=== 論点 ===
李氏朝鮮時代、歴史家の間で確立された見解は、朝鮮の起源を中国の難民にさかのぼり、朝鮮の歴史を中国とつながる歴史の連続だと考えた。殷からの難民箕子が建国したとされる箕子朝鮮と新羅(新羅の前身辰韓は秦からの難民)はこのように価値づけられ、檀君朝鮮と高句麗は重要だとは考えられなかった<ref>Karlsson, 2009, p3</ref>。しかし1930年代に、民族主義的ジャーナリスト申采浩(1880-1936)の影響を受けて、中国人が建国した箕子朝鮮より、朝鮮の檀君朝鮮の方が重要視されるようになり<ref name="Simons70">Simons, 1999, p70</ref>、檀君朝鮮は民間信仰を、箕子朝鮮は儒教を背景にして、韓国では自国文化尊重ということから、民族文化を形成する檀君朝鮮がだんだん有利となる<ref>許昌福, 2002 , 東アジアの祝祭日 , TORCレポート , 公立鳥取環境大学地域イノベーション研究センター , https://www.kankyo-u.ac.jp/f/innovation/torc_report/report15/15-holi.pdf , https://web.archive.org/web/20161201080734/https://www.kankyo-u.ac.jp/f/innovation/torc_report/report15/15-holi.pdf , 2016-12-01 , PDF, page29</ref>。申采浩にとって、檀君は朝鮮民族と朝鮮最初の国の創設者であり、朝鮮の歴史のために必要な出発点だった<ref name="Armstrong3">Armstrong, 1995, p3</ref>。
檀君を『三国遺事』の著者による創作だとする白鳥庫吉と今西龍による批判に対して、民族主義的歴史家崔南善は、日本神話は創作されていると批判した<ref name="Allen793">Allen, 1990, pp793-795</ref>。申にとっては、檀君のような古代の人物が朝鮮を作った事は朝鮮が中国より古い事を証明し、檀君が中国を植民地化したとの架空の話は朝鮮が中国よりも優れている事を証明し、中国神話の皇帝と賢人は本当は朝鮮人だったと主張した<ref>Pai, 2000, p266</ref>。
北朝鮮学界の檀君朝鮮に関する見解は、「檀君神話は、'''たとえ幻想的な内容が盛り込まれていても、古朝鮮の建国過程が反映されている'''」というものであり、檀君神話にシャーマニズムの宗教観やトーテミズムの社会要素をみいだす李基白(이기백、西江大学)の主張に通じる<ref name="송영현9"/>。韓国の歴史教科書もこうした見解を反映しており、神話の人物である檀君を歴史的存在として認める2002年の第7次国定教科書改訂『国史』は、「神話は、その時代の人々の関心が反映されたものであり、歴史的な意味が込められている。これは全ての神話に共通する属性であり、檀君の記録も青銅器時代文化を背景にした古朝鮮の成立という歴史的事実を反映している」と述べている<ref name="송영현9">송영현, 2007-12, 북한역사교과서의 고대사서술의 문제, 西江大学, http://163.239.1.207:8088/dl_image/IMG/03//000000014617/SERVICE/000000014617_01.PDF, 2021-10-23, page9</ref>。
<blockquote>青銅器文化が形成され、満州遼寧地方と韓半島西北地方には、族長(君長)が治める多くの部族が現れた。檀君はこうした部族を統合し、古朝鮮を建国した。檀君の古朝鮮建国は、わが国の歴史が非常に古いことを示している。また檀君の建国事実と「弘益人間」の建国理念は、わが民族が困難に直面するたびに自矜心を呼び起こす原動力となった。その他にも檀君の建国神話を通して、わが民族が初めて建国した時の状況を推測することができる。熊と虎が登場することからは、先史時代に特定動物を崇拝する信仰が形成され、その要素が反映していることが知られる。また雨・風・雲を主管する人物がいることからは、わが民族最初の国家が農耕社会を背景に成立したことを推測することができる。(中学校、国史、p18)</blockquote>
