夏の建国神話
夏の建国神話を考察してみたい[私注 1]。
『墨子』五巻には夏と三苗(ミャオ族)[注釈 1] に関する伝説が記載されている。
三苗(サンミャオ)時代に、夜に太陽が現れ、血の雨が三日間降った。龍が寺に現れ、犬は通りで吠えた。夏の水は氷になり、大地は裂け、水が噴き出した。五穀は変異した。天はミャオ族に克服を課した。雷が連続し、鳥をともなった者がミャオ族の指導者を射た。後、夏王朝は建国した(wikipedia:夏 (三代)より)。
管理人の考えでは、炎黄の闘争がまずあり、その後の続きの物語を語る際に「夏の建国神話」に話を接続したのが墨子の記述、「人類の創造神話」につなげたのが伏羲・女媧神話なのだと思う。元は一つの「炎黄の闘争とその続きの物語」があったのに、それが時代が下るにつれて二つに枝分かれしたのだろう。だから「建国神話」と「創造神話」に分かれても両者には共通した要素があるのだと考える。墨子に苗族に関連すると思われる「三苗」が登場し、その一方で苗族に古い形式を残す伏羲・女媧神話(バロンとダロン)が語られているとすれば、どちらの話も苗族の先祖自身か、先祖にかなり近い位置で起きた事件が元になっているのではないだろうか。
目次
もっと深く再現してみよう
例えば「鳥をともなった者がミャオ族の指導者を射た」とあるが、誰が射たのか分からない、ということになる。これをもう少し詳しく書き加えて、整理したいと考える。
昔、夜に太陽が現れたり、火の雨が降る、といった天変地異があって干ばつが起きた。これは火雷神である帝俊が起こしたものである。火雷神は人類に対して怒りを感じていたのだ。そこに人類を救うために、水雷神である龍犬の槃瓠が現れた。槃瓠は大地を冷やし、火を消すために大量の水を使った。敵は槃瓠を攻撃するために「龍犬が人類を滅ぼすような大洪水を起こした。」と悪口を言った。夜に現れた太陽は邪魔なので槃瓠が弓で射落とした。だけど、帝俊と槃瓠との争いで、あちこちで災害が起きたため、五穀は実らなくなった。帝俊はこれをミャオ族のせいだと言い張った。
ミャオ族は龍犬槃瓠の孫だった。ミャオ族のおばあさんは帝俊の妹の蛙姫だ。蛙姫には親の決めた饕餮という婚約者がいた。饕餮は帝俊と蛙姫の従兄弟だった。ところが龍犬槃瓠が蛙姫を好きになってしまった。こっそり蛙の姿に変身して蛙姫のところに忍んできた槃瓠は、姫を盗み出し二人は駆け落ちしてしまった。二人からは鶏娘のバロンと雄鶏息子のダロンが生まれた。ミャオ族はバロンとダロンの子供たちだったのだ。
蛙姫を盗み出した槃瓠のことを帝俊は嫌いだったが、更に嫌いになるような事件があった。昔の天は、「人身御供を立てて、生け贄の肉の半分を天と人類で分け合って食べ、残りの半分を種と一緒に畑にまく。」という祭を人類に行わせていた。種は天がその身の一部を削って人々に分け与えたものなのだ。お返しに天が太れるように人類の肉の一部を天に返さなければいけない。天の子たちである種がちゃんと目を覚まして太れるように、種にも人肉を食わせないといけない、とされていた。龍犬槃瓠は、人身御供として殺される人々を哀れみ、人身御供の祭祀をやめ、人を食うこともやめるようにと言った。ミャオ族が祖父の槃瓠の味方をしたので、人の肉を食べて撒く祭祀は中止になった。帝俊は人肉を食べられなくなり、腹がたったので干ばつを起こしたのだ。干ばつのせいで五穀は実らず、災害が起きたのに、帝俊は
「五穀が実らなくなったのは槃瓠の味方をしたミャオ族が、天への祭祀を中止したからだ。槃瓠とミャオ族を殺して、祭祀を再開しなければいけない。」
