大彦速命

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大彦速命(おおひこはやのみこと、生没年不詳)は、『粟鹿大明神元記』に記された古墳時代の豪族。父は大多彦命。母は内色許男命女玉降姫命。

概要[編集]

垂仁天皇の時、但馬国の粟鹿の嶺に大国主神の子・天美佐利命という荒ぶる神がいた。姿を雲紫のように変化させ、自由に空中を駆けていた。坂を通る人が10数人あれば10人を殺し5人を往かせた。20人が往来すると、10人を殺し10人を往かした。このような例は、1回や2回だけではなかった。それから数年を経た時、大彦速命が、朝廷に天美佐利命を祭ることを望み、この神の様子を報告した。そこで、朝廷より幣帛などを賜り、祭祀を行った。また、粟鹿嶺の白鹿、その角の間に粟が生えていた。それで、粟鹿大神と名付けた。これ以降、人々は安心して過ごせるようになり、国内は災難がなくなり、穀物も豊かに実るようになったという[1]

脚注[編集]

  1. 前之園亮一, 1976, https://hdl.handle.net/10959/3058, 神話研究における「粟鹿大明神大神元記」の史料価値:「神」概念の形成と出雲神話を中心に, 学習院大学文学部研究年報, ISSN:04331117, 学習院大学文学部, issue23, p115-147, CRID:1520290885415946240, hdl:10959/3058