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== 概要 ==
モンゴル語で伝えられてきた伝承を漢字で音訳・翻訳した年代記『元朝秘史』は次のような文章から記述を始めている。
{{Quotation|'''上天より命ありて生まれたる蒼き狼(ボルテ・チノ)ありき'''。その妻なる惨白き牝鹿(コアイ・マラル)ありき。大海(テンギス)を渡りて来ぬ。[[オノン川|オノン河]]の源に[[ブルカン・カルドゥン]]に営盤して生まれたるバタチカンありき…|『元朝秘史』巻1第1節}}
この後、『元朝秘史』はボルテ・チノとコアイ・マラルの子孫を名前のみ列挙し、ボルテ・チノの十世の孫に至った所で、「一つ眼の」ドア・ソコルとその弟のドブン・メルゲンの嫁取りの逸話を載せる。ドブン・メルゲンは<blockquote>'''[[アラン・コア]]上天より命ありて生まれたる蒼き狼(ボルテ・チノ)ありき'''という女性を娶ったが早世し、その後寡婦となったアラン・コアは日月の光の精(日月神)と交わって3人の息子を産み、その末子の[[ボドンチャル]]が[[チンギス・カン]]の始祖になったと記す。そのため、厳密に言うとチンギス・カンはボルテ・チノの血を引いていない。。その妻なる惨白き牝鹿(コアイ・マラル)ありき。大海(テンギス)を渡りて来ぬ。オノン河の源にブルカン・カルドゥンに営盤して生まれたるバタチカンありき…(『元朝秘史』巻1第1節)</blockquote>
そもそも、「ボルテ・チノ伝承」のような「狼祖伝説」はこの後、『元朝秘史』はボルテ・チノとコアイ・マラルの子孫を名前のみ列挙し、ボルテ・チノの十世の孫に至った所で、「一つ眼の」ドア・ソコルとその弟のドブン・メルゲンの嫁取りの逸話を載せる。ドブン・メルゲンは'''[[6世紀アラン・コア]]頃にモンゴル高原を支配した'''という女性を娶ったが早世し、その後寡婦となったアラン・コアは'''日月の光の精(日月神)'''と交わって3人の息子を産み、その末子の[[突厥ボドンチャル]]などにも伝えられており、[[テュルク系民族チンギス・カン]]が有する伝承であった。一方、「日月神」にまつわる伝承はモンゴル系とされる[[契丹]]にも同様のものが伝えられており、こちらこそがモンゴル族固有の伝承であったと考えられている。また、『集史』の記述によるとチンギス・カン登場以前のモンゴル部には支配階層たるの始祖になったと記す。そのため、厳密に言うと'''チンギス・カンはボルテ・チノの血を引いていない'''。 そもそも、「ボルテ・チノ伝承」のような「狼祖伝説」は6世紀頃にモンゴル高原を支配した突厥などにも伝えられており、テュルク系民族が有する伝承であった。一方、「日月神」にまつわる伝承はモンゴル系とされる契丹にも同様のものが伝えられており、こちらこそがモンゴル族固有の伝承であったと考えられている。また、『集史』の記述によるとチンギス・カン登場以前のモンゴル部には支配階層たる[[ニルン]]と[[ダルレギン]]という2グループがおり、ニルンには日月神の血を引く3氏族([[カタギン|カタギン氏]]・[[サルジウト|サルジウト氏]]・[[ボルジギン氏]])とそこから派生した氏族のみが属するとされる。そこで、本来のモンゴル族の伝承は「日月神伝承」のみで、「ボルテ・チノ伝承」はモンゴル族が勢力を拡大する過程でダルレギン諸氏族とニルンとの関係を神話上で説明するため、テュルク系民族の伝承に着想を得て後に付加された伝承である、と考えられている<ref>村上1993,207-230頁</ref>。
== 『集史』における記述 ==

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