と言ったのだ。帝俊と槃瓠の戦いはますます激しくなったが、槃瓠もミャオ族も勇敢だから負けなかった。そこで帝俊は槃瓠を騙して殺すことにした。
「仲直りしよう。」
と騙して宴席を用意させ、槃瓠とミャオ族を招待したのだ。槃瓠たちは帝俊の言葉に騙されてやってきた。帝俊は槃瓠に酒を飲ませて眠らせてしまい、復活させた祭祀の生け贄の第1号にした。雄鶏息子のダロンも射殺して自分で食べてしまった。鶏娘のバロンはすばやく走って逃げ回ったが、結局帝俊につかまった。帝俊はバロンを
「これからは自分に協力して、邪魔者たちを黙らせるのに協力しろ。さもないと殺すぞ。」
と脅した。バロンは帝俊に協力したくなかったけれども、子供達を殺されたくなかったので、仕方なく言うことを聞いた。そして、帝俊が油断している隙にこっそり子供達を逃がし、
「南へ逃げて新しい国を作りなさい。」
と言った。バロン自身は厳しく見張られていたので子供達と一緒に逃げ出せなかった。ミャオ族が逃げたことを知った帝俊はバロンも殺した。そして、人類がこれ以上逆らえないように自ら地上に降りて国を作ることにした。そうして建国したのが夏である。
帝俊の子孫が王となった夏は次第に大きくなって、「中国最初の王朝」と呼ばれるようになった。
ところで、帝俊はダロンを食べたので、その能力を得て鶏に変身できるようになった。なのでときどき鶏に変身しては南へ出かけてミャオ族の様子を探るようになった。そして雷を鳴らしては人々を脅すようになった。ミャオ族の人々は
「鳴っている雷が帝俊なのか槃瓠父さんなのか間違えないように。飛んできた雄鶏がダロンなのか帝俊なのか、ようく気をつけて、けっして間違えないように。」
と言い合ったのだった。
解説
解説もなにも、「こうすれば、夏の建国神話と、伏羲・女媧神話を一体化できる。」という補足をするために、こうだったのではないか、と思われる話を作ってみた。ヤオ族とミャオ族の伏羲・女媧神話で一番違う点は、
- ヤオ族の雷神は「水雷神」で洪水を起こす黄帝で、父親が蚩尤
- ミャオ族の雷神は太陽を出して干ばつを起こす「火雷神」の祝融(蚩尤)で、父親が「蛙父さん」で水神の黄帝
となっている点である。水神と火神が二つの話で、役割が入れ替わっているのだ。しかし、墨子を読むと、まず「火雷神」が起こす干ばつが起き、次に「水雷神」が起こす洪水が起きた、とある。どちらの雷神も騒ぎを起こしたわけだけれども、ヤオ族伝承では「火雷神」が父さんに、ミャオ族伝承では「水雷神」が父さんに変わってしまっているのだ。最初は二人の雷神が暴れる話だったのだが、伝承の話し手がどちらに味方するかで見方が分かれて、ヤオ族の話とミャオ族の話に分かれてしまったのだろう。
帝俊と祝融
管理人は、帝俊、禹、祝融、蚩尤、ミャオ族の雷神、伏羲、ダロンを「同じもの」として伝承を再構築した。いずれも「火雷神」としての性質を持ち、天上に複数の太陽を出したり、地上に火の雨を降らせたりする神だ。墨子の「血の雨」は「火の雨」に変更した。「夜に太陽が現れる」とは、いかにも暑く干ばつを連想させるし、祝融には「夏の都城に火を降らせた」という伝承があるからだ[1]。
伏羲については天帝の象徴である北斗七星の象徴のヒョウタンに乗っている点で、「天帝」としての性質が示されているように思う。すなわち、帝俊とは伏羲の別の姿だと考えている。だから、再構築した話には伏羲は登場させず、ミャオ族のダロンだけを登場させている。ダロンも本質的には帝俊と同一のもので、母系の文化を色濃く残したミャオ族の伏羲・女媧神話では存在しなくても良い、とすら管理人は感じるので、一応登場だけさせておいて、最後に帝俊に食わせることで一つに纏めてみた。
