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<br/>徐国の宮人が妊娠して卵を生んだが、不詳として水辺に棄てられた。独孤母という老婆は鵠蒼(こくそう)という名の'''犬'''を飼っていたが、この犬が卵を見つけ、くわえて帰ってきた<ref>鵠とは白鳥のこと。</ref>。独孤母は大変不思議に思ったが、覆うようにしてその卵を暖めたところ、遂に孵化して子どもが生まれた。生まれた時がちょうど昼頃だったため、「偃」と名付けた。宮中ではこの話を聞きつけ、引き取って養育することになった。偃は成長し、仁義と英知に溢れた大人になったため、徐国の君主として跡を嗣いだ。後に、あの'''犬の鵠蒼が死ぬ前、角が生え九つの尻尾を持つ黄龍に変身した'''という<ref>[[黄帝]]の暗喩でもあると思うし、ある意味[[共工]]のようでもあると考える。</ref>。又偃王が亡くなってから、徐の国の界に葬ったが、今もそこに狗の墓があるという<ref>項青, 2018-06, 百越文化圏における卵生説話の源流考 : 龍母伝説を中心に, 熊本学園大学文学・言語学論集 24・25(2・1), 熊本学園大学文学・言語学論集編集会議, p107</ref>。(張華、博物志)卷之七</blockquote>
# [[徐 (春秋)|徐君]]の[[宮人]]は[[妊娠]]して[[卵]]を生んだ。これを不詳とみなして、卵を水辺に棄てた徐君の宮人は妊娠して卵を生んだ。これを不詳とみなして、卵を'''水辺に棄てた'''<ref name="奥田尚57-58"/>。# [[孤児]]や独り身の者たちを母のように養育する者がおり、彼女は鵠蒼という名の[[イヌ|孤児や独り身の者たちを母のように養育する者がおり、彼女は鵠蒼という名の''']]を飼っていた。[[鵠蒼]]は水辺に食を求めて、棄てられていた卵をくわえて彼女のところへ戻った。彼女は不思議に思い、卵を覆うようにして暖めた'''を飼っていた。鵠蒼は水辺に食を求めて、棄てられていた卵をくわえて彼女のところへ戻った。彼女は不思議に思い、卵を覆うようにして暖めた<ref name="奥田尚57-58"/>。# 卵から子が生まれたが、通常の子と違い寝そべるように横たわって生まれたため、名を偃(横たわる)とつけた卵から子が生まれたが、通常の子と違い寝そべるように横たわって生まれたため、名を'''偃(横たわる)'''とつけた<ref name="奥田尚57-58"/><ref>「ものぐさ太郎」的な名なのか?</ref>。# 徐君の[[宮殿|宮廷]]はそのことを聞き、子の誕生の次第を調べたうえで、宮中に迎えて養育した徐君の宮廷はそのことを聞き、子の誕生の次第を調べたうえで、宮中に迎えて養育した<ref name="奥田尚57-58"/>。
# 子は成長すると仁智を備え、先代の徐君の後をつぎ徐国の君となった<ref name="奥田尚57-58"/>。
# その後、鵠蒼は死に臨んで、頭には角が生え、尾は九尾となり、[[黄竜]]の化身だった。鵠蒼のまたの名は后蒼であり、偃王が鵠蒼を葬った場所は、徐国のなかであり、現在も「狗壟」が残っているその後、鵠蒼は死に臨んで、頭には角が生え、尾は九尾となり、黄竜の化身だった。鵠蒼のまたの名は后蒼であり、偃王が鵠蒼を葬った場所は、徐国のなかであり、現在も「狗壟」が残っている<ref name="奥田尚57-58"/>。
# 徐王が国を治めにつれ、その仁義は有名となり、偃王は[[周]]へ船で行きたいと思い、[[陳 (春秋)|陳]]と[[蔡]]の間に溝([[運河]])を通じさせたが、その時に朱色の弓矢を得た。その弓矢を得たことで、天瑞を得ることができたとして、自分の名を号として徐偃王と自称した<ref name="奥田尚57-58"/>。
# 付近の淮・江の諸侯で偃王に服従する者が三十六国に及んだ。天下を支配していた[[穆王 (周)|穆王]]はこれを聞き、使者を[[楚 (春秋)|楚]]に派遣して偃王を伐たせた。偃王は愛民の心があり闘わずして、楚に敗北した<ref name="奥田尚57-58"/>。

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