中学『国史』では、神話である檀君が朝鮮最初の国家を建国したことを明示して、檀君神話を通して建国時の状況を推測できるとして、朝鮮最初の国家は農耕社会として成立したと叙述する<ref>金, 2012, p32</ref>。
<blockquote>古朝鮮建国の事実を伝える檀君神話は、わが民族の始祖神話として広く知られている。檀君神話は長い歳月を経て伝承され、記録として残されたものである。その間に、ある要素は後代に新たに追加され、時には失われもした。神話は、その時代の人々の関心が反映されたもので、歴史的な意味が込められている。これはあらゆる神話に共通する属性でもある。檀君の記録も同じく、青銅器時代の文化を背景とした古朝鮮の成立という、歴史的事実を反映している。(高等学校, 国史, p32-p33)</blockquote>
高校『国史』は、檀君神話は朝鮮の始祖神話であるが、単なる神話ではなく歴史的事実を示すものであると叙述する<ref name="金 2012 33">金, 2012, p33</ref>。
<blockquote>農耕の発達により剰余生産物が生まれ、青銅器が使用される中で、私有財産制度と階級が発生した。その結果、富と権力をもつ族長(君長)が出現した。族長は、勢力を伸ばして周辺地域を合わせ、ついには国家を築いた。この時期に成立したわが国最初の国家が、古朝鮮である。以後、古朝鮮は鉄器文化を受容しながら、中国と対決するほどに大きく発展した。(高等学校, 国史, p26)</blockquote>
高校『国史』は、朝鮮最初の国家は古朝鮮であると明言して、「わが民族」と檀君神話とを直接的結びつける<ref name="金 2012 33"/>。
<blockquote>族長社会でもっとも早く国家に発展したのは古朝鮮であった。『三国遺事』や『東国通鑑』の記録によると、檀君王倹が古朝鮮を'''建国したとする'''(紀元前2333)。檀君王倹は当時の支配者の称号であった。(高等学校, 国史, 2006年)</blockquote>
<blockquote>族長社会でもっとも早く国家に発展したのは古朝鮮であった。『三国遺事』や『東国通鑑』の記録によると、檀君王倹が古朝鮮を'''建国した'''(紀元前2333)。檀君王倹は当時の支配者の称号であった。(高等学校, 国史, 2007年)</blockquote>
1981年に大韓民国教育部長官の安浩相(안호상)が'''1'''檀君と箕子は実在の人物'''2'''檀君と箕子の領土は中国北京まで存在した'''3'''王倹城は中国遼寧省にあった'''4'''漢四郡は中国北京にあった'''5'''百済は3世紀から7世紀にかけて、北京から上海に至る中国東岸を統治した'''6'''新羅の最初の領土は東部満州で、統一新羅の国境は一時北京にあった'''7'''高句麗・百済・新羅、特に百済が日本文化を築いたという「国史教科書の内容是正要求に関する請願書」を国会に提出した<ref>尹種栄, 1999, 国史教科書の波動 , ヘアン, page22</ref><ref>金, 2012, p51</ref>後に作られた、1982年『国史』から2006年『国史』までは、古朝鮮の建国は、「檀君王倹が古朝鮮を'''建国したとする'''」と『三国遺事』を引用して、歴史的事実である可能性を叙述する<ref name="金 2012 34">金, 2012, p34</ref>。しかし2007年『国史』からは、「檀君王倹が古朝鮮を'''建国した'''」とし、『三国遺事』からの単純な引用ではなく、歴史的事実として確定する<ref name="金 2012 34"/>。
<blockquote>新石器時代に続き、韓半島では紀元前10世紀頃に、満州地域ではこれに先立つ紀元前15~13世紀頃に、青銅器時代が展開した。(高等学校, 国史, 2006年, p27)</blockquote>
