管理人は、図1,2は図4の図から発展した図であると考える。頂点に「太陽」があり、その下に巨人が描かれているのが図4なのだが、この巨人は図1,2では「山」に相当するものと考える。図1,2の頂点にある円が「太陽」である場合は「太陽信仰」といえる。ただし、図像が図4から発展したものであっても、頂点の「円」は太陽ではないかもしれない、とも思う。大汶口文化は母系から父系への変遷がみられる文化だが、父系の文化は社会の階層化が進み、王権あるいは王権的な制度ができつつあった社会でもあった。後の王権社会で、天上の頂点に座すものは「北極星」である。とすると、図1,2の頂点に座する「円」は「北極星」の可能性もあるように思う。母系社会の世界図の頂点にあるのが「日」であったとすれば、父系社会ではそれは「北極星」であって、世界は「昼」から「夜」へ変わってしまったといえる。その場合は、これは「日雲山」図ではなく、「星雲山」図といえる。ただ、大汶口文化は過渡期の文化であるので、「円」は見る人によって「日」にも「星」にも見えるように描かれたかもしれないと思う。
図4の巨人を[[盤古]]型の巨人とすれば、これは元々は、「死後、天に昇って太陽を支える神となった」とされる、父系の略奪系の遊牧民の「長」のこととすべきかと考える。彼らは生きている時は「長」として君臨し、「太陽女神」の父あるいは夫、あるいは息子であって、女神の意を伝える「シャーマン」でもあったのだろうが、死後は天に昇って太陽を支える天空そのものになったり、星になったりする、と考えられていたのではないだろうか。そして、その地位は代々父から息子へと受け継がれていたのであろう。しかし、略奪される側の農耕文化は長い間母系社会で維持されていたものと思われる。社会全体は母系なのだが、指導者的なシャーマンの上層部は、ほぼ男性だったのかもしれない、と思う。図4は「太陽と巨人」の組み合わせずであって、天体図ともいえるし、城背渓文化(B7000?~B6000?)の時代の「世界図」を示しているともいえよう。それは母系の時代であるので、天の頂点に君臨するのは太陽女神であり、太陽女神が、巨大な「天そのものの巨人」を支配し、操りながら世界を支配する、というものだったのではないだろうか。朝鮮には「王権の母」として熊女の伝承があり、ヨーロッパにも「熊の母」として女神が複数存在する。後の時代に広く「王権の母」とされた太陽女神のトーテムは、おそらく'''熊'''だったのだろうと考える。しかし、それが「優しい母神」であったとは必ずしも言いがたかったのではないか、と個人的には思う。
一方、伝承では、[[盤古]]が亡くなった後に、その体から山に化生した部分もある、とされている。よって、図1,2の「山」は[[盤古]]の体の一部が変化したものなのである。そして、図1,2と図4を見比べた場合、図4の方が増えている紋様があることが分かる。いわゆる「雲」と呼ばれている部分である。