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『好太王碑』には「(朱蒙は)天帝の子、母は河伯の女郎」とある<ref name="日本大百科全書">朱蒙, デジタル版 日本大百科全書+Plus</ref>。『魏書』高句麗伝、『三国史記』高句麗本紀によると、河伯の女・柳花が室内に閉じ込められ、'''日光に感応'''、朱蒙を生んだ<ref name="日本大百科全書"/>。
=== 天光受胎 ===
[[朱蒙]]の母である中国の河伯(黄河の水神)の娘である柳花夫人(ユファ)は<ref name="斗山世界大百科事典1"/><ref name="斗山世界大百科事典2"/><ref name="韓国民族文化大百科事典"/>、太白山の南を流れる優渤水にいたところ、夫余の金蛙王(きんあおう)と出会ったが、柳花の「遊びに出た先で、天帝の子を自称する解慕漱(かいぼそう、ヘモス)に誘われ付いて行くと中々帰して貰えず、両親一族の怒りを買ってしまい仕方なく此処に住んでいます」という話を疑った金蛙によって'''部屋へ閉じ込められていた'''<ref group="私注">これも一種の「岩戸隠れ」と言えるように管理人は思う。金蛙王や解慕漱の子を直接懐胎するのではなく、日光を介するところは、丹塗りの矢を介して懐妊した玉依姫を思わせる。天照大神も須佐之男の子を直接懐胎するのではなく、誓を通して懐妊する。</ref>ところ、日光が柳花を照らし身を引いて避けても日光は追ってきて柳花を身篭らせ、やがて柳花は大きな卵を産んだ<ref>高句麗など鳥を崇拝していた民族では、卵が神聖なものとされた。</ref>。
 
金蛙王は卵を犬や豚の傍に捨てさせるが、共にこれを食べなかった。路上へ捨てると牛馬がこれを避け、野原へ捨てると鳥が卵を抱いて守った。自ら割ろうとしても割れず、遂に母へ返した。柳花が暖め続けると卵が割れ、男の子が生まれた。それが朱蒙である。
 