<blockquote>新石器時代末の紀元前2000年頃に、中国の遼寧や、ロシアのアムール川および沿海州地域から入ってきた粘土帯刻文土器文化は、先行する櫛歯文土器文化と約500年間共存した末に、次第に青銅器時代へと移行した。これが紀元前2000年頃から紀元前1500年頃のことで、韓半島の青銅器時代が本格化した。(高等学校, 国史, 2007年, p27)</blockquote>
2006年『国史』までは、紀元前10世紀に青銅器が伝来したが、古朝鮮は紀元前2333年に建国されたとして、古朝鮮は石器時代に国家が形成された世界でも例を見ない国家となる<ref name="金 2012 34"/>。2006年『国史』までは、檀君による古朝鮮建国は事実としつつも、紀元前2333年という建国年は容認しなかったが、2007年『国史』からは、青銅器伝来時期についての記述を通じて、檀君による古朝鮮建国のみならず建国年まで事実とする<ref name="金 2012 34"/>。2007年『国史』改訂について宋鎬晸(송호정、韓国教員大学)は、「韓国の考古学界では、典型的な青銅器遺物は紀元前10世紀より遡らないのが主流の見解」「朝鮮半島で紀元前15世紀に青銅器遺物が出土したとみることはできるが、それは、本格的な青銅器時代ではなく、本格的な青銅器時代は紀元前10世紀というのが歴史学界の主流の見解」であり、典型的な青銅器時代の遺物は、琵琶形銅剣、シャムシール、美松里式土器であり、青銅器が使用される時代を青銅器時代というべきであり、2007年『国史』改訂の根拠とした春川、晋州で出土した装身具では、本格的な青銅器時代とはいえず、旌善、春川の考古学遺物は発掘も終了しておらず、当然報告書もない<ref name="京郷新聞0306"/>。2007年『国史』改訂は、「中国の東北工程に対抗するため、自民族中心の歴史観に基づき、歴史の起源を遡らせ、中国と同時代に朝鮮に政体が出現した」という政治的意図があり、考古学界および歴史学界の主流の意見を反映していない。歴史教科書で檀君朝鮮の実在を主張するならば、『檀君朝鮮は、どんな人がどのように生活していたのか』を証拠に基づいて具体的に記述しなければならず、さらに、現在の歴史教科書で省かれ、疎かに扱われている箕子朝鮮・衛氏朝鮮も記述しなければならない」と指摘している<ref name="京郷新聞0306">2007-03-06, 고조선 역사 편입과 청동기 기원, 京郷新聞, https://www.khan.co.kr/article/200703061731441, https://web.archive.org/web/20210821104750/https://www.khan.co.kr/article/200703061731441, 2021-08-21</ref>。
<blockquote>わたしたちの同胞は、最初の国である古朝鮮を建て、高句麗・百済・新羅に続き、統一新羅と渤海を経て発展してきた。わたしたちの同胞が発展してきた過程を、歴史的人物と文化財を中心に詳しく見てみよう。(初等学校, 社会6-1, p4)</blockquote>
<blockquote>わたしたちの祖先は、青銅器文化を基礎に、最初の国家である古朝鮮を建てた。上の文章は、古朝鮮の建国を伝える檀君神話である。ユミのクラスでは、檀君神話を読んで、古朝鮮について話し合ってみた。『三国遺事』の檀君の建国神話について意見を交わしたユミのクラスの生徒たちは、様々な資料を調べて、古朝鮮とその後の国々について整理してみた。《古朝鮮の建国》国を建てた人:檀君王倹、建国の時期:紀元前2333年、都の場所:阿斯達、国を治める精神:広く人間を有益にするという「弘益人間」の精神(初等学校, 社会6-1, p7-p8)</blockquote>
小学『社会』では、青銅器を基礎に紀元前2333年に神話である檀君によって建国された古朝鮮が朝鮮最初の国家と明言する<ref>金, 2012, p35</ref>。このような教科書で学習した学生たちは、疑問を差し挟む余地なく神話である檀君と古朝鮮、その建国時期について史実と考えるようになる<ref name="金 2012 36">金, 2012, p36</ref>。大部分の学生たちは教科書を常に正しいと信じており、授業の評価方式は、教科書の内容を正確に覚えて正解を選んだものが高得点を得るようになっているからである<ref name="金 2012 36"/>。井上直樹は、檀君朝鮮は『三国遺事』によればそうなるだけであり、それが史実かどうかは別問題であり、『三国遺事』や『帝王韻記』は史料批判・史料考証が必要であり、檀君朝鮮を『三国遺事』の神話に求め、そのまま認める教科書の記述は、史料考証に基づく既往の研究成果から導き出された結論か疑問だと批判している<ref name="井上 2010 412₋413"/>。
