** 稚武彦王(わかたけひこのみこ、若建王) - 須売伊呂大中日子の父、迦具漏比売(応神天皇の妃)の祖父。
* 妃:山代之玖々麻毛理比売(やましろのくくまもりひめ、紀なし)
** [[蘆髪蒲見別王|足鏡別王]](あしかがみわけのみこ、蘆髪蒲見別王足鏡別王(あしかがみわけのみこ、蘆髪蒲見別王/葦噉竈見別王) - 鎌倉別・小津石代之別・漁田之別の祖(記)。* 妃:布多遅比売(ふたじひめ、紀なし) - '''[[安国造|淡海安国造]]'''の祖の意富多牟和気の娘(記)。
** 稲依別王(いなよりわけのみこ、紀の母は別) - 両道入姫皇女の所生とする紀とは異同。
* 一妻(記では名は不詳、旧事本紀では橘媛)
** [[息長田別王]](おきながたわけのみこ、紀なし) 息長田別王(おきながたわけのみこ、紀なし) - [[河派仲彦王]]の父、[[息長真若中比売]]([[応神天皇]]の妃)の祖父、[[稚野毛二派皇子]]の曽祖父、[[忍坂大中姫]]・河派仲彦王の父、息長真若中比売(応神天皇の妃)の祖父、稚野毛二派皇子の曽祖父、忍坂大中姫・[[衣通姫]]の高祖父。阿波君らの祖(旧事本紀)。
* [[宮簀媛]](みやずひめ、美夜受比売) - 系譜には記されず、物語にのみ記される配偶者。'''尾張氏'''の娘。子は無し。
; 古事記
: 西方の蛮族の討伐から帰るとすぐに、景行天皇は倭建命に比比羅木之八尋矛を授け、吉備臣の祖先である御鋤友耳建日子をお伴とし、重ねて東方の蛮族の討伐を命じる。倭建命は再び倭比売命を訪ね、父天皇は自分に死ねと思っておられるのか、と嘆く。倭比売命は倭建命に[[伊勢神宮]]にあった神剣、西方の蛮族の討伐から帰るとすぐに、景行天皇は倭建命に比比羅木之八尋矛を授け、吉備臣の祖先である御鋤友耳建日子をお伴とし、重ねて東方の蛮族の討伐を命じる。倭建命は再び倭比売命を訪ね、父天皇は自分に死ねと思っておられるのか、と嘆く。倭比売命は倭建命に伊勢神宮にあった神剣、[[天叢雲剣|草那藝剣]](くさなぎのつるぎ)と袋とを与え、「危急の時にはこれを開けなさい」と言う。
; 日本書紀
: 当初、東征の将軍に選ばれた大碓命は怖気づいて逃げてしまい、かわりに日本武尊が立候補する。天皇は斧鉞を授け、「お前の人となりを見ると、身丈は高く、顔は整い、大力である。猛きことは雷電の如く、向かうところ敵なく攻めれば必ず勝つ。形は我が子だが本当は神人(かみ)である。この天下はお前の天下だ。この位(=天皇)はお前の位だ。」と話し、最大の賛辞と皇位継承の約束を与え、お伴に[[吉備武彦]]と[[大伴武日]]連を、料理係りに七掬脛を選ぶ。出発した日本武尊は伊勢で倭姫命より草薙剣を賜る。
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[[File:Yamamoto Takeru no mikoto between burning grass.jpg|thumb|ヤマトタケル([[歌川国芳]]画)]]
; 古事記
: [[相模国|相模]]の国で、[[相武国造]]に荒ぶる神がいると欺かれた倭建命は、野中で火攻めに遭う。そこで叔母から貰った袋を開けると火打石が入っていたので、草那藝剣で草を刈り掃い、迎え火を点けて炎を退ける。生還した倭建命は[[国造]]らを全て斬り殺して死体に火をつけ焼いた。そこで、そこを焼遣(やきづ=焼津)という。相模の国で、相武国造に荒ぶる神がいると欺かれた倭建命は、野中で火攻めに遭う。そこで叔母から貰った袋を開けると火打石が入っていたので、草那藝剣で草を刈り掃い、迎え火を点けて炎を退ける。生還した倭建命は'''国造らを全て斬り殺して'''死体に火をつけ焼いた。そこで、そこを焼遣(やきづ=焼津)という。
; 日本書紀
: [[駿河国|駿河]]が舞台で火攻めを行うのは賊だが大筋はほぼ同じで、[[焼津市|焼津]]の地名の起源を示す。ただし、本文中では火打石で迎え火を付けるだけで、草薙剣で草を掃う記述はない。注記で天叢雲剣が独りでに草を薙ぎ掃い、草薙剣と名付けたと説明される。火打石を叔母に貰った記述はない。駿河が舞台で火攻めを行うのは賊だが大筋はほぼ同じで、焼津の地名の起源を示す。ただし、本文中では火打石で迎え火を付けるだけで、草薙剣で草を掃う記述はない。注記で天叢雲剣が独りでに草を薙ぎ掃い、草薙剣と名付けたと説明される。火打石を叔母に貰った記述はない。
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; 古事記
: 相模から[[上総国|上総]]に渡る際、[[走水神社 (横須賀市)|走水]]の海([[横須賀市]])の神が波を起こして倭建命の船は進退窮まった。そこで、后の相模から上総に渡る際、走水の海(横須賀市)の神が波を起こして倭建命の船は進退窮まった。そこで、后の[[弟橘媛|弟橘比売]]が自ら命に替わって入水すると、波は自ずから凪いで、一行は無事に上総国に渡る事ができた。それから倭建命はこの地(現在の[[木更津市]]と言われている)にしばらく留まり弟橘姫のことを思って歌にした。が自ら命に替わって入水すると、波は自ずから凪いで、一行は無事に上総国に渡る事ができた。それから倭建命はこの地(現在の木更津市と言われている)にしばらく留まり弟橘姫のことを思って歌にした。