==医者としての黄帝==
前述の『黄帝内経素問』、『黄帝内経霊枢』は黄帝の著作と信じられ、これは東洋医学の始まりとなった。中国鍼灸各家学説を執筆した魏稼は、黄帝の師は、岐伯である事から、中国最古の医学流派を岐伯黄帝派と名づけた<ref name="harika">中国鍼灸各家学説 p22</ref>。この学派の創始者は岐伯で、中心人物であり、黄皇が岐伯、伯高、小兪を訪ねて鍼道が誕生したと晋の皇甫謐『甲乙経』に記載がある<ref name="harika"></ref>。これらが、漢方およびはり灸らの中国原初とみなされた。なお、日本のユンケル黄帝液は、東洋医学発祥を記してこの黄帝から名付けられている。
== 正史における記載 ==
*史記 巻一 五帝本紀第一
軒轅は徳を修め、兵を振るわし、五気を治め、五種を植え、万民を撫で、四方を度り、'''熊・羆・貔(伝説上の猛獣。貅・貙も同じ)・貅・貙・虎を調教した'''<ref group="私注">これは民間伝承のいわゆる[[動物番]]と関連すると思われる。</ref>。
== 民話・伝承 ==