢餓や病が流行り、人々が流浪するようになった。天皇は駕き、家臣に命じて占わせた。それによると、大国主命の子の天美佐利命が、まだ朝廷からの尊敬を受けていないため、この災難が起こっているということであった。そのため朝廷は勅命を下し、社殿を建て、12箇所の別所、神戸2烟、神田75町5段180歩を与えた。そして、天美佐利命を祀り、氏と神職を定めるにあたって、大和国の大神神社の氏人(三輪氏)を派遣した。また、祭りや忌月、供日、神宝、礼祭も定めた。これにより、天下は豊かになり、人々も安心して暮らせるようになったという[1][2]

大彦速命が、朝廷に天美佐利命を祭ることを望み、この神の様子を報告した。

私的考察[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. 村山美生「粟鹿大明神元記」について」(『柏高紀要』第4号、1995年)
  2. 前之園亮一, 1976, https://hdl.handle.net/10959/3058, 神話研究における「粟鹿大明神大神元記」の史料価値:「神」概念の形成と出雲神話を中心に, 学習院大学文学部研究年報, ISSN:04331117, 学習院大学文学部, issue23, p115-147, CRID:1520290885415946240, hdl:10959/3058