== 日本書紀の記事 ==
『日本書紀』天智天皇7年([[668年]])冬10月条によると、仲牟王(朱蒙)は高麗(高句麗)を建てた時、国の千年の存続を願ったが、母夫人(柳花)は「善く国を治めても700年でしょう」と言った。唐の大将軍・英公(李勣)が高句麗を滅ぼしたのはまさに700年目であったという。
{{quotation<blockquote>冬十月。大唐大將軍英公打滅高麗。高麗仲牟王初建國時。欲治千歳也。母夫人云。若善治國可得也。〈若或本有不可得也。〉但當有七百年之治也。今此國亡者。當在七百年之末也。(『日本書紀』巻第二十七)</blockquote> 『続日本紀』延暦9年1月15日(790年2月3日)、皇太后(高野新笠)の葬式の箇所に「(遠祖の[[[[朱蒙|{{lang都慕王]]]]は)河伯の娘が日光に感応して生んだ」とあり、高野新笠の諡号「天高知日乃子姫尊」はこの伝説に因んで贈られた<ref>松本信広編集『論集 日本文化の起源4』(平凡社、1971年) 所収 内藤湖南「東北亜細亜諸国の開闢伝説」p253</ref>。 <blockquote>明年正月十四日辛亥。中納言正三位藤原朝臣小黒麻呂率誄人奉誄。上諡曰天高知日之子姫尊。壬午。葬於大枝山陵。皇太后姓和氏。諱新笠。贈正一位乙継之女也。母贈正一位大枝朝臣眞妹。后先出自百濟武寧王之子純陀太子。皇后容徳淑茂。夙著聲譽。天宗高紹天皇龍潜之日。娉而納焉。生今上。早良親王。能登内親王。寳龜年中。改姓爲高野朝臣。今上即位。尊爲皇太夫人。九年追上尊號。曰皇太后。其百濟遠祖都慕王者。河伯之女感日精而所生。皇太后即其後也。因以奉諡焉。(『続日本紀』巻第四十)</blockquote> == 私的解説 ==柳花夫人と[[洛嬪]]は同じ神ではないか、と考える。柳花夫人には[[解慕漱]]と[[金蛙王]]という二人の夫がいる。[[解慕漱]]が[[黄帝]]([[羿]])、[[金蛙王]]が[[炎帝神農|zh-Hant|冬十月。大唐大將軍英公打滅高麗。高麗仲牟王初建國時。欲治千歳也。母夫人云。若善治國可得也。〈若或本有不可得也。〉但當有七百年之治也。今此國亡者。當在七百年之末也。}}|『日本書紀』巻第二十七}}炎帝]](河伯)といえるのではないだろうか。[[金蛙王]]が子供(卵)を殺そうとするところは、[[人身御供]]を思わせるし、[[須佐之男命]]の[[織女]]殺しにも通じるように思う。柳花夫人を閉じ込めるところは「[[岩戸神話]]」に通じるし、[[檀君神話]]の熊女が洞窟に籠もるところとも一致する。 すなわち、柳花夫人とは日本神話の[[天照大御神]]に相当し、本来は「日光に感精して子供を生む」というよりも、自らが太陽女神であったと考える。高句麗、日本と、北東アジアでは、ほぼ共通した始祖神話を持っていると考える。 {{Wikisourcelang|zh|日本書紀/卷第廿七}}[[ヤナギ]]は古代中国では、春を象徴する木とのことである。本来の柳花夫人は春をもたらす女神であり、祖神であったのではないだろうか。春をもたらす女神である点は[[西王母型女神]]、祖神である点は[[女媧型女神]]であると考える。
柳花夫人が誰かに殺された、というような直接的な伝承はないのだが、「閉じ込められている」という点で[[続日本紀棄老]]に類似した方法で亡くなったことが、伝承的表現では暗示されているように思う。また、植物の化身である点も、「死体が化生したもの」であることが暗喩される。そのため、[[延暦嫦娥型女神]]9年1月15日([[790年]][[2月3日]])、皇太后([[高野新笠]])の葬式の箇所に「(遠祖の[[都慕王]]は)河伯の娘が日光に感応して生んだ」とあり、高野新笠の諡号「天高知日乃子姫尊」はこの伝説に因んで贈られた<ref>[[松本信広]]編集『論集 日本文化の起源4』([[平凡社]]、[[1971年]]) 所収 [[内藤湖南]]「東北亜細亜諸国の開闢伝説」p253</ref>。{{quotation|{{lang|zh-Hant|明年正月十四日辛亥。中納言正三位藤原朝臣小黒麻呂率誄人奉誄。上諡曰天高知日之子姫尊。壬午。葬於大枝山陵。皇太后姓和氏。諱新笠。贈正一位乙継之女也。母贈正一位大枝朝臣眞妹。后先出自百濟武寧王之子純陀太子。皇后容徳淑茂。夙著聲譽。天宗高紹天皇龍潜之日。娉而納焉。生今上。早良親王。能登内親王。寳龜年中。改姓爲高野朝臣。今上即位。尊爲皇太夫人。九年追上尊號。曰皇太后。其百濟遠祖都慕王者。河伯之女感日精而所生。皇太后即其後也。因以奉諡焉。}}|『続日本紀』巻第四十}}{{Wikisourcelang|zh|續日本紀/卷第四十}}でもある、と考える。
== 家族 ==
* [[卵胎生]]
* [[ヤナギ]]
* [[洛嬪]]
== 参照 ==
{{DEFAULTSORT:ゆふあふしん}}
[[Category:朝鮮神話]]
[[Category:西王母型女神]]
[[Category:女媧型女神]]
[[Category:嫦娥型女神]]
[[Category:植物神]]

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