以下のような説もある。
<blockquote>善光寺に関与した若麻績部君氏は毛野氏族に出て、諏訪氏族や科野国造族とは別系である。善光寺別当初代の若麻績部君東人(いわゆる誉田善光)は水内郡誉田里の住人と伝えるが、東人からの略系は伝わっている(『善光寺史研究』に所載の「善光寺本願系図」)。この別当家は九世紀頃に毛野同族の丈部氏に男系が変わり、十二世紀中葉には清和源氏の崇徳院判官代村上為国の子息を婿に迎えて栗田氏を称し、善光寺と戸隠の両別当を世襲した。 若麻績部君氏の先祖がどのように上毛野君から分れたのかは不明であり(毛野氏族の系譜の中でどのように位置づけるのかは不明)、諏訪氏や科野国造一族との関係も不明である。ただ、上毛野君氏の実系は、崇神天皇の後裔という皇別ではなく、海神族系の三輪氏族からの分岐であるから、諏訪氏族に通じるものがあり、『善光寺縁起』によると、大和三輪出身の三輪時丸が善光寺に参詣して、そのままこの地に止まったということで、当地を三輪と称したとも伝える事情にもある<ref>[http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keijiban/suwasya1.htm 諏訪社の奉斎氏族]、[http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/index.html 古樹紀之房間]、樹堂氏(最終閲覧日:22-11-08)</ref>。</blockquote>