『淮南子』に、「古代の人は、(手当たり次第に)野草、水、木の実、ドブガイ・タニシなど貝類を摂ったので、時に病気になったり毒に当ったりと多く苦しめられた。このため神農は、民衆に五穀を栽培することや適切な土地を判断すること(農耕)。あらゆる植物を吟味して民衆に食用と毒草の違い、飲用水の可否(医療)を教え、民衆に知識を広めた。まさにこのとき多くの植物をたべたので神農は1日に70回も中毒した」とある<ref>脩務訓|淮南子・脩務訓「古者、民茹草飲水、采樹木之實、食蠃蠬之肉。時多疾病毒傷之害、於是神農乃始教民播種五穀、相土地宜、燥濕肥墝高下、嘗百草之滋味、水泉之甘苦、令民知所辟就。當此之時、一日而遇七十毒」</ref>。
神農の神話は、稲作が発生した当時の太陽信仰の投影が乏しいように思える。西王母と神農の関連が明確でないからである。「不死の霊薬」の所持者であった西王母の姿と、「医薬の神」である神農との間には、「薬」という共通点に、わずかに連続性があることを伺わせるが、それが直接連続して変化したものなのか、西王母とは異なる神が西王母の性質の一部を吸収して神農となったのかもはっきりしない。
一方、古代日本には記紀神話があり、天照大神の孫神である「ホノニニギの命(稲穂が実る様の神格化)」が天から降りてきた、という「天孫降臨神話」がある。おそらく、世界各地の農耕起源神話としては、類を見ない複雑なものと思われるが、天孫が降臨する際の先触れの神々、供をする神々、道中で出会う神、と天孫以外にも多くの神々が登場する。しかも、天孫は降臨するのだが、誰かが人々に稲作を教えた、という記述はないようである。稲以外の穀類や野菜類については、共に降臨したのか、元から勝手に大地に存在したのかもはっきりしない。要するに、日本の正式な「農耕起源神話」は、子孫とされる天皇家の権威付けとしての面がとても強く、現実的な実務としての農業を発展させたり、保護したり、という面が非常に乏しいのが一大特徴といえる。しかし、稲作が発生した当初は、そもそも王権というものが存在しない時代であるので、「王権のための神話」は当然、王権が発生した後に作られたもので、本来の農耕起源神話とは大きく異なるものである可能性がある。しかも、日本の神話には、ホノニニギの命の他に、大気都比売神の死体から穀物が生まれた、という伝承があり、穀物が何故、天照大神の孫とされたのかもはっきりしない。
よって、中国に伝わる神話も、日本に伝わる神話も、「農耕起源」、特に「水稲起源」としては、本来の姿をあまりとどめていないと思われる。仮に、ものすごく単純に、不死の霊薬(酒)の場合と同様、
<blockquote>
西王母の使いの鳥仙女が、地上に穀物の種と農耕技術を伝えた。
</blockquote>
という神話があったとする。もしそうであったならば、既存の神話から、どれだけ元の姿にまで迫れるのか、ということになる。
== 扶桑と養蚕 ==