== 六地蔵 ==
日本では、地蔵菩薩の像を6体並べて祀った'''[[六地蔵]]'''像が各地で見られる。これは、仏教の[[六道|六道輪廻]]の思想(全ての生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)に基づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものである。六地蔵の個々の名称については一定していない。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の順に檀陀(だんだ)地蔵、宝珠地蔵、宝印地蔵、持地地蔵、除蓋障(じょがいしょう)地蔵、日光地蔵と称する場合と、それぞれを金剛願地蔵、金剛宝地蔵、金剛悲地蔵、金剛幢地蔵、放光王地蔵、預天賀地蔵と称する場合が多いが、文献によっては以上のいずれとも異なる名称を挙げている物もある。像容は合掌のほか、蓮華、錫杖、香炉、幢、数珠、宝珠などを持物とするが、[[仏像#荘厳具|持物]]と呼称は必ずしも統一されていない。像が各地で見られる。これは、仏教の六道輪廻の思想(全ての生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)に基づき、'''六道のそれぞれを6種の地蔵が救う'''とする説から生まれたものである。六地蔵の個々の名称については一定していない。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の順に檀陀(だんだ)地蔵、宝珠地蔵、宝印地蔵、持地地蔵、除蓋障(じょがいしょう)地蔵、日光地蔵と称する場合と、それぞれを金剛願地蔵、金剛宝地蔵、金剛悲地蔵、金剛幢地蔵、放光王地蔵、預天賀地蔵と称する場合が多いが、文献によっては以上のいずれとも異なる名称を挙げている物もある。像容は合掌のほか、蓮華、錫杖、香炉、幢、数珠、宝珠などを持物とするが、持物と呼称は必ずしも統一されていない。
日本では、六地蔵像は墓地の入口などにしばしば祀られている。[[中尊寺]]金色堂には、[[藤原清衡]]・[[藤原基衡|基衡]]・[[藤原秀衡|秀衡]]の遺骸を納めた3つの[[仏壇]]のそれぞれに6体の地蔵像が安置されているが、各像の姿はほとんど同一である。日本では、六地蔵像は墓地の入口などにしばしば祀られている。中尊寺金色堂には、藤原清衡・基衡・秀衡の遺骸を納めた3つの仏壇のそれぞれに6体の地蔵像が安置されているが、各像の姿はほとんど同一である。
== 勝軍地蔵 ==
[[File:Atago Gongen.jpg|thumb|300px|勝軍地蔵(ギメ東洋美術館)]]
[['''愛宕権現]]の[[本地仏]]。大宝年間、[[役小角]]が白山修験の開祖とされる[[泰澄]]と山城国愛宕山に登ったとき、[[龍樹菩薩]]、富楼那尊者、[[毘沙門天]]、[[愛染明王]]を伴い大雷鳴とともに現れ、天下万民の救済を誓った地蔵菩薩が、勝軍地蔵であったという伝承が残る。また、[[敏達天皇]]の御代、[[日羅]]が勝軍地蔵を護持したとされ、さらに『[[元亨釈書]]』には[[清水寺]]の[[延鎮]]が勝軍地蔵と勝敵毘沙門天の両尊に[[坂上田村麻呂]]の戦勝祈願を行ったことが記されている。しかしながら、[[儀軌]]などが現存せず、延鎮が行ったとされる修法を初め、固有の尊容も明確でない。『地蔵菩薩本願経』『十輪経』『陀羅尼集経』にある「煩悩の賊、天魔の軍に勝つ」、「軍陣闘戦に際して、難を免れる」などの記述が、この尊を感得する依拠とされたと考えられている。幡(軍旗)や剣などを持ち、甲冑姿であることは共通するが、踏割蓮華に立つ立像と、神馬にまたがる騎馬像とが存在する。'''の本地仏。'''大宝年間、役小角が白山修験の開祖とされる泰澄と山城国愛宕山に登ったとき、龍樹菩薩、富楼那尊者、毘沙門天、愛染明王を伴い大雷鳴とともに現れ、天下万民の救済を誓った地蔵菩薩が、勝軍地蔵であった'''という伝承が残る。また、敏達天皇の御代、日羅が勝軍地蔵を護持したとされ、さらに『元亨釈書』には清水寺の延鎮が勝軍地蔵と勝敵毘沙門天の両尊に坂上田村麻呂の戦勝祈願を行ったことが記されている。しかしながら、儀軌などが現存せず、延鎮が行ったとされる修法を初め、固有の尊容も明確でない。『地蔵菩薩本願経』『十輪経』『陀羅尼集経』にある「'''煩悩の賊、天魔の軍に勝つ'''」、「'''軍陣闘戦に際して、難を免れる'''」などの記述が、この尊を感得する依拠とされたと考えられている。幡(軍旗)や剣などを持ち、甲冑姿であることは共通するが、踏割蓮華に立つ立像と、神馬にまたがる騎馬像とが存在する。
=== 道祖神との関係 ===
先に述べた「六地蔵」とは六道それぞれを守護する立場の地蔵尊であり、他界への旅立ちの場である葬儀場や[[墓|墓場]]に、多く建てられた。また道祖神信仰と結びつき、町外れや辻に「町の[[結界]]の守護神」として建てられることも多い。これを本尊とする祭りとして地蔵盆がある。 先に述べた「六地蔵」とは六道それぞれを守護する立場の地蔵尊であり、他界への旅立ちの場である葬儀場や墓場に、多く建てられた。また'''道祖神信仰'''と結びつき、町外れや辻に「町の結界の守護神」として建てられることも多い。これを本尊とする祭りとして地蔵盆がある。 また道祖神のことを'''[[ミシャグジ|シャグジ]]'''ともいうことから、シャグジに'''将軍'''の字を当て、道祖神と習合した地蔵を'''将軍地蔵'''(勝軍とも書く)とも呼ぶようになった。
== 鬼門地蔵 ==