『述異記』によると石や鉄を食べたという。超能力を持ち、性格は勇敢で忍耐強く、同じ姿をした兄弟が81人<ref name="松村" />(『魚龍河図』による。『述異記』では72人)いたという。『書経』では性格は邪であり、その凶暴・貪欲さはフクロウにたとえられて「鴟義」(しぎ)と表現されたりしており、「反乱」というものをはじめて行った存在として挙げられている<ref name="経" />。
古代中国の帝であった黄帝から王座を奪うという野望を持っており[[神農|神農氏]]の世の末期(帝楡罔の代)に、乱を起こして、兄弟の他に無数の魑魅魍魎を味方にし、風・雨・煙・霧などを巻き起こして黄帝と涿鹿の野で戦った([[涿鹿の戦い]])。濃霧を起こして視界を悪くしたり魑魅魍魎たちを駆使して黄帝の軍勢を苦しめたが、黄帝は指南車を使って方位を示して霧を突破し、妖怪たちのおそれる龍の鳴き声に似た音を角笛などを使って響かせてひるませ、軍を押し進めて遂にこれを捕え殺したといわれている)。濃霧を起こして視界を悪くしたり魑魅魍魎たちを駆使して黄帝の軍勢を苦しめたが、黄帝は指南車を使って方位を示して霧を突破し、'''妖怪たちのおそれる龍の鳴き声に似た音'''を角笛などを使って響かせてひるませ、軍を押し進めて遂にこれを捕え殺したといわれている<ref name="松村">[[松村武雄]] 『中国神話伝説集』 [[社会思想社]] 1976年 57-61頁 ISBN 4-390-10875-1</ref>。『[[山海経]]』大荒北経に記されている黄帝による蚩尤との交戦の描写には具体的な龍としては[[応竜]]が黄帝に加勢しており、蚩尤を殺したとされている。『山海経』大荒北経に記されている黄帝による蚩尤との交戦の描写には具体的な龍としては応竜が黄帝に加勢しており、蚩尤を殺したとされている<ref>『山海経』大荒北経「応竜已殺蚩尤、又殺[[夸父]]」『山海経』大荒北経「応竜已殺蚩尤、又殺夸父」</ref><ref>高島三良 訳 『山海経』 [[平凡社]] 1994年 169-171頁</ref>。最後に捕らえられた蚩尤は、諸悪の根源として殺されたが、このとき逃げられるのを恐れて、手枷と足枷を外さず、息絶えてからようやく外された。身体から滴り落ちた鮮血で赤く染まった枷は、その後「[[フウ|楓(フウ)]]」となり、毎年秋になると赤く染まるのは、蚩尤の血に染められた恨みが宿っているからだという。赤い色は蚩尤を示すともされ、[[赤旗]]を「[[蚩尤旗]]」と言い、黄帝はその蚩尤征伐後はそのすがたを描いた旗を示してその威勢の象徴ともした。最後に捕らえられた蚩尤は、諸悪の根源として殺されたが、このとき逃げられるのを恐れて、手枷と足枷を外さず、息絶えてからようやく外された。身体から滴り落ちた鮮血で赤く染まった枷は、その後「楓(フウ)」となり、毎年秋になると赤く染まるのは、蚩尤の血に染められた恨みが宿っているからだという。赤い色は蚩尤を示すともされ、赤旗を「蚩尤旗」と言い、黄帝はその'''蚩尤征伐後はそのすがたを描いた旗を示してその威勢の象徴ともした'''<ref name="松村" />。のちに[[劉邦]]がこれを軍旗に採用したともされる。。のちに劉邦がこれを軍旗に採用したともされる。
=== 兵主神 ===
[[Category:中国神話]]
[[Category:牛]]
[[Category:樹木神]]
[[Category:炎帝]]