=== 北朝鮮における檀君朝鮮 ===
金日成は檀君の末裔を自任し「祖先の加護により(抗日パルチザンの)勝利を得た」と演説している<ref name="産経新聞0608">野口裕之, https://www.sankeibiz.jp/express/news/140608/exd1406080002001-n4.htm, 【軍事情勢】中朝韓人民を支配する「神話」 恥ずかしいウソを堂々と…, 産経新聞, 産経新聞, 2014-06-08, https://web.archive.org/web/20140612144749/https://www.sankeibiz.jp/express/news/140608/exd1406080002001-n4.htm|archivedate=2014-06-12</ref>。
北朝鮮が1993年に見つけたと発表した檀君の骨は、「電子スピン共鳴法」による年代測定で5011年前のものだと分かったために、檀君は実在の人物と発表された。ところが、5011年前では檀君神話に基づく檀君朝鮮の建国年と667年もの違いがある。加えて、年代測定に電子スピン法を用いたといっているが、その詳細な解析方法については詳細が公表されていない。つまりこれもでっちあげのねつ造話であると考えられる。また、1993年に檀君の墓を発見したと公言(実は高句麗時代の古墳)し、その地に「檀君陵」なるコンクリート製の建造物を建設した。
1993年8月31日の北朝鮮の日刊政府機関紙である『民主朝鮮』には以下のことが書かれている<ref>古田博司, 2005-06, 「相互認識」 東アジア・イデオロギーと日本のアジア主義 , 日韓歴史共同研究, 日韓歴史共同研究報告書(第1期), https://www.jkcf.or.jp/history/3/13-0j_furuta_j.pdf |archiveurl=https://web.archive.org/web/20051026161523/https://www.jkcf.or.jp/history/3/13-0j_furuta_j.pdf , 2015-10-16, page270</ref>。
* 韓洪九は、「韓国では、単一民族という神話が広く信じられてきた。1960年代、70年代に比べいくぶん減ってはきたものの、社会の成員の皆が檀君祖父様の子孫だというのは、いまでもよく耳にする話である。われわれは本当に、檀君祖父様という一人の人物の子孫として血縁的につながった単一民族なのだろうか。答えは『いいえ』です。檀君の父桓雄とともに朝鮮半島にやって来た3000人の集団や、加えて檀君が治めていた民人たちの皆が皆、子をなさなかったわけはないのですから。彼らの子孫はどこに行ってしまったのでしょうか。箕子の子孫を名乗る人々の渡来から、高麗初期の渤海遺民の集団移住にいたるまで、我が国の歴史において大量に人々が流入した事例は数多く見られます。一方、契丹・モンゴル・日本・満州からの大規模な侵入と朝鮮戦争の残した傷跡もまた無視することはできません。こうしたことを考えれば、檀君祖父様という一人の人物の先祖から始まったのだとする単一民族意識は、一つの神話に過ぎないのです<ref>韓洪九, 2003-12-17, 韓洪九の韓国現代史 韓国とはどういう国か, 平凡社, isbn:978-4582454291, pages68-69</ref>」「いろいろな姓氏の族譜を見ても、祖先が中国から渡来したと主張する帰化姓氏が少なくありません。また韓国の代表的な土着の姓氏である金氏や朴氏を見ても、その始祖は卵から生まれたとされ、檀君の子孫を名乗ってはいません。