=== 東洋の類話 ===
中国では[[明代]]末期の楊茂謙の著書『笑林評』(1611年)にも類話がある{{efn2|[[喜多村信節]]も『[[嬉遊笑覧]]』中国では明代末期の楊茂謙の著書『笑林評』(1611年)にも類話がある<ref>喜多村信節も『嬉遊笑覧』(1830年)で触れている。}}</ref><ref name="oshima-p302" >大島 (1984)[1977]、p. 302。</ref>。また、漢文で書かれたものとしては『産語』上の「皐風第六」の説話があり、これは序文によれば漢代以前に失われた漢籍の復刻なので、この民話の源流という意見も出ている<ref name="oshima-p302" />{{sfn|<ref>槙|, 1989|p=199}}。これは項([[うなじ]])の瘤を持つ樵夫が鬼に瘤をとってもらい、頚に瘤を患う里人が新しい瘤をつけられる話である, p199</ref>。これは項(うなじ)の瘤を持つ樵夫が鬼に瘤をとってもらい、頚に瘤を患う里人が新しい瘤をつけられる話である<ref name="nagayoshi" />。しかしながら、この『産語』(1749年)は本物の古典ではなく、編者である永吉雅夫「[[太宰春台https://www.i-repository.net/il/meta_pub/G0000145OTEMON_301891218 太宰春台と「産語」]]による作り話(「疑古文」)というのが有力説である{{sfn|」『追手門学院大学文学部紀要』第23号、追手門学院大学文学部、1989年、 311-309頁、 ISSN 03898695、 NAID 110009512260。</ref>。しかしながら、この『産語』(1749年)は本物の古典ではなく、編者である太宰春台による作り話(「疑古文」)というのが有力説である<ref>永吉|, 1989|, pp=313-311}}</ref>。
朝鮮の「瘤取り爺」も多数の説話群をなしている{{Refn|group="注"|<ref>崔仁鶴(チェ・インハク)<!-- 최인학-->『韓国昔話の研究』にて「476 瘤取り爺」という型に分類される。11話を列挙</ref name="oshima-p302" /><ref name="kawamori" >川森博司「[https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=486&item_no=1&page_id=13&block_id=41 日本昔話における対立の構造:隣モチーフを中心に]」『国立歴史民俗博物館研究報告』第32号、国立歴史民俗博物館、1991年3月、 1-21頁、 doi:10.15024/00000469、 ISSN 02867400、 NAID 120005747802。</ref>。}}<ref name="oshima-p302" />。[[高橋亨 (朝鮮学者)|高橋亨]]が訳した「瘤取」の例があるが、最初の老爺は、自分の美声のもとは頬の瘤であると妖怪([[トッケビ]])を騙して売り払い、二番目の老爺も歌唱力はあったものの、売られた瘤には効果がないと返品されて瘤が増えてしまう。高橋亨が訳した「瘤取」の例があるが、最初の老爺は、自分の美声のもとは頬の瘤であると妖怪(トッケビ)を騙して売り払い、二番目の老爺も歌唱力はあったものの、売られた瘤には効果がないと返品されて瘤が増えてしまう<ref name="takahashi-korean-kobutori" >高橋, 亨「瘤取」『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993653/9 朝鮮の物語集]』日韓書房、京城、1910年、1-5頁。</ref>。他にも崔仁鶴(チェ・インハク)百選の「こぶとり爺」がある{{sfn|<ref>崔|, 1974|p=55}}, p55</ref>。
ハングル文字では「ホクッテン・イヤギ」({{Korean|hangul={{linktext|혹|뗀|이야기}}<!--혹뗀이야기-->|hanja=|mr=|rr=Hogtten-iyagi|labels=no}}、「瘤を取られた話」の意)の題名で1923年版の『普通学校朝鮮語読本』に掲載されている{{efn2|{{Korean|hangul=보통학교조선어독본|hanja=普通學校朝鮮語讀本|mr=Potʻong hakkyo Chosŏnŏ tokpon |rr=Botong hakgyo joseoneo dokbon}}.}}<ref name="hayashi" /><ref name="NMKCH" />。これは日本の支配下において[[朝鮮総督府]]から支給されたものであるが、トッケビの研究者である[[中央大学校]]の金鐘大(キム・ジョンデ)<!--김종대-->などは、この物語を朝鮮に伝わる民話と認めず、日本の瘤取りの翻案と認識している<ref name="kim_jong-dae2017" />。