=== 科野氏<ref>ただし、「物部莫奇武連」「紀臣奈率彌麻沙」のような他の倭系百済官人とは異なり、姓を有している様子が見られないので、ここでの「シナノ氏」は「科野国造の一族」という意味ではなく、氏姓制度が成立する以前に朝鮮に渡った信濃の人間が「シナノの人の〇〇」といったニュアンスで呼ばれていた(=シナノは氏ではない)とする説も存在する。</ref><ref name="#1"/> ===
* [[科野友麻呂]]
*: 奈良時代の豪族。百済系の帰化人で、天平宝字五年に清田造姓を賜る。
* [[科野石弓]]
*: 奈良時代の豪族。百済系の帰化人で、天平神護二年に従七位上で石橋連姓を賜る。
* [[科野虫麻呂]]
*: 天平宝字2年(758年)9月に東寺写経所から布施布を受け(このとき白丁であった)、同3年には前春宮舎人・少初位下となり、同6年2月には石山院大般若経所に召され、翌月には大舎人・少初位下となった。後に左大舎人ともなっており、[天平神護元年(765年)には45歳であったという<ref name="#3"/>。
* [[信濃浜足]]
*: 奈良時代の豪族。天平15年(743年)5〜9月に写疏所書生として写経に従事した<ref name="#3"/>。