これは、大部分の族譜が初めて編纂された朝鮮時代中期や後期までは、少なくとも檀君祖父様という共通の祖先をいただく単一民族であるという意識は別段なかったという証拠です。また、厳格な身分制が維持されていた伝統社会では、奴婢ら賤民と支配層がともに同じ祖先の子孫だという意識が存在する余地はないのです。共通の祖先から枝分かれした単一民族という意思が初めて登場したのは、わが国の歴史においていくらひいき目に見ても大韓帝国時代よりさかのぼることはあり得ません」「国が危機に直面したとき、檀君を掲げて民族の求心点としたのは、大韓帝国時代から日帝時代初期にかけての進歩的民族主義者の知恵でした」と評する<ref>韓洪九, 2003-12-17, 韓洪九の韓国現代史 韓国とはどういう国か, 平凡社, isbn:978-4582454291, page76</ref>。
* 武田幸男, 2000-08-01, 朝鮮史, 世界各国史, 山川出版社, ISBN:978-4634413207、には、「もとは平壌地方に伝わった固有の信仰であろうが、仏教的および道教的要素が含まれ、また熊をトーテムとし、シャーマニズム的な面もうかがえる複合的な神語で、かなり整合性につくりあげられたかたちになっている。その民族性をうかがうには、有効かもしれないが、それをとおして、歴史的事実を追究するのは容易ではない」とする<ref name="藤田 2003 79"/>。
* 李鮮馥(이선복、Yi Seon-bok、ソウル大学)は、「われわれはよく、われわれ自身を檀君の子孫と称し、5000年の悠久な歴史をもつ単一民族であると称している。この言葉を額面どおり受け入れれば、韓民族は5000年前にひとつの民族集団としてその実体が完成され、そのとき完成された実体が変化することなく、そのまま現在まで続いたという意味になろう。しかしこの言葉は、われわれの歴史意識と民族意識の鼓吹に必要な教育的手段にはなるであろうが、客観的証拠に立脚した科学的で歴史的な事実にはなりえない」と述べている<ref>金, 2012, p52-53</ref><ref>이선복, 2003, 화석인골 연구와 한민족의 기원, 韓國史市民講座 Vol.32, 일조각, pages64-65</ref>。
* 李基白(이기백, 이기백)、西江大学)は、「天帝の息子である桓雄が人間になることに成功した熊女と結婚して檀君を産んだという記録は歴史ではなく神話です。神話はそれが創作された理由があり、その創作された理由をみつけるのが歴史家の使命です」「神話のなかから民族的自尊心をみつける必要性を探していた時代は過ぎ去った過去です。また、歴史が古ければ民族の自慢になるというものでもなく、神話を精神的玉座に奉っても民族意識が高まることもない」と述べている<ref name="月刊朝鮮"/>。
ム]]」につながっており、「古朝鮮の初期は国家として認識できず、特に同質民族による[[国民国家]]ではない」と語っており、この時期はむしろ、氏族・部族社会の特徴が強かった可能性が高く、統一された[[王国]]の形成は、そのかなり後になってからだ、と指摘している<ref name="Reuters"/>。
* 李鮮馥({{lang-ko|이선복}}、{{lang-en|Yi Seon-bok}}、[[ソウル大学校|ソウル大学]])は、「われわれはよく、われわれ自身を[[檀君]]の[[親族|子孫]]と称し、5000年の悠久な歴史をもつ[[単一民族国家|単一民族]]であると称している。この言葉を額面どおり受け入れれば、韓民族は5000年前にひとつの民族集団としてその実体が完成され、そのとき完成された実体が変化することなく、そのまま現在まで続いたという意味になろう。しかしこの言葉は、われわれの[[歴史認識|歴史意識]]と[[民族主義|民族意識]]の鼓吹に必要な教育的手段にはなるであろうが、客観的[[証拠]]に立脚した[[科学|科学的]]で[[歴史|歴史的]]な[[事実]]にはなりえない」と述べている<ref>{{Harvnb|金|2012|p=52-53}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=이선복|date=2003|title=화석인골 연구와 한민족의 기원|series=韓國史市民講座 Vol.32|publisher=일조각|isbn=|pages=64-65}}</ref>。
