==== 鎌倉大草紙 ====
鎌倉大草紙には異なる話が書かれている。満重が三河の国に脱出した頃、判官の子である小次郎'''助重'''とその家来は相模国権現堂<ref>『新編相模国風土記稿』では高座郡大庭庄石川村(現・藤沢市石川)の小名権現村であるとする<ref>間宮士信 『新編相模国風土記稿』では高座郡大庭庄石川村(現・藤沢市石川)の小名権現村であるとする間宮士信 等, 1888 , 新編相模国風土記稿 , 鳥跡蟹行社 , 第3輯 大住・愛甲・高座郡, NDLJP:763969/423</ref>。2015年現在、権現庭の地名と熊野権現堂が残る。<ref>[http://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/zengyo-c/kyoiku/bunka/kyodoshi/documents/000383894.pdf 『善行の古道を歩いて名跡を訪ねる』] ぜんぎょうを知ろう!ふるさと再発見編集委員会 善行地区郷土づくり推進会議 善行市民センター、平成26年、43頁。</ref>}}に泊まった。屋敷に出入りする盗賊に毒を盛られたが、気が合った屋敷の遊女のひとり、'''照姫'''に進言された助重は酒を口にしなかった。
知らずに飲んだ遊女たちと家来は酔って寝込んでしまった{{efn|寝込んだ者たちは皆、川に投げ込ま水死してしまった。ただ一人、照姫は酔ったふりをしていただけだったので、這い上がって逃げおおせた。}}。助重は盗賊が用意していた暴れ馬を巧みに乗りこなし、遊行寺にいったん逃げ込み助けを求めたのち、三河へと脱出に成功した。後に照姫を探し出して宝を与え、盗賊を退治したという<ref>[http://www1.fujisawa-kng.ed.jp/kyobun-c/index.cfm/11,3279,68,html 藤沢を知る「小栗判官・照手姫」|藤沢市]</ref>{{efn|助重と照姫が結ばれたという記述はない。}}。