また、ダロンのトーテムを鶏にした点だが、本来的にはこれは「雉」とすべきと思ったが敢えて鶏に変更した。ダロンが帝俊(火雷神)と同一とした場合、ミャオ族の伝承に「パンカオという娘をさらう雉」の話があり[2]、娘に害をなす悪神のトーテムには雉がふさわしいのだが、しかしダロンは龍犬父さんに味方する子供で、太陽を呼ぶ「鶏雷神」でもある父さんの息子だ、という意味を込めて敢えて彼のトーテムは鶏にした。ミャオ族のアペ父さんの名前は、本来「アペ・ダロン・コペン」であって、「ダロン」を抜いて息子の方に移したのが正しい歴史だと思う。でも、縄文八ヶ岳の人々はアペ父さんのことをダイダラボッチと、ダロンの名で呼んでいたし、インド神話では「アペ・ダロン・コペン」が「ヴリ・トラ・ハン」に変化していると思うので。ダロンというのは父さん名を一部だけ抜き取って神話的に作った「息子」だったと考える。日本では抜き取った方を「父さん」の名にして呼んでいたのである。バロンでもあり、パンカオでもある娘のトーテムは鶏で何の問題もない。彼女は本来、鶏父さんの連れ合いである鶏の太陽女神だったのだから、と考える。
帝俊が龍犬槃瓠を人身御供にして、祭祀で食べてしまう点は、后羿を殺した寒浞の故事による。祝融に相当する中国神話のアグニが「両親を焼き殺した」という点も参考にした。寒浞は后羿の息子も同然なのだが、后羿を殺して食べている。
伝承では共工は祝融の子とされているのだが、共工を黄帝とすると事実は逆で共工が父、祝融が子だと考える。祝融が両親すなわち黄帝とその妻を殺した、とすれば寒浞が父(も同然)の后羿を殺した話と一致したモチーフを持つことになるからだ。ただし、「夏の建国神話」としては「帝俊が父親の后羿を殺して王となって夏を建国した。」ということが事実だったとしても、二人の子孫の方がそんな話を嫌がって、帝俊と后羿(すなわち祝融と黄帝)が父子だということはひた隠しにしただろうと思うし、夏の王の事績をみても、后羿の方が王位を狙って王家を混乱させた悪者のように描かれているので、「夏の建国神話」を作った人たちは黄帝を悪く思っていただろう、と思うので、再構築した話では、帝俊とミャオ族は、「少しだけ親戚」みたいな感じにとどめておくこととにした。帝俊(火雷神)と対立して、帝俊(火雷神)の火である太陽を射落とすのだから、伝統的な神話の形式から見て羿には言われずとも水神、すなわち黄帝の性質があるように思う。「弓の名手」である点も羿と黄帝の共通した性質だ。
蛙姫とバロン
管理人が再構築した物語は、あくまでも「夏の建国神話」としてのものなので、蛙姫とバロン(女媧)をないがしろにするつもりはないのだが、元の墨子に女性が出てこないので、最低限の出演にとどめた。母の蛙姫は嫦娥、相柳がモデルだ。バロンについては、ミャオ族の伝承を見る限り、神話的に「母と娘」の2つの役割を一つに纏めてあるように感じる。一つはアペ父さんの生活を応援する西王母王的妻であり、悪い雷神でも逃がしてしまう甘い母親という、「妻と母」としての役割だ。もう一つはアペ父さんの娘であり、帝俊(禹・ダロン)の妻である、という「娘と妻」としての役割だ。纏めると、バロンの中に「母と娘」という二人の面が押し込まれている、という感がする。(もしかしたら、もう一人いるかもしれないが。)この二人の女性はいずれも非業の死を遂げたと思うのだけれども、大渓文化の頃には現在のように纏められてしまっていて、なかなかはっきり分かれた良い例が見つからない。女媧のように強く神格化されてしまうと不老不死の存在にされてしまうので、彼らの死がどのようなものだったのか、探りようがない。しかし、纏めれば
