図4は「太陽と巨人」の組み合わせずであって、天体図ともいえるし、城背渓文化(B7000?~B6000?)の時代の「世界図」を示しているともいえよう。それは母系の時代であるので、天の頂点に君臨するのは太陽女神であり、太陽女神が、巨大な「天そのものの巨人」を支配し、操りながら世界を支配する、というものだったのではないだろうか。朝鮮には「王権の母」として熊女の伝承があり、ヨーロッパにも「熊の母」として女神が複数存在する。後の時代に広く「王権の母」とされた太陽女神のトーテムは、おそらく'''熊'''だったのだろうと考える。しかし、それが「優しい母神」であったとは必ずしも言いがたかったのではないか、と個人的には思う。熊は肉食獣であり、時に共食いもする動物だからである。また、管理人は「神のトーテム」が一つであった、と延べるつもりはない。トーテムは複数あり、必要や状況に応じて使いわけられており、それでも足りなければ龍といった架空の生物を作り出してでも増やしていったものと考える。ともかく、「軍事的かつ専制的な神」の象徴としては獰猛な「'''熊'''」が大きなトーテムとして選ばれたのであろう。朝鮮の神話では、熊女の方が虎女よりも上の立場として描かれており、ネコ科の大型獣よりも熊の方が「'''上位'''」と考えられていたと思われる。
母系社会では「父親」や「夫」というものは存在しないため、巨人は「太陽女神」の'''息子'''、孫、あるいは養子、また階級がある程度整っていれば部下といった立場が考えられる。太陽そのものは動植物の生育に欠かせないものだが、干ばつの原因ともなる。日本神話的に言えば「和魂」という穏やかな一面と、「荒魂」という破壊的な一面を併せ持つ。おそらくこの「'''息子'''」の役割は多岐に渡るが、主たるものは「'''太陽が受け持つ以外の天候、特に風と水に関するもの'''」だったのではないだろうか。適度な風や水も、これもまた動植物の生育に欠かせないものである。天候が荒れたり不順になると、収穫に支障を来す。そして、この巨人の役割は天上世界に留まらず、地上の河川や湖、時には海の水にも及んだものと考える。河川の水の増水は天候による雨の有無とも大きく関連する。また、世界各地の神話を見ても、「主神」とされるのは雷神や天候神といった天候に関わるものが多いからである。」だったのではないだろうか。適度な風や水も、これもまた動植物の生育に欠かせないものである。天候が荒れたり不順になると、収穫に支障を来す。そして、この巨人の役割は天上世界に留まらず、地上の河川や湖、時には海の水にも及んだものと考える。河川の水の増水は天候による雨の有無とも大きく関連する。また、世界各地の神話を見ても、「主神」とされるのは雷神や天候神といった天候に関わるものが多いからである。そして、この男性神は、地上においては「軍神」としての役割も担っていた。彼がひとたび暴れ出せば、天候も荒れるけれども、それは彼を信仰する人々が神と一緒に暴れ出して侵略や略奪といった行為を行うことになぞらえられてもいたように思う。また巨人は腰のあたりに星らしきものを従えてもいる。この巨人は「'''天そのもの'''」であって、星々は彼の同族とみなされていたのかもしれないと思う。古代の母系社会においては、このような「天とそれに属する星々」を制御し、人々に恩恵を与えるか、あるいは収奪を行うのが「太陽女神」とされていたのではないか、と管理人は考える。 もちろん、神々の恩恵は無報酬で与えられるものではない。人々は太陽女神に捧げ物をしなければならなかっただろうし、時代が下れば太陽女神の息子である「天の神」にも捧げ物をしなければならなくなったと思われる。この「天神」が「河川の神」も兼ねていたのであれば、「'''河伯に花嫁と称して若い娘を生贄に捧げていた'''」という神話は非常に有名である。おそらく、これらの祭祀を行うのは、神々と人々との間を取り持つシャーマンであったかもしれない。また、アジアには「神の化身として生きた人間を'''現人神'''とみなして敬う」という風習があるため、最上位のシャーマンは祭祀も行うけれども、祭祀者というよりは「神そのもの」として君臨していた可能性があるように思う。人々は当然現人神やシャーマンにも、豊穣を得るための捧げ物をしなければならなかったと思われる。最上位の女性である現人神は太陽女神の化身とされた。そして、その息子達は天神の化身であり、かつ太陽女神の祭祀者であり、また太陽女神の指図によって行動を制御されてもいたのではないだろうか。要は天においては、太陽女神は「神々の統治者」であり天候を制御するが、地上において「太陽女神」の現人神は軍事行動・略奪行為を制御する神でもあり、人々は彼女とその同族に捧げ物をして災いを避けるか、奉仕を拒否して略奪・強奪を受けるかを選ばなければならなかったものと思われる。
一方、伝承では、[[盤古]]が亡くなった後に、その体から山に化生した部分もある、とされている。よって、図1,2の「山」は[[盤古]]の体の一部が変化したものなのである。そして、図1,2と図4を見比べた場合、図4の方が増えている紋様があることが分かる。いわゆる「雲」と呼ばれている部分である。