* 鄭安基([[高麗大学校|高麗大学]])は、「果たして[[民族主義|民族意識]]が[[皇民化|皇民化政策]]によって、そんなにもたやすく抹殺されるものなのか、についても疑問です。実は[[民族]]とは、[[20世紀|二〇世紀]]初葉に朝鮮人が日本の統治を受けるようになってから発見された、[[想像]]の政治的共同体です。実体性が欠如した想像の集団意識であるため、民族はむしろ強靭な生命力を持っています。我々は檀君を始祖とした拡大家族としての運命共同体だ、という歴史意識がまさにそれです。朝鮮人は、植民地期を経ながら民族としての『正体/民族的アイデンティティ』を発見し、彼らの歴史と伝統文化に対し自負心を持ち始めました」「そのせいか[[1940年|一九四〇年]]に[[朝鮮総督府]]は、『[[風俗]]・[[慣習]]・[[言語]]・[[意識]]の次元にまで及ぶ朝鮮人の完璧な皇民化は、少なくとも三〇〇年の歳月を要する至難の課題だ』と言っています。一朝一夕に朝鮮人の強固な民族意識をそぎ落とし、[[日本人]]に改造することはできない、と見たのです。それで皇民化政策は突飛にも、多くの朝鮮人にとってまだ馴染みのなかった[[檀君|檀君神話]]をはじめ、[[新羅]]の[[花郎]]や[[李氏朝鮮|朝鮮王朝期]]の[[李舜臣]]などを呼び出し、朝鮮人の民族意識を鼓吹しました。民族の[[神話]]・[[叙事]]・[[ヒーロー|英雄]]を通し、砂のように散らばった朝鮮の民衆を[[帝国]]の国民に統合しようとする努力でもありました。総督府の皇民化政策を朝鮮民族の抹殺政策と見なすことほど、歴史の複雑な実態と矛盾を単純化する稚気はありません」と述べている<ref>{{Cite book|和書|editor=李栄薫|editor-link=李栄薫|date=2020-09-17|title=反日種族主義との闘争|series=|publisher=[[文藝春秋]]|isbn=4163912592|pages=109-110}}</ref>。
* {{仮リンク|李基白|ko|이기백}}({{lang-ko|이기백}}、[[西江大学校|西江大学]])は、「[[天帝]]の息子である[[桓雄]]が[[ヒト|人間]]になることに成功した熊女と[[結婚]]して檀君を産んだという記録は歴史ではなく[[神話]]です。神話はそれが[[フィクション|創作]]された理由があり、その創作された理由をみつけるのが[[歴史家]]の使命です」「神話のなかから[[民族主義|民族的自尊心]]をみつける必要性を探していた時代は過ぎ去った過去です。また、歴史が古ければ民族の自慢になるというものでもなく、神話を精神的[[玉座]]に奉っても[[民族主義|民族意識]]が高まることもない」と述べている<ref name="月刊朝鮮"/>。
* 李基東({{lang-ko|이기동}}、[[成均館大学校|成均館大学]])は、「檀君は神話である」と評している<ref>{{Cite book|和書|author=이기동|date=2005-01-03|title=곰이 성공하는 나라|series=|publisher=동인서원|isbn=8987768317}}</ref>。
* 許東賢({{lang-ko|허동현}}、[[慶熙大学校|慶熙大学]])「韓国は檀君を先祖とする純粋血統の言語と文化をもつ韓民族だけで成立したという[[単一民族国家|単一民族意識]]は、[[光復節 (韓国)|光復後]]、小・中・高等学校の教科書を通じて繰り返し学習されてきたことで、[[市民]]の歴史的記憶となった。 したがって、『韓国の歴史は何年ですか』という質問に、『5000年』と気兼ねなく回答するほど、韓国人は檀君の子孫であるという単一民族意識は超歴史的実体として、神話化された[[集団記憶]](collective memory)として存在する。しかし、[[1990年代|1990年代以後]]、『民族』という概念が近代に入って想像された『想像の政治共同体』に過ぎないという『脱民族主義』が韓国の知識人社会で台頭し、絶対的権威を享受していた単一民族意識にひびが入り始めた」と評している<ref>{{Cite news|author=허동현|url=http://contents.nahf.or.kr:8080/directory/downloadItemFile.do?fileName=dn_023_0010.pdf&levelId=dn_023&type=pdf |title=한국 근대에서 단일민족 신화의 역사적 형성 과정|newspaper=동북아역사논총 23호|publisher=[[東北アジア歴史財団]]|date=2009-03|archiveurl=|page=7}}</ref>。