- 嫦娥のように死んで「月」になった母太陽女神
- 塗山氏女のように追いかけ回されて殺され、木に吊された娘太陽女神。馬頭娘的。
- 女娃のように水の中に投げ込まれた太陽女神、乙姫的
があるように思う。ただ、塗山氏女と女娃は同じものかもしれないし、良く分からない。台湾の神話では「バルン」という娘の名で、女娃と似た伝承がある[3]。日本の賀茂系神話では、表向きは「女神の死」はなかったこととされているように思う。敢えて挙げれば
- 母女神 = 天照大御神(諏訪大社下社の真北にある戸隠?・・・戸隠じゃなくて近戸皇大神社では? の祭神[4])、天白神[5]、下光比売命、犀竜、鬼女紅葉(鬼無里も真北といえばまあまあ真北、鬼女紅葉は安曇野の八面大王の妻とも言われ、要は日本版の相柳である。)、戸隠の九頭竜(戸隠にいるのはこちらの方)
- 娘女神 = 己等乃麻知媛命(諏訪大社下社の真南にある神社の祭神)、玉依姫系、木花之佐久夜毘売、「雉も鳴かずば」の小豆娘、馬頭娘(蚕馬神、芋虫信仰)
- 入水女神 = 八坂刀売(諏訪大社下社の祭神)、嫁殺しの池、乙姫、多留姫(おそらく縄文系の水神、ダロンから派生したものか)
- 三女神の複合体 = 豊玉比売
となろうか。いずれも原型はあまりとどめていないように思う。とどめているのは鬼女紅葉と、少しだけとどめている小豆娘くらいだろうか。彼らは南北にほぼ一直線には並んでいるようだけれども。ともかく、「バロンの死」については、ヤオ族の伏羲・女媧伝承、塗山氏女、青ひげ、メリュジーヌ系、ケルト神話のマッハ、阿加流比売神を参考にした。メリュジーヌの名は、もしかしたらドゥルガー女神の別名マヒシャースラマルディニーからの派生かもしれないと考える。
「ヤオ族型の女媧」から派生した神話・伝承は上記のほかに、ギリシア神話のアタランテー、エジプト神話のセクメト他、「足の速さ」から転じて「足」にこだわったシンデレラ系、変わったところで「夫の足」にこだわった北欧神話のスカジ、「走る」のではなく「飛んで」逃げる鳥女房系、「踊り続ける魔女」系があると考える。
槃瓠と羿
ミャオ族のアペ父さんは「アペ」という名前が「水神」を意味する言葉だし「蛙黽」という意味でもあると考える。(娘のバロンは「黽」と考える。)「世界を支える巨人」という点ではギリシア神話のアトラース的だし、縄文八ヶ岳のダイダラボッチに非常に良く似ているので、本当は「蛙饕餮」という名が一番相応しいと考える。アトラースの名も「アペ・ダロン・コペン」から派生したものではないだろうか。ただ、管理人にとって「人身御供を禁止した」というのはやはりギリシア神話のテーセウスであり、日本の伝承の早太郎なのだ。おそらく、8000年かそれ以上古い時代に、人身御供が当たり前だったのを人命を尊重して中止を求め、身を挺して戦ったことは尊敬に値することだと思う。なので、管理人が再構築した話では、中国神話の槃瓠に人身御供中止のエピソードはないのだけれども、槃瓠に敬意を払って龍犬を採用してみた。
槃瓠は「目上の女性」でかつトーテムが異なる女性、すなわち他部族の女性と結婚して、妻は親族の中で肩身の狭い思いをする。ギリシア神話のテーセウスも部族の異なる女性アリアドネー・パイドラと結婚するし、平和な結婚ではなくて結局妻の兄弟ミーノータウロスと戦うことになり、妻の親族と軋轢を持つ[私注 2]。なので、槃瓠とテーセウスは起源が同じもので良いと考える。テーセウスの名はインド神話のタクシャカと同起源と考えるが、これは「ダロン・コペン」から派生した名ではないのだろうか。だから槃瓠とアペ・コペンは「同じもの」なのだ。
