荻野池
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荻野池(おぎのいけ)は、長野県長野市信州新町荻野高原にある湖沼。
地理
荻野池は、信州新町の中では小川村に近い場所にあり、近隣に小川村北アルプス絶景の宿「林りん館」や萩野高原「森の家」(長野市山穂刈)がある。
伝承
- 椀貸伝説
- 多留姫が村人に膳椀を必要な分だけ貸してくれる、というもの。『長野県史』に紹介されているものを要約して以下に記す。
- むかし、働き者で仲むつまじい夫婦が子供を授かった。出産のお祝い事をしようとしたが、貧しかった彼らは客を迎え入れるだけの数の膳椀を持っていなかった。ある日のこと、土手で休んでいると夢の中に多留姫が現れ、紙に必要な膳椀の数を書いて滝壺に落とすよう告げた。夫婦二人とも同じ夢を見たので言うとおりにすると、翌朝には滝壺に膳椀が用意されていた。夫婦はお祝い事をすることができ、使った膳椀を洗って滝壺に返した。この話を聞いた怠け者が、同じような方法を試して膳椀を手に入れた。返すとき、一つくらいなら分からないだろうと思って全部を返さなかったため、以来多留姫は貸すことをやめてしまった[1]。
- このほか、貸した膳椀が壊されてしまったために貸さなくなった、という話もある[2]。
- 抜け穴伝説
- 多留姫の滝に流した物が別の場所で発見される、というもの。滝壺に椀や糠を流したところ、それが茅野市ちの上原にある葛井神社の池に浮かんでいたという[2]。なお、この葛井神社の池にはさらなる抜け穴伝説が存在しており、諏訪大社大晦日の神事のあと、お供え物を投げ込むと遠江国(静岡県)にある池に浮かぶとされ、諏訪大社七不思議]の一つに挙げられている[3]。
多留姫十二勝
多留姫十二勝は、多留姫神社周辺にある12か所の選りすぐりの景勝地のことである。1902年(明治35年)の神社整備に合わせて選定されたのが始まりで、1906年(明治39年)に小平雪人と坪井咬菜が改めて選定した。多留姫十二勝は以下の通り[4]。
- 機山堂(きざんどう) - 最澄の作といわれている仏像を安置している場所。
- 待月壇(たいげつだん) - 八ヶ岳から上る月を眺める場所。
- 古藤径(ことうけい) - 神社から橋へ下る小道。
- 柳影橋(りゅうえいきょう) - 柳川に架かる橋で、その影が柳川の水面に映ることに由来。
- 甑岩(こしきいわ) - 乞食が寝泊まりしていた「乞食岩」を由来とする洞穴。
- 獅子吼瀑(ししくたき、ししくばく) - 多留姫の滝そのもの。
- 喚魚潭(かんぎょたん) - 多留姫の滝の滝壺。
- 載酒亭(さいしゅてい) - 四阿。滝に酒を捧げる、もしくは酒を酌み交わす場所。
- 烏巾峰(うきんほう、えぼしいわ) - 山伏や天狗が頭に被っている黒い頭巾(=烏巾)に似た巨岩。
- 蛍火台(けいかだい) - 柳川を舞う蛍を眺める場所。現在は農薬のため蛍は生息していない。
- 望岳丘(ぼうがくきゅう) - 富士山や八ヶ岳などの山々が望める場所。
- 採芝林(さいしりん) - 村人が芝刈りに行く場所。
私見
多満留姫(あるいは多留姫)は建御名方神の妻神とされたり、建御名方神の子神である出早雄命の妻神とされたりする女神である。諏訪氏族の「母神」としてもっと重要視されて良い女神ではないか、と個人的には思う。
関連項目
参考文献
- Wikipedia:多留姫の滝(最終閲覧日:22-04-02)
- 『長野縣町村誌 中南信編』郷土出版社、1985年。
- 久保田俊彦 著『赤彦全集 第二巻』岩波書店、1969年。
- 窪田文明 著『信州の滝紀行 名瀑100選』郷土出版社、1995年。ISBN 4876632928
- 下中邦彦 編『日本歴史地名大系 第20巻 長野県の地名』平凡社、1979年。
- 茅野市 編『茅野市史 下巻 近現代 民俗』茅野市、1988年。
- 茅野市 編『茅野市史 別巻 自然』茅野市、1986年。
- 長野県 編 『長野県史 民俗編 第二巻(三) 南信地方 ことばと伝承』長野県史刊行会、1989年。
- 多留姫文学自然の里創造委員会「多留姫文学自然の里」(パンフレット)。