闘鶏国造

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闘鶏国造(つげのくにのみやつこ・つげこくぞう)は闘鶏国(大和国北東部)を支配した国造。

概要[編集]

表記[編集]

『日本書紀』に闘鶏国造とある他、都祁国造都下国造とも。

祖先等[編集]

都祁山口神社は、神武天皇の皇子神八井耳命の御孫である都祁直が闘鶏国造となり、小山戸に居住し氏神を祀ったのを起源とする、とある。

『延喜式』によれば、坐摩神社の坐摩巫には都下国造(つげのくにのみやつこ)の7歳以上の童女を充てるとされ、西から来る穢れを祓う儀式を行うといわれる。なお、都下とはこの神社が最初にあった淀川河口の地で、摂津国の菟餓野(とがの、都下野とも書く。現在の上町台地一帯)を指すと見られる。世襲宮司の渡辺氏は凡河内国造の末裔とも、滝口武者の嵯峨源氏の流れを汲むともいわれる。

おそらく、この点から、闘鶏国造は凡河内国造の名を変えたもの、という説があるようだが、詳細は不明と考える。

氏族[編集]

闘鶏氏(つげうじ、姓は君)。允恭朝に忍坂大中姫皇后に不敬があったため、稲置姓に落とされた。同族に直姓も存在した。

本拠[編集]

大和国山辺郡都祁。現在の奈良県奈良市の旧都祁村近辺。

氏神[編集]

都祁水分神社[編集]

奈良県奈良市都祁友田町にある神社。式内大社。祭神は速秋津比古命・大国御魂命または天之水分神・国之水分神。当初は都祁山口神社(小山戸)の地に鎮座していたとされる[1]

都祁山口神社[編集]

奈良県奈良市都祁小山戸町にある神社。式内大社論社。主祭神:大山祇神、合祀:大国主命(国津神社祭神)。神社の背後の山上字御社尾に巨石があり、元慶3年(879年)に水分神が白龍となって降臨した場所と伝える[2]

凡河内国造[編集]

凡河内国造(おおしこうちのくにのみやつこ・おおしこうちこくぞう・おおしかわちのみやつこ・おおしかわちのこくぞう)は、凡河内国を支配した国造。『先代旧事本紀』「国造本紀」に凡河内国造とあり、その他凡川内国造大河内国造とも表記する。

祖先[編集]

  • 『先代旧事本紀』「国造本紀」では神武朝に彦己曽保理命を国造に任命したとされる。
  • 『古事記』上巻では天津彦根命が凡川内国造の祖とされる。

特徴[編集]

凡河内氏(おおしかわちうじ、姓は直)。天武天皇12年(683年)に連に、14年に忌寸になり、後には宿禰を与えられた者もいた。

本拠は摂津国西部または河内国中部。

国造の支配領域は当時凡河内国と呼ばれた地域、後の河内国和泉国摂津国に相当する。ただし同国内には三野県主、茅渟県主、猪名県主、志幾県主、紺口県主、三嶋県主など複数の県が置かれており、支配領域が上記三国と全く同一ということではない。

現在の大阪湾を掌握していたため、渡来人を統率し、ヤマト政権においては外交に活躍していたと思われる。

氏神[編集]

河内国魂神社[編集]

河内国魂神社(かわちくにたまじんじゃ/かわちのくにたまじんじゃ、河内國魂神社)は、兵庫県神戸市灘区国玉通にある神社。式内社で、旧社格は郷社。元は「五毛天神」・「五毛天神社」と称された。「五毛」は胡麻生(ごまう)という当地の旧地名から来ているといわれる。 祭神は大己貴命、少彦名命、菅原道真。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. Wikipedia:都祁水分神社(最終閲覧日:25-01-10)
  2. Wikipedia:都祁山口神社 (奈良市)(最終閲覧日:25-01-10)