テーセウスの妻であるアリアドネーの「アリ」は「神」を意味する冠詞なので、それを外したアドネー、そしてパイドラはいずれも「バロン・ダロン」から派生したものと推察する。インド神話のスーリヤも同様である。そしてギリシア神話のアテーナー、カフカスのサテネも同様と考える。もっと挙げればブリュンヒルデ、クリームヒルト、カーマデーヌと「バロン・ダロン」から派生した名は広範囲に確認できるように思う。「バロン」を中国語の「白(パイ)」とすれば、バロン・ダロンで「白虎」になるのではないだろうか。(虎の方は印欧語の読み方だけれども。)とすれば、「バロン・ダロン」とは西王母のこととなる。火神と戦って、西王母が応援したものとは黄帝のことなのではないだろうか。だから、母系の場合は「息子のダロン」を外せば、まさに
西王母(バロン・ダロン)に応援されて火雷神(蚩尤)と戦う黄帝(アペ父さん)
で物語は成立してしまうのだ。そして「ダロン(虎)」という名がつけば、バロンはインド神話のドゥルガーでもある、といえる。ドゥルガーと同一視される女神にパールヴァティーがいる。「パールヴァティー・ドゥルガー」でやはり「バロン・ダロン」になるのではないだろうか。女媧は泥をこねて人間を作り出した、とされているがパールヴァティーにも同様の伝承がある。
よって羿、槃瓠、共工、舜、鯀、黄帝、ヤオ族の雷神、アぺ・コペンを「同じもの」として伝承を再構築した。槃瓠がだまし討ちにされる点は、ミャオ族神話、常陸国風土記などを参考にした。
克服を課した
墨子の文章を読むと、「天はミャオ族に克服を課した。」とある。管理人はひとまずこれを
- 人身御供の祭祀を再開するように
- ミャオ族を征伐するように
等の意味を込めて、物語を再構築してみた。でも「克服を課した」という言葉は、「何か(し難いことを)克服しろ、と命令された」という意味に取れないだろうか。「五穀が変異した」問題を解決しろ、ということであれば、それは祭祀を行うことも含むかもしれないが、治水をきちんと行うとか、新しい農耕技術を開発しろ、ということでも良いはずだ。天がミャオ族に「何かを行うように命じた」のに、それが果たせなかったから長は射殺されたのだ。そしてミャオ族は命じたことを果たすどころか、天に弓引くようなことをした、かもしれない。しかも、管理人が再現した話は墨子に比べて長すぎる。そこで、更に物語を縮めてみる。
ただ、その前に1つ、伝承を紹介したい。
この世に人が増えて怒った天の雷神が「老いた者は死ぬことにする。銅鼓(雷)の音を聞いたら死者の肉を食べよ。」と命じた。若者がこれを悲しみ布洛陀女神に訴えた。女神は「太鼓を叩いて雷神と打ち比べせよ。」と教えた。大勢で叩いたので、雷神に打ち勝つことができた。雷神は息子のカエルに、どうして地上に太鼓があるのか探らせることにした。下界に降りたカエルは人々に同情して、雷神の持っている太鼓を詳しく教えた。人々が雷神と同じ太鼓を作ると大きな音がした。雷神は太鼓を打つのをやめ、人も人を食う習慣をやめた(広西壮族自治区・壮族)[6]。
金属器を操る雷神は、火雷神なので蚩尤・祝融だ。布洛陀女神はミャオ族のバロン・ダロン、カエルは共工的に「息子」とされた水雷神のアペ父さんで良いと思う。そうだったんだ、それで天若日子は高天原に帰ってこなかったんだ、という流れである。これも火雷神と水神(カエル)との対立神話の一つだったのだ。
書き直し神話・だいたいが天若日子
昔、人々が帝俊に従わなかったので、天が怒り、夜に太陽が現れたり、火の雨が降ったり、夏に水が氷ったり、洪水が起きたりした。当時、地上に降りて人々を導いていたのは、帝俊の妹の蛙姫とその娘のバロンとバルンである。天変地異のせいで五穀が実らなくなったので、蛙姫は兄帝に救済を求めた。帝俊はこれを哀れに思い、蛙姫の夫の龍犬槃瓠とその一族のミャオ族を地上に使わした。「人々が神と共に人を食う祭」を行う代わりに、山や川を鎮め、干上がったり凍ったりした大地を元に戻すよう命じたのだ。人々は自分や仲間が食われるのが悲しくて嘆き悲しんだ。同情した槃瓠は祭をおこなわず、土地の整備のみ行った。いつまで経っても槃瓠とミャオ族は天に戻って来ず、報告もなかった。怒った帝俊は部下の雉女を連れて、自ら地上へ降りた。槃瓠が言いつけに従っていなかったことを知ると、帝俊はミャオ族の長の槃瓠を射殺した。
槃瓠の葬儀で蛙姫と娘たちが嘆き悲しんでいると、怒った帝俊はそこに乗り込んで暴れ、祭壇を破壊した。そして蛙姫を焼き殺してしまった。姫の魂は天に昇って月の女神になった。蛙姫の娘のバルンは水に投げ込んで殺した。殺されたバルンは乙姫になった。バロンは妻にするため生かしておいたが、両親を慕って泣き暮らしていたため、子供を生んで用がなくなると殺して桑の木に吊した。殺されたバロンは馬頭娘となって「蚕の母」と呼ばれるようになった。こうして、帝俊自らが地上で民を治めることにして夏という国を興した。
ミャオ族は、こんな恐ろしい暴君に仕えてはいられない、ということで逃げ出した。そして、世界のあちこちで帝俊の行いを話して歩いたので、世界中の者が俊の行状を知ってしまった。そして、人々はいつまでも、気の毒な蛙姫とバロンとバルンのことを語り継いだのだった。でも、帝俊の子孫だけは「何でも女が悪いせい。」と言って3人の女神たちを悪く言っていた。
書き直し神話・堯舜風に
昔、三苗が天下を治めていた。三苗とは苗族の三つの氏族で、苗族、羌族、姜族といった。羌族は苗族から分かれ、姜族は羌族から分かれたものである。天にあるとき、彼らは交代で帝を立てていた。また、互いに婚姻もした。当時は同姓婚も可能だったし、兄妹で結婚もできた。
苗族の帝堯の治世に、姜族の帝俊が謀反を起こした。帝俊は帝堯の息子だったのだが、父親が嫌いだったので母親の姜姓を名乗っていた。父親には母の蛙姫の他に妻がいたし、そちらに異母弟もいて、帝俊に厳しく、可愛がってくれなかったからだ。しかも帝堯は「人々が神と共に人を食う祭」を禁止したのだ。帝俊は人肉を食べたくてたまらなかった。帝俊は妹のバロンとバルンを后にしたが、帝堯には謀反を起こし、父親を地上に追放した。苗族は帝堯を慕って、共に地上に下っていった。
地上に降りた人々が帝俊に従わなかったので、帝俊は怒り、夜に太陽を出したり、火の雨を降らせたり、夏に水を凍らせたり、洪水を起こしたりした。天変地異のせいで五穀が実らなくなった。天上の帝俊は、地上の帝堯に「人々が神と共に人を食う祭」を再開するよう求めた。帝堯は祭をおこなわず、土地の整備のみ行った。怒った帝俊は部下の雉女を連れて、自ら地上へ降り、苗族の長の帝堯を射殺した。
帝堯の葬儀で蛙姫と娘たちが嘆き悲しんでいると、怒った帝俊はそこに乗り込んで暴れ、祭壇を破壊した。そして母の蛙姫を焼き殺してしまった。姫の魂は天に昇って月の女神になった。妻の一人バルンは水に投げ込んで殺した。殺されたバルンは乙姫になった。もう一人の妻のバロンは懐妊していたので、とりあえず生かしておき、子供を生んで用がなくなると殺して桑の木に吊した。殺されたバロンは馬頭娘となって「蚕の母」と呼ばれるようになった。こうして、帝俊自らが地上で民を治めることにして夏という国を興した。
帝俊は自ら地上の「皇帝」と名乗り帝堯の苗族を攻撃して滅ぼそうとした。「皇帝」とは帝堯だけに許された呼び名だったのに。
生き残った苗族は、ほうほうのていで逃げ出した。羌族もこんな恐ろしい暴君に仕えてはいられない、と逃げてしまった。なので、以後夏では帝俊の子孫の姜族だけが帝となった。やがて夏の国はどんどん大きくなった。
苗族と羌族が、世界のあちこちで帝俊の行いを話して歩いたので、世界中の者が俊の行状を知ってしまった。そして、人々はいつまでも、気の毒な蛙姫とバロンとバルンのことを語り継いだのだった。でも、帝俊の子孫だけは「何でも女が悪いせい。」と言って3人の女神たちを悪く言っていた。また、苗族と羌族を陥れようとして彼らの悪口をばらまいた。帝俊とその子孫たちは鬼神のねたみ、そねみといった陰気を最大限に活用して敵を滅ぼす「鬼神信仰」の者たちだったのだ。そして、いつでも「自分が一番」でないと気が済まなかったのだ。
だから、帝俊の子孫は、こっそり帝俊の名前を「蚩尤」に変えて、今度は
「帝堯が蚩尤を倒した。蚩尤の家来が苗族だった。帝俊は帝堯から帝位を受け継いだ正統な皇帝だったので、苗族を滅ぼそうとした。」
という話を作った。こうして、本当は帝俊が帝堯を殺したのに、帝堯が帝俊(蚩尤)を殺した、というおかしな話ができあがってしまった。帝俊はそこまでして帝堯の苗族を滅ぼし、自分が一番になりたかったのだ。鬼神信仰とはまことに恐ろしいものである。そして以後は、禹とか黄帝とか、都合に合わせてどんどん登場人物を増やすので、元にどんな話があったのか分からなくなってしまったのだった。
解説
解説? と管理人も、求められると困るところがあるのだが、まず「夏の創設」といえば、創始者の禹とその親の鯀のことが外せない、と思うので、「治水とか開拓事業に失敗して殺された者(槃瓠=鯀)」と、「殺した者(帝俊=禹)」に分けて肉付けしてみた。
墨子の記述を見て、まず印象に残ったのは
天はミャオ族に克服を課した。雷が連続し、鳥をともなった者がミャオ族の指導者を射た。
という記述だ。天がミャオ族に何かを求め、それがうまく行かなかったから指導者は射殺された、という意味と管理人は感じた。夏の創設に関して、「天の命令に逆らって殺された者」といえば鯀しかいないようにも思える。そして墨子の中のミャオ族の立場は「天の敵対者」ではなく「天の部下」のように思えるのだ。神話・伝承の中で「敵」が殺されることは珍しくないが、「部下」が罰で殺される、というのはやや珍しいパターンのように感じる。また「天に逆らった者が射殺される」というモチーフはいかにもニムロド系の伝承を彷彿とさせる。しかも「鳥をともなった者」といったら、管理人には「天若日子」しか思い浮かばない。都合の良いことに、中国にも天若日子の類話がある。日本神話の天若日子には、雉女を射て、その矢が自分に跳ね返ってくる、というまさにニムロド的な性質があるのだが、その点は墨子の記述を優先して割愛した。弓を扱う者である点は、黄帝や羿と一致する性質である。
壮族の「雷神の子神の蛙神」が人身御供を伴う食人の禁止に関わる神であって、かつ水神としての性質を持つ蛙であれば、テーセウス、黄帝と元は「同じもの」だったと述べるしかない。そして、「黄帝対蚩尤」というパターンでは、「水雷神対火雷神」という構図が明瞭にあったのだが、この「水雷神対火雷神」という構図が「1つの雷神」に纏められ、「雷神(帝俊)対羿」と変化しているように思う。黄帝にあたる羿の権威が低下して「人間的な英雄」となり、一方の祝融・蚩尤(火神)は、水までもを操る「雷神」へと昇格している。羿の中にすでに「天に逆らう者」という性質が表れているが、これが完全に「天に逆らう悪者」とされると「共工」になるように思うのだ。