* 宋鎬晸({{lang-ko|송호정}}、[[韓国教員大学校|韓国教員大学]])は、{{仮リンク|徐居正|zh|徐居正}}らが著した『[[東国通鑑]]』が[[中国]][[北宋]]の[[司馬光]]の『[[資治通鑑]]』を参考にして、[[堯]]の即位を紀元前2357年に設定し、堯の即位より25年後の紀元前2333年に檀君が古朝鮮を建国したと設定したのであり、檀君朝鮮の建国年代に具体的な根拠があるわけではなく、檀君建国年代としては意味がないと指摘している<ref name="skyedaily">{{Cite news|author=|url=https://www.skyedaily.com/news/news_view.html?ID=127300|title=고조선(단군조선)의 건국 기원(서기전 24세기) 불신론의 실체|newspaper=|publisher=skyedaily|date=2021-04-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20211125162607/https://www.skyedaily.com/news/news_view.html?ID=127300|archivedate=2021-11-25}}</ref>。
* {{仮リンク|盧泰敦|ko|노태돈}}({{lang-ko|노태돈}}、[[ソウル大学校|ソウル大学]])は、檀君を[[朝鮮の歴史]]における建国始祖として認識したのは[[高麗|高麗後期]]であり、[[モンゴルの高麗侵攻]]により、[[国土]]が蹂躙され、高麗は[[三韓]]それぞれの民族意識を統合し、「[[三韓]]すべてが古朝鮮から誕生した同族の歴史共同体」という民族の象徴として檀君を強調した<ref name="ハンギョレ21"/>。したがって、[[日本統治時代の朝鮮|日本の植民地時代]]に[[民族主義|民族主義者]]が檀君を強調したのは、民族を統合するためだった<ref name="ハンギョレ21"/>。しかし、韓国の現代社会では、合理性と客観性にそぐわない、すなわち[[国家主義]]・[[全体主義]]の強化のための[[記号]]として檀君を利用するのは歴史の[[反動]]でしかなく<ref name="ハンギョレ21">{{Cite news|author=|date=1999-09-16|title=실체와 상징을 구분하자|publisher=|newspaper={{仮リンク|ハンギョレ21|ko|한겨레21}}|url=http://legacy.h21.hani.co.kr/h21/data/L990906/1p7m9602.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20211012003611/http://legacy.h21.hani.co.kr/h21/data/L990906/1p7m9602.html|archivedate=2021-10-12}}</ref>、檀君朝鮮が紀元前2333年に建国したというのは、[[中国]]の[[堯]]と同時代に朝鮮に[[国家]]が存在し、[[朝鮮の歴史]]が[[中国の歴史]]に劣らないほど永いということを主張するためであり、歴史的事実ではなく、朝鮮上古の紀年を間延びさせているに過ぎず、「紀元前2333年という檀君朝鮮建国年代は、考古学調査による[[青銅器時代|青銅器文化]]をみたときに、[[紀元前10世紀]]前後でしかない」と主張している<ref name="京郷新聞0903"/>。