は説明が欲しい、と思うところである。</ref>。
== 私的考察 ==
顓頊 - [[鯀]] - [[禹]]
の三代は伝説上の人物であって、特に創作性の高い三代ではないか、と思う。
その理由のまず第一は、この三代の変遷が、「伏羲-炎帝(神農)-黄帝」の王権入れ替わり神話をなぞらえているのではないか、と思われるからである。伏羲は八卦等、祭祀の基本、方向性を決めた存在で、顓頊が新伏羲に相当する。[[鯀]]は新[[炎帝神農|炎帝]]といえ、農耕の神とされながら何か失策があって[[黄帝]]に倒された[[炎帝神農|炎帝]]の姿を投影している。鯀も治水事業を行いながら横死している。とすれば、[[炎帝神農|炎帝]]と[[鯀]]は彼らそのものが[[鬼神]]として信仰の対象となり得る。また[[鯀]]は魚(水生生物)と白馬がトーテムである。馬と魚は龍の原型ともいえるので、鯀には治水神というだけでなく、龍神、水神の性質も含まれ、[[鯀]]が河伯そのものといっても良い立場である。その性質は[[禹]]にも引き継がれるが、[[禹]]の治水は成功する。その成功は[[黄帝]]になぞらえられ、[[禹]]は新黄帝といえる。
[[鯀]]と[[禹]]は親子とされているため、先祖信仰かつ鬼神信仰という点で、[[禹]]は[[鯀]]に対する祭祀を行うべき立場である。[[黄帝]]と[[炎帝神農|炎帝]]の立場と比較すれば、彼らは兄弟である、と言われたり、[[黄帝]]は最後の[[炎帝神農|炎帝]]の臣下のように描かれているし、[[黄帝]]が[[炎帝神農|炎帝]]を倒したのだから、[[黄帝]]が[[炎帝神農|炎帝]]の政治や祭祀を引き継ぐ立場にはないことは明らかである。[[炎帝神農|炎帝]]の政治の何か間違っている部分を正すことが[[黄帝]]の役割である。その点が[[黄帝]]と[[禹]]の違いである。
また[[禹]]は祭祀を独占し確立させた顓頊を次ぐべき立場でもある。顓頊の祭祀権の独占はやがて殷の祭祀権・王権の独占へと移っていくことは明らかである。それと共に一般庶民にとっても身分や家柄による「職能」の発生へと繋がらないだろうか。みな、行うべき職業を確定されるからこそ、祭祀権・王権の独占も可能となるといえる。[[禹]]はそのような政治を受け継ぐ立場でもある。
よって、「顓頊 - [[鯀]] - [[禹]]」三代は、伏羲 - [[炎帝神農|炎帝]]と確立してきた祭祀権の確立、治水・開墾技術・農業技術・医療技術の独占等に対し、'''その後に来る[[黄帝]]が反逆するのではなく、[[黄帝]]の子孫がそれを受け継ぐことこそが正当である、と主張するために創作された三代である'''と考える。もちろんモデルとなった実在の人物はいると思われる。
彼らの目的は、自らが「河伯」と名乗ること。そして他の「河伯」といえる勢力を倒して、'''神権を独占すること'''だったと思われる。[[共工]]や[[無支祁]]はそのために「悪者にされて」倒されたスケープゴートとは言えないだろうか。そして特に倒された中に「母神たる女神」がいたとすればそれは「親殺し」といえるものではないだろうか。そして彼らは、日光感精説話にあるように「太陽」の子孫と言える。新[[炎帝神農|炎帝]]とも言うべき[[鯀]]の子孫だからである。また[[黄帝]]の子孫も名乗る。新[[黄帝]]ともいうべき[[禹]]の子孫だからである。要するに、顓頊三代は、彼らの子孫が[[炎帝神農|炎帝]]と[[黄帝]]の両方の子孫を名乗り、全ての祭祀権と王権が自らのものである、と主張するために作られた人工的は三代といえるのではないだろうか。そして彼らが[[鬼神]]信仰を確立させたのであれば、[[鬼神]]に対する[[人身御供]]も確立させたのではないだろうか。
日本神話の須佐之男が農業技術・土木技術・医療技術の神とされる一方で、「川の神」を倒し神権と技術権の独占を行ったことは、顓頊三代の事業と一致し、須佐之男が中国の顓頊三代に相当する神であることを示してると考える。建築に関する[[人身御供]]([[人柱]])を求める思想が、須佐之男信仰に基づくものであることが分かるし、おそらく古代中国では顓頊を通した[[炎帝神農|炎帝]]信仰と[[炎帝神農|炎帝]]がその代表格である[[鬼神]]信仰に基づくものであることが推察される。
== 関連項目 ==
* [[禹]]
* [https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%B7 [鯀]]* [[鬼神]]
== 私的注釈 ==
{{DEFAULTSORT:せんきよく}}
[[Category:中国神話]]
[[Category:特許神]]