さて、管理人は日本の天若日子神話をかなり取り入れて「夏の建国神話」を再構築したが、日本神話では帝俊に相当する神は、阿遅鉏高日子根という。この神は迦毛大御神(カモノオオカミ)とも言われ、賀茂系氏族の祖神とされる。この神に関連して多くの神の名が派生しているように思うのだが、興味があれば賀茂の暗号を読んで頂きたい。
もう一つのミャオ族神話
おそらく採集地が「苗族民話集」とは異なるものなのだろう。
楓香樹から蝶のメイバンリュウが生まれた。蛾の王がつついて彼女を出した。メイバンリュウから人間の始祖のチャンヤン(姜央)が生まれた。
チャンヤンは兄弟の雷公から水牛を借りて田を耕していたが、祖霊祭で水牛を食べてしまった。それで雷公との仲が険悪になった。雷公が洪水を起こし、チャンヤンはヒョウタンに乗って逃れた。その後、妹のニャン二を説得して結婚した。二人の間に肉塊が生まれたので、それを切り刻んでまくと、人間が大勢生まれた[7]。
こちらは、ヤオ族の伝承に似て、肉をばらまく方である。兄から求婚して、父系的な物語だ。そして父親は登場しない。その点は母系的だ。最初の人間のチャンヤンの「父的存在」は「蛾の王」だ。物語の中で「炎帝」的存在
関連項目
私的注釈
Wikipediaの注釈
- ↑ 現代のミャオ族と、先史時代の伝説に記載された三苗や、楚や呉を構成した民族との関連性はまだ確定していない(要出典、2016-09-09)。
参照
- ↑ Wikipedia:祝融(最終閲覧日:24-11-09)
- ↑ 村松一弥訳『苗族民話集』平凡社、1974年、59-70頁
- ↑ 紙村徹編『神々の物語 台湾原住民文学選5』草風館、2006年、330-331頁
- ↑ 事任八幡宮、諏訪大社下社のレイラインとくれば、真北の長野市にあるのは信州新町の健御名方富命彦神別神社である。この神社はかつて水内大社と呼ばれており、縄文時代から人が住んでいた場所にあって、斎宮という地名があったり、「いもの宮」と呼ばれていたとのことなので、元は女神信仰の神社であったことが示唆される。近戸皇大神社は、戸隠の天之手力男神が立ち寄って休んだ、言い換えれば「夫の天之手力男神が妻の天照大御神の所に通った」という伝承のある由緒正しき神社である。管理人の先祖がその近辺に「住んでいた」ことはある。事任八幡宮には玉依比売命が祀られており、賀茂系の神社と推察される。諏訪大社、健御名方富命彦神別神社は、須佐之男・御歳神を祖神とする賀茂系の氏族の一派の金刺氏の神社と推察する。健御名方富命彦神別神社には金刺氏の祖神神八井耳命も祀られている。賀茂系の氏族の一派と思われる姓に尾張氏という姓がある。(古代の奈良における活動範囲も賀茂系氏族と非常に近い氏族である。)まあまあ、近戸皇大神社のごく近所に住んでいた先祖というのは、「終わり」というか、そんなようなのに近い名というか。名前のことは読者に察していただくとして、近戸皇大神社も広く賀茂・金刺系の神社と思われる。なんで、そこにだけ「夫の天之手力男神が妻の天照大御神の所に通った」という伝承があるのだろうか? その神社を作った人たちの中にしか語ることを許されなかった秘伝中の秘伝かも、と勘ぐる管理人だ。「月の女神」になる前の太陽女神の嫦娥娘娘と羿黄帝が夫婦であったという貴重な伝承は、本当にそのくらいしか管理人は知らないのだが。ともかく、賀茂系氏族と金刺氏の関連を知りたい方は賀茂の暗号も見て頂きたい。
- ↑ 縄文系のバロン(白)女神のことと考える。
- ↑ 百田弥栄子『中国の伝承曼荼羅』三弥井民俗選書、1999年、136頁
- ↑ 創世神話と王権神話 アジアの視点から、鈴